おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

迷子のお母ちゃん

2007年12月22日 04時05分37秒 | 日々の事・京都に生れて
師走の京都 四条に母と買い物に出かけた。
まずは宝くじを買ってそれから大丸と高島屋に行きましょうの計画だった。
四条烏丸で宝くじを買って 大丸へ。
そして四条河原町の高島屋へと思っていた。
だが、母は高島屋の近くの銀行で買うと言う。
スピードくじをそこで買ったら当たったからと言う。
私はそこらには確かに銀行はあるが、宝くじを売る銀行ではない。
そう思った。母に説明をするがあると言い張る。
では。と高島屋に車を止める。
四条通を歩くがそんな銀行はない。気がつけば新京極まで来ていた。
母に祇園祭のお旅所で待つように言う。車を駐車させられないから絶対に動かないでね。

私は駐車場に戻り車を出した。車も多い。母を捜すが見当たらない。
仕方なく四条烏丸の大丸の駐車場に車を止め四条通を歩いて探す事にした。

段々、不安になって来た。やっぱり一緒にいるべきだった。
前もこんな事あったのに。学習能力ないなあー。

お旅所にたどり着くと母はいた。小さな母は立っている人に隠れて見えなかったのだ。
お母ちゃん。勘弁してよ。ちゃんと分るようにいてよ。

長く待ったので寒いと母はぼやく。

それから宝くじを30枚買って大丸で買い物をした。
宝くじはジャンボだけ毎回60枚買う。
でも、当たらないから今回は減らした。(^^ゞ

私は手術して3週間しか経ってないがん患者だよ。お母ちゃん。
でも、私にはいいリハビリになった。
オッパイはまだ触ると少し痛いがそれ以外はまったく変わらず元気だもんね。

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同室のHさんの話

2007年12月18日 03時29分38秒 | 乳がん記録
同室のHさんの話。私より遅れる事1週間のち退院した。
Hさんからのメールでオッパイに水が溜まっているらしい。
苦しい胸の内を知った。うまくいくといいな。

彼女は同室の中で一番の長くいた。
オッパイのドレーンが抜けない。リンパ液が減っていかないため退院できない。
「皆さん、先に退院される。私も早くしたいけど…。」と言っていた。
私とWさんは「今更 急がずに確実に治してからの方がいいよ。」と。
彼女もそうしようと思っていると話していた。

私は先に退院した。そしてHさんとWさんと後から入院して来たUさんが残った。
Wさんは私と一緒に退院するはずだったが。

Hさんは乳がんが分ったのは風呂場の掃除をしていた時にひっくり返った。
その時オッパイをいやと言うほどに打った。それから数日後オッパイに違和感を感じた。
しこりがあった。それまでオッパイは自己検診をよくしていたと言う。

病院で見てもらうとおっぱいの先から液が出た。
紹介されてこの病院に来た。
オッパイを打った時にガンが破裂したらしい。破裂がなければそれだけを取ればよかったがHさんのがん細胞はリンパまで入っていた。

Hさん曰く 「風呂場でひっくり返らなければ見つからなかっただろう」と。
Hさんは私が帰る少し前から点滴の抗がん剤が始まった。
これが決まった日 Hさんは泣いていた。
先生からカツラの準備がいると伝えられた。
2週間に1度を8回。
「12月~3月まで春になる頃には終わっているよ。それでこれからの生活が安全なら頑張ろうよ。」
私とWさんはHさんは励ました。
1回目の点滴は何事もなく終了した。 
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抗がん剤の副作用かな。

2007年12月16日 16時13分48秒 | 乳がん記録
舌が痛い。のどが痛い。ピリピリする。
飲み始めてから数日でこの症状は起こった。
薬の量は減らしてもらった。
次回27日に手術の後の検査の報告と今後の治療法など
話してくださる。そのときまで飲んでみようと思っている。

食べ物の味も変だ。四六時中 舌が痛い。のどが痛い。ピリピリする。
いつまで続くのか。いつまで私がガマンできるのか。
本当のガンとの戦いが始まった気がする。

NHKのドラマで乳がんのために死んでいく。そういうのが放送されていた。
お願いだから、治って克服して今もたくましく生きている。
そんなドラマが見たいナァ。
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だからね。おかあちゃん。

2007年12月16日 16時00分24秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私は術後初めての診察に行った。
そこで年配の方とお話した。79歳で今年4月に手術をなさった。
母と歳が近い。乳がんも年齢は関係ない。
「この歳になって、オッパイが醜くなるのはショックですよ。」 と言われた。
私はハッとした。年齢が上になっても女性は女性なんだ。
おばあちゃんはオッパイなんて関係ない。なんて事はない。

母にも私は女性を否定する事を言っていないだろうか。
随分と傷をつけていると思う。これからは言葉に注意しなくてはと思った。

この頃の母は、前よりは体調はよさそうだ。
でも、すっきりという訳にはいかないみたいだ。
散歩に行こうと誘ってみるが 「行かへん。」 と言う。
風邪は引かれたくないが心配だ。
自分自身の事もあるが母の事が気になる。
私は母に言う。 「元気でいてくれないと私も頑張れへんからね。」

母は手術の日に来てくれて他の患者さん同士の会話を気にしている。
「2年が危ない。」 再発の危険を話されていたらしい。
私は 「大丈夫だから。」 と言うが心配なのだ。

おかあちゃん。私は大丈夫。だからおかあちゃん。無理せず痛いときは言ってね。
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私のオッパイが人を救う

