おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 食事が少し出来た(*^_^*)

2008年02月27日 23時38分07秒 | 母の事(肺がん) そして絆
今日は12時前に病院へ行った。
お惣菜を買って持っていった。
何も口に出来ない母だったが、病院で出るお粥と芋茎の酢の物・おからの煮物
家から持っていった梅干と千枚漬け・大根の漬物と栄養価はないが食べてくれと
思っていた。母はおいしい おいしいとお惣菜に箸をつけた。
嬉しい。何でもいいから口から食べてほしい。
点滴で栄養を取っていては帰れない。

夕食を一緒に取ろうと、買出しに行った。
金平ごぼうと筍の煮物。
病院に近くなって気がついた。これは母には硬い。
案の定 食べられなかった。ちょっと機嫌が悪かった。ごめんね。m(__)m
その代り いままで病院のおかずに箸をつけなかった母がかぼちゃとインゲンに煮物を
食べている。すごく嬉しい。  

 今週には帰ろうね。おかあちゃん。
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全身転移と言われた人が…

2008年02月27日 01時59分42秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母が入院している病院で乳がんの患者さんと久しく話すようになった。
彼女は体格のいい人だ。身長は160センチ位で体重は90キロはあるだろう。
彼女は他の病院で脇の下のリンパにガンが見つかった。オッパイには見つからなか
ったそうだ。そこの病院のカルテには全身転移と書いてあったそうだ。
相当のショックを受けた。と言っていた。

先生の評判を聞き、この病院に来たのだ。
始めの診察のときに 超音波診断ですぐに乳がんを見つけ「すぐに治療をした方がいい。」と言われた。
6センチとガンが大きかったので、抗がん剤を始めた。体力があるからだろう。
副作用は出なかった。しかし、最後に髪が抜けた。一気に抜けたと彼女は言っていた。
「髪は抗がん剤を止めれば生えてくるから、体調が悪くなったりせずに良かったね。」
と私は言った。

母は彼女のように若くはないし、体力もない。
しかし、母のガンも彼女のように小さくなってくれればと希望が持てた。

お母ちゃんは まだ食欲がない。でも夕食に出たお粥をみんな食べた。

看護師にはおかずも食べないと栄養が付かないと言われた。
でもね。お粥を食べられただけでも良かったって思うよ。 また、薬を始めたら苦しめる事になるのだろうか。
でも、希望を持って頑張って見ようよ。

私の大事なおかあちゃんへ。
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病院でのおかあちゃん

2008年02月24日 01時22分50秒 | 母の事(肺がん) そして絆
病院に行くと母はベッドで横になってテレビを見ていた。
私 「どう。調子は。」
母 「今日は朝からしんどい。調子が悪い。ごはんもほしくない。こんな日もあるやん。」
私 「また食べられるわ。」
母 「先生が見に来て下さった。元気になる。って言わはった。」
ありがたかった。先生は母の病室をよく訪ねてくださる。

私は持ってきた洗濯物を整理しながら
  「下着とタオルを入れとくね。明日着替えるのはここに入れとくから着替えてね。梅干も持ってきたね。」
母 「うん。分かった。」
私 「ティッシュがないわ。買ってくるね。」
私は散歩がてらに遠いスーパーへ行った。母がほしいと言ったジュースがよく分からないので3つとプリン2つと
私の朝のパンを買った。外に出ると強い風に雪が舞っていた。母と一緒に、こんな雪の中を歩くことが出来るだろうか。
小さな体で苦痛に耐えている母を思うと…
それでも私は母がいい状態になる事しか考えられない。この先、何年も母と暮らせますように。 
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少し食べられるように

2008年02月21日 04時20分05秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母は土曜日からまったく食べていなかった。
水を少し飲もうとしても受け付けず吐いてしまった。
私は後悔とも何とも言えない感情に捕らわれた。
抗がん剤を考え、嫌がる母を説得して始めた。
こんなに苦しんでいる母を見ているとこれは間違いではなかったのか。
でも、これ以外に方法はあったのか。
このままだと、数ヶ月と言われて放っては措けなかった。
しかしこの苦しみを見ていると…

