おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

この胸苦しさは…

2011年06月24日 07時28分17秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん。私は何でか胸苦しさを感じる。
とても嫌な感じ。何でだろう。
とても辛くて、体が宙に浮いている感じなの。
切なくて、悲しくて。

いつも私の命の半分をおかあちゃんにあげてほしいと願っている。
そう出来るなら、私は悪魔とでも契約したい。
心が折れそうなの。おかあちゃんが病気になってからいつもいつも心配で。
気持の休まる事は1度もなかった。
それでも喜びはあった。危ない状態をいつもいつも乗り越えてくれた。
その度に、まわりに感謝した。

おかあちゃんは、この頃よく涙ぐんでる事が多くなった。
「どうして泣くの。何が悲しいの。」私が聞くと頭を横に振る。
「辛いの。しんどいの。」首を振る。
「心配なの。どうなるのかって思うの。」
おかあちゃんは、うなづいた。
高齢になると死は怖くない。って誰かが言ってた。
しかし、そんな事はないと思う。
年寄りだって、それが自分に近づいたと思ったら怖い。と思う。
手を握り、「大丈夫だよ。頭の痛いのだって治った。もし又痛いとこ出来たら
私が、絶対に医者を探すから。うそついた事ないやろ。」
頬に伝う涙をふいて抱きしめた。小さくて細い体は頼りなさを感じた。
そして、おかあちゃんを守っていけるのは私しかいないと確信した。

なぜ 涙が…

2011年06月17日 18時53分41秒 | 食事
お母ちゃんを見ていると、涙が出て。
一時の事を思うと痛がるのも少なくなった。
だのに、涙が出てくる。この人は幸せだろうか。
私は、苦しめてはいないだろうか。私だけの気持ちで病院を連れ回してはいないだろうか。
ごめんね。お母ちゃんのいない世界で私はいきてはいけない。
どこまで理解してくれているんだろう。
昨日、久しぶりに訪問リハビリを受けた。療法士と久しぶりの再会に喜んでいるように思った。
帰りに「ありがとう。また来てね。」って言えた。
そんなお母ちゃんが愛おしくて。また涙が出てくる。
もう泣かないよ。本当かな。

おかあちゃん ありがとう。

2011年06月14日 05時58分24秒 | 母の事(肺がん) そして絆
昨日、いつもの点滴に行った。
おかあちゃんはこのところ家でも胸をさする事があった。
点滴中、顔をしかめて左の胸から脇をさする行為があった。
先生に看護師を通じて伝えてもらった。
先生はシップを張っておくようと看護師を通じて言われた。
もしも、それでいいにしても容態を見てから言ってほしかった。

私はすぐに他の病院に電話をした。
すぐに来て下さい。と言われた。
母を連れていくとレントゲンと心電図をとってくれた。
診察では、心筋梗塞になった事もあるので今は心臓が格別悪い事は
ないが、心配だと思ったら連れてきなさい。と言われた。
これで安心出来た。患者はちょっとした事で安心したり不安になったりする。
医者にすれば、患者のわがままなのかな。

おかあちゃん、安心したよ。
御苦労さま。朝の8時過ぎから家に着いたのは5時過ぎ。
まるで、お勤めみたいだね。
疲れたね。
今日はエアコンの取り付け。お掃除ロボット付き。ずぼらな私は助かるよ。
明日は又、点滴。高濃度ビタミンC。
木曜日は訪問リハビリ。金曜日は休み。土曜日は点滴。
月・水・土の点滴日。
木の訪問リハビリ。
1週間はすぐに経ってしまうね。
よく付き合ってくれている。
ありがとう。おかあちゃん。

オッパイ友からのメール

2011年06月13日 01時43分43秒 | 乳がん記録
クリニックで会う患者さんから、携帯にメールが入った。
見てみると、おかあちゃんの事を気遣ってくれて今の自分の状態が
綴られていた。深刻な状態にある最後まで頑張る。お世話になりました。
の内容が書かれていた。
彼女の状態は良くなかった。
輸血を何度もしていた。3日続けてする。
それを繰り返していた。
抗がん剤の影響か貧血が著しかった。
それ以外にも、あったんだと思う。