2007年12月16日 15時52分06秒 | 乳がん記録
12月14日

退院後始めての診察日だ。
先生は傷口を「 綺麗になったね。」と言われた。
私も本当に綺麗になったと思う。
「元気になったね。」と先生。
私 「最初から元気でしたよ。」
先生 「手術前から元気がないようで・・・。」と心配してくださっていた。
不安がないわけではないが 先生のやさしさが嬉しかった。

「オッパイを見せてあげてくれないかな。手術を怖がっている人がいる。」
と先生から言われた。
私は自分のオッパイを見せることで勇気を持ってくれる人がいるならお役に立ちたいと思った。
これってすごくない。私のオッパイが人を救うなんて思いもしなかった。
彼女は診察室に入っていくと涙ぐんでいた。他の病院で怖い事ばかり言われたと。
術後間もない私と年数の経った方のオッパイを見ての安心の涙だった。
「京都の中心で私のオッパイが人を救う。」なんてネ。本当にすごい。

検査結果が出た。27日に説明がある。右のオッパイからも微小ではあるが
ガン細胞は出たそうだ。

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何もかもが初めての経験

2007年12月13日 23時43分19秒 | 乳がん記録
昨日 退院した同室のWさんから電話があった。
彼女のオッパイが赤く熱を持っているというのだ。
彼女は「私のオッパイが赤く触ると痛いの。」  と言う。
「ごめんね。誰に話していいか分らなくて。」と。
彼女は他の病院で2年前に右乳房の手術を受けたが痛いのが今も続いている。
それで先生の評判を聞きこの病院に来たのだ。
部分麻酔で手術を受けた。通えるなら日帰りでも出来るほどだと聞いていた。
彼女の場合は抜歯が済んで帰る予定だった。
だが1週間後彼女のオッパイに異変が生じた。
赤くなって痛みを伴った。先生は検診に来られたときに異常に気づかれて
傷口から中のものを吸収するタンポンと呼ばれるものを入れた。
その時の痛みはすごかったらしい。そして点滴が始まった。
2日間は1回。3日から2回だった。私と一緒に退院を迎えるはずだったが
彼女の入院は延期された。昨日退院出来ると嬉しそうにメールをくれたのに。

私は彼女に「私達は何でも初体験なんだから先生に聞かないと。」と言った。
彼女は「先生は見て帰っていいと言ったから。」と言う。
その時は大丈夫だったにしろ今日は痛いのなら早く聞くべきではないかと言った。
彼女の次の診察日は2月8日だと言う。それまでのは日が空きすぎる。
彼女は明日先生に電話をする事にした。

私は明日退院後、初めての診察日だ。
抗がん剤の性かホルモン剤の性か舌が痛い。
痛さは何もしなくてもすごく敏感になったのかヒリヒリではなくピリピリといった感じだ。のども痛い。風邪を引いてすごく咳が出た後のあれたような痛さだ。
何もかもが初めての経験だから怖い。
私はこのまま生きたとしても社会復帰は出来ないのだろうか。
いつまで生きられるのだろう。私のガンは初期で手術をすれば終りではなかったのか。
不安だ。負けてはいられない。
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乳がんの仲間たち

2007年12月10日 07時35分05秒 | 乳がん記録
退院して2日。入院時は個室がいいと思っていた。
私が入院した病院は先生の方針だろうか。乳腺科は個室が取れない。
同じ病気の人が4人部屋に入る。
これが良かった。同じ病気だから話が出来る。
女性に取って微妙な場所なので1人で考え込むより
同じ病気だと話安いし 頑張ろうね。ってなってくる。
一人が退院してベットが空く。そして又新しく入って来られる。
私の部屋には初めに2人いらしゃった。
私が入院して次の日 Wさんは入院して来た。
彼女は前の病院で乳がんの手術をしたが2年経った今も痛いと言う。
見た目にも温存はしたものの歪な形をしているらしい。
翌日、私達に送られ手術に向かった。
手術をすると乳房内で固まったものが筋肉に癒着して腕を動かしたりすると
それが引っ張られて痛かったのだと言う。
先生が来られて「痛かっただろう。」と話し掛けられていた。
他の方の話は追々書く事にする。

やっと我が家に帰れたと思うと本当に嬉しい。
初期とは言えガンと名前がつくからはこれからも再発とか
体質から他のガンにもなりやすいのかもと思う。

退院して初めてパソコンからの更新だ。

病院からの携帯電話でのブログ更新は私を助けてくれた。
うまく言えませんが、入院生活を毎日考えさせてくれた。
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今日 退院です。

2007年12月08日 09時31分10秒 | 乳がん記録
帰ります。やっぱり嬉しいです。お薬をもらって帰ります。次回の予約表も持ってくると聞いてます。まだかな。帰るよ~。(屋上から 東寺と京都タワー)
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退院の準備は済みました。

2007年12月07日 19時55分25秒 | 乳がん記録
明日 朝にお薬をもらって帰ります。検査が出たら今度の事等を先生が説明してくださいます。どんな結果も受け入れ治療をするつもりです。もちろん疑問点は納得いくまで質問していきます。
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抗がん剤

2007年12月07日 14時14分27秒 | 乳がん記録
明日 退院します。やっぱり嬉しいです。私と一緒に退院する方と京都駅の伊勢丹に行きました。入院して10日しか経っていないのに百貨店は嬉しかったです。(伊勢丹のクリスマスツリー)
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