母が食べられなくなって3日目の火曜日。
お腹が痛いと言い出した。我慢強い母がこの苦しみは。
私は母のお腹をさすり続けた。看護師は聞いてきますと言ったまま戻ってこない。
寝てジッとしているのも出来ないくらいだった。
私はベットに座り母を後ろ向けに抱きお腹をさすった。
苦しむ母を抱きながら「何とかしてよ。」と言った。

若い先生が来て、腹を押さえたりしたがすぐに戻っていった。
しばらくして看護師が点滴を足しにきた。それは何かと聞いたら痛みどめだと言った。
すぐには効きませんから。と言った。
長く時間が感じられた。「少しはマシになった。」と聞くと
「1割くらい」と母が言う。それでも良かったと思った。
面会時間ぎりぎりまでいた。その時にも聞いた。
やっぱり1割よりちょっとだけマシだと言う。
心配だが看護師に後を頼んで帰った。

4日目の水曜日
朝から散らし寿司を作った。と言っても瓶入りを混ぜるだけのものだ。
ちりめん山椒を作った。鮭を焼き、伏見とうがらしを焼いてしょうゆに絡めた。
それにサツマイモ。を弁当箱の2段目に入れた。
散らし寿司は下に入れた。
何も口にしない母に看護師が何かを持ってきてあげて下さい。と言ったから。
母は病院に着くと昼にかゆを食べた。と言った。
「良かったな。少しでも食べられるようになって。」
母も嬉しそうに笑った。久しぶりの母の笑顔。
弁当を広げた。他に千枚漬けを持ってきた。
それをおいしいと食べた。
だけど夕飯に私がみんな食べた。母は夕飯におかゆを半分。買ってきたのりの佃煮で食べた。
病院だけど、2人で食事が出来た。私には嬉しい日になった。
これからの治療を考えると不安も沢山あるけれど頑張れる気がした。
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母が入院

2008年02月19日 04時31分00秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母が抗がん剤を始めて2週間が過ぎた。
今週は休止だ。経口を止めた日から母に異変が起こった。
金曜日まで飲んでいた。土曜日から母は食欲がまったくない。
日曜日には吐く。下痢をする。咳き込む等。
見ているのが辛くなるくらい。
病院へ行こうかと言うが、「ジッとしていると治るかもしてない。」と言う。
月曜日の朝を待って病院に電話をする。
母の主治医は今日は非常勤だ。
どうする。どうする。気だけが急いていた。
受付は「今日は先生がいません。明日なら違う先生ですが呼吸器の外来があります。」
私は「今、苦しんでいます。明日までは待てません。何とかなりませんか。」
受付「内科の先生に診てもらうようにと言うことです。」
「では、連れて行きますのでよろしくお願いします。」
電話を切って不安が募ってきた。

そうだ。N先生(私の主治医 乳腺)に診てもらえないだろうか。
先生はいつも母の事にも相談にのって下さる。
呼吸器のO先生を紹介して下さったのも先生だ。
診察中に申し訳ないと思ったが先生に電話をした。
いつもに優しい声が聞こえた。「どうしたの。」
私は事の経緯を説明した。すぐに「連れてきて。」
と言ってもらえた。

病院に行くと看護師から血液検査しましょう。と言われた。
先生から指示が出ていたみたいだった。
質問をいくつかされた。昨日からの事を話した。点滴をすることになった。
2時を過ぎていたと思う。先生が点滴している場所に来られて
「脱水状態を起こしている。入院した方がいい。私が責任を持って診るから。」
と言って下さった。こうして母の入院生活が始まった
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元気も考えもんだ。

2008年02月15日 05時34分11秒 | 乳がん記録
私は至って元気である。
一昨日掃除をしていたら家具の後ろにほこりが溜まっていた。
毎日 掃除機を突っ込んで掃除しているのになんて事でしょう。
そう思って、家具を少しづつ づらしながら掃除を始めた。
まずは掃除機で それから拭き掃除。
満足。綺麗になった。掃除を終えお茶にした。

1時間くらい経って立とうしたら 痛い。激痛。腰が伸びない。
私もまだまだイケるやん。って思っていたのに…
あ~あ~。なんてコッタ。
1日空けても痛い。腰が伸びない。
少しずつ腰を伸ばす。情けない格好だ。
反省してこれからは何でも考えてから行動しよう。と思う。
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京都に雪が舞う