彼女からのメールでは大きな病院に行ったら血小板の低下で出血したら
死ぬと言われた。との事だった。

私はすぐに、おかあちゃんへの気遣いの礼と、頑張ってという事。
そして、また会いたいとメールを返した。

どこかの病院に入院してるのだろうか。
彼女の容態がよくなるように願っている。

肺に影が

2011年06月10日 05時51分18秒 | 乳がん記録
5月の健診の時、半年に1度の造影剤を点滴しながらのCTをした。
その後の説明で、血液監査の結果を聞く。異常はなかった。
CTの結果に肺に小さな影がある。小さいので3ヶ月後にもう1度診てみよう。
フイルムに何かあったのかもしれないから。そう言われた。
でも、私はフイルムの傷なんかじゃない。肺に異常が起こっているのは
確かだろう。少しくらい真実を伸ばしても仕方ないのに。とも思った。
私のように0期でも、転移は起こると聞いた事がある。
完治したと思っていたが、転移となるともう完治は望めない。
一生付き合っていくのかな。
動揺する事はなかった。なるべく抗がん剤は避けたい。
今度はそう言うわけにはいかない。
定位放射線を望む。母が受けたのと同じのを。
私は母の後をいつも追いかけているようだ、
先日、点滴を受けている人と話した。
その人は17年目に転移したそうだ。
私は「本当に転移ですか。17年も経ったのに転移なんて。原発では。」
彼女は「転移なんだって。乳がんは何年経ってもね。」と言った。
前にも8年後に転移した。という人もいた。
「乳がんって一生よ。」と言っていた。
いままでたくさんの転移で抗がん剤をしている人を見てきた。
顔色は真っ黒。手足の指の爪も真っ黒。
爪の変形。膿が出て治療。それでも頑張っている。
人は強い。全身全霊で戦っている。
でも、みんな明るい。私はこの方々のように明るくしていられるだろうか。

ガンマナイフ

2011年06月09日 12時03分57秒 | 食事
おかあちゃんは、火曜日から頭が痛いと言う。
水曜日、主治医のクリニックで脳圧を下げる点滴をしてもらった。
この日高濃度ビタミンCの点滴もした。
3度目だが私は効いているように思う。
元気になる気がする。話もたくさんしてくれる。
とは言え、頭痛は心配だ。昨日ガンマ外来に電話した。
おかあちゃんによく聞くと額の枠付けのために付いた傷のようだった。一応本日受診した。
聞きたい事もあった。腫瘍は5つ詳しい調べればもっとあるかもと言われたからだ。
先生に質問したら、「詳しい調べたら、3つだった。」と言われた。
嬉しい。そんな事ってあるんだ。
おかあちゃん、よかったね。

転移

2011年06月05日 10時53分41秒 | 食事
おかあちゃんの頭部転移は3箇所だった。
ガンマナイフの治療は頭部の枠付が痛い。
初めにネジを留める4箇所に麻酔注射をする。
おかあちゃんの、「痛い。痛い。」と言う声が外まで漏れて
私は、その場に立ち尽くした。
何も出来ない。上手くいきますようにと願うだけだった。
枠付け後、疲れからだろうか爆睡した。
看護士が何度も起こそうとして体を叩くが起きる事はなかった。
爆睡の中、枠付けをしたままCTもMRIも終えた。
約2時間、部屋に戻って何度体を揺すろうが、声をかけようが起きる事はなかった。
看護士が迎えに来た。ようやく目を覚ました。
ガンマナイフ治療中、おかあちゃんはずっと起きていたそうだ。怖かったと訴えていた。
先生の説明を聞いた。画像を見ながら「上手くいった。1つ出血があり腫瘍本体を探してガンマナイフ治療をした。本当なら出血が治まってからの方がいい。しかし待っていられない。上手くいったから。」
追加として出血が何かをもたらさなければならいいかと言われた。
今点滴をしている。これが終われば治療は終了となる。

イレッサ

2011年06月03日 21時26分01秒 | 食事
再開から5回目

今日、おかあちゃんは脳に転移した
腫瘍を取るため入院した。
私も一緒だ。今おかあちゃんは脳圧を下げるための
点滴をしている。
明日、頭部ガンマナイフをするために、
薬用シャンプーで洗った。
その後、シャンプーキャプみたいなのをかぶっている。
それを取ろうとする。
今夜は眠れそうにない。
イレッサは脳転移に効果があると
先生が言った。
小さなのは消えると言われた。
そうなったら嬉しいな。