2008年02月15日 05時26分53秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の抗がん剤治療は今日で2週間になる。明日から1週間は薬の服用はない。
この間、母の症状は今週に入り微熱と咳が続き、風邪の症状も見られる。
心配だ。今日、診察に行く。
1週間目の血液検査では白血球が3900→2900に下がった。
風邪もこのせいかも知れない。今日も検査がある。
これ以上に下がっていませんようにと思う。

京都はここ2・3日は冷え込む。雪も。
母は  「雪だるまが出来るくらいに降るといいな。」  と言う。
私は風邪引かないでと思う。
テレビに雪の金閣寺や銀閣寺が映し出される。美しい。
母には「寒いし。テレビで見るのがいいな。」って言った。
いつか行こうね。おかあちゃん。

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抗がん剤の副作用???

2008年02月07日 16時31分44秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の抗がん剤治療は6日目を迎えた。
ふくろはぎに激痛がはしり驚いたが、一過性なものでさすったりして治まった。
熱が37.3度が1回。尿量減少等々。
いろんな事が起こる。極めて軽いものだ。
これから、どんな事が起こるか想像も付かない。
1番はこの薬が母に効いているかと言う事だ。
効いてくれと母が薬を飲む時思う。

定位放射線治療を受けたK大学病院の先生が広島へ移られる。
ショックだ。母はこの先生がとても好きだった。
とても、優しく接して頂いた。
次回3月25日に後任の先生を紹介すると言われた。
「広島は遠いから来られないしね」
ショックですがよろしくお願いします。と、診察室を出た。

前日、大丸で母がバレンタインディのチョコを選んだ。
先生に母が渡した。先生は嬉しそうにして下さった。
母もとても嬉しそうだった。

帰りの車の中で母は 「広島は新幹線ですぐだし、先生に会いに行こう。」
と言った。私はすごく嬉しかった。
いつも、寝てばかりの母が元気そうに言った。
「そうだね。行こう。観光も出来るし。お母ちゃんが元気で行けたらメチャ嬉しいし。」
絶対に行こうと思う。先生も「電話もしてくれたいいからね。」
と言って下さった。本当に実現出来るようにと祈っている。
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お母ちゃんの抗がん剤が始まる 効いてくれと祈る

2008年02月03日 02時32分22秒 | 母の事(肺がん) そして絆
金曜日(2月1日)母は診察に行った。
その前に先生に私だけで話を聞きたい。と4時に会うことになった。
抗がん剤の副作用の事を詳しく聞いた。母は小さくて抵抗力もない。
食べ物をあまり食べてくれない。体調も悪い。等々先生にもう1度話しお願いした。
取り合えず副作用の少ないものをとお願いした。

イレッサの事もたくさん聞いた。
いい薬だと私は思った。始めからイレッサにしてはどうなのか。
の私の問いに先生は第一段階からする薬ではない。事を説明された。
イレッサはガンそのものを攻撃するため副作用が少ない。
しかし、他の抗がん剤は正常な細胞も攻撃する。その為 副作用が出る。
というものだった。夢の薬は本当だった。(リスクも他の抗がん剤に比べると高い。
後で使っても効果は同じだという事。なら、駄目だったときに取っておこう。

母と6時に病院へ行く。
先生がやさしく薬について母に説明してくれた。
先生に母が診察に来たときは 聴診器で胸の音を調べてください。とお願いしてあった。
先生は胸の音を聞かせて。いい音してるよ。と言われた。
母は少し安心したように思えた。
話だけより聴診器を当ててくれる医者の方がなんとなくいい。

2日から経口の抗がん剤を朝と夕の食後の飲む。
効いてくれと祈る。

PETの結果はピンポイント放射線療法を受けたほうに影がでている。
ピンポイント放射線療法を受けた部分はがん細胞は消えていた。
やっぱり素晴らしい療法だと改めて思った。

私は体に負担の少ない放射線がいいと今も思っている。
ピンポイントが駄目ならもっと他にあるはずだ。
きっと探してみせる。母の命は私が延ばす。
それも元気でいられる方法を。
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