おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん ありがとう

2011年12月31日 03時16分03秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん

私、よく寝たよ。9時くらいに眠くなって、さっきまで寝てたよ。
テレビだけがついていた。
ビオラもやっと植えたよ。「おかあちゃんに綺麗やろ。植えるね。」
そう言ってたのを、昨日植えたよ。
肥料もいっぱい入れたので綺麗に咲くよ。

「おかあちゃん、私がそう呼ぶ人はおかあちゃんだけだよ。
おかあちゃんも、そう呼ばれるのは私だけだよ。」
そう言ったらおかあちゃん、うんうんって頷いた。
今、思い出すと私は泣いてばかりいたね。
おかあちゃんに涙を見せまいと思っていたのに泣いてたね。
おかあちゃんが、起きた時にいてあげたい。そう思ってベットの横に座っていた。
座ったまま居眠りしていた。ふっと目を覚ますと、おかあちゃんがじっと私を見てた。
「おかあちゃん、ごめんね。起してくれればいいのに。」って言ったら『ううん。』って
首を横に振ったね。気遣ってくてたね。
今思うと、私の事心配してたんだろうね。私は大丈夫。大丈夫。
おかあちゃんの子供として恥ずかしくない人生を送るよ。安心してね。

おかあちゃんとの思い出

沖縄旅行に行った時。
私は旅行の費用は、全部したかった。
おかあちゃんがお土産を買うと言うから私がお金を払った。
そしたら、部屋に戻るエレベータの中でおかあちゃんが泣きだした。
どうしたの。ってびっくりしている私に「自由にしたい。自分のお金で買いたい。」って。
部屋に帰って「ごめんね。私は旅行中のものは、みんな私がしてあげたいと思った。
おかあちゃんが出してあげるって言うのは嬉しいよ。」
次の日、高級ステーキハウスでディナーを御馳走になった。
おかあちゃんの嬉しそうな顔をみて、私も嬉しかった。
すごくおいしかったね。雰囲気も最高だったね。
それから、私はおかあちゃんに御馳走になったりプレゼントをもらう事が多かった。

ありがとう。いつまでもいつまでも私の最高のおかあちゃんです。
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おかあちゃん 坊主と戦った

2011年12月30日 07時20分29秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん 昨日ね。お参りの事でおっさんに電話した。
27日のお参りの時に初月命日と五七日を一緒にして
月命日の7日にしましょう。と言ってた。
私も分からないので「それでいいなら。」と答えた。
HPを見ていると五七日は重要な日だからと書いてあった。
こんな事まったく分からないのにあの坊主って思った。
この前、御仏壇の事で相談したら、自分の紹介する仏壇屋に行かない私に
「もう、好きにしやはったよろしい。冷たいようですけど。どうぞ好きにして下さい。」
って言った。私はそれから眠れない。昨日は眠らなかった。
こんな坊主に、おかあちゃんの供養をちゃんとしてもらえるのだろうか。
49日に仏壇が整わなかったら位牌だけ用意すると仏壇屋もインターネットにも
書いてある。だのにあの坊主は「仏壇を買わはる時までこのままで位牌の用意は
いらない」と言う。絶対におかしい。おかあちゃんをないがしろする事は許さん。
と思うと胸がドキドキしてきた。

お寺に電話して法要の日取りを元に戻して10日にして下さい。
と連絡した。坊主はいなかったので家の人に伝えた。

待つ事3時間くらいして電話があった。
坊主が日取りの変更と時間を言ってきた。
その時私は思いの丈を伝えた。
「好きにしろ事でしたが、坊主の言う事ではないと思う。私は初めての経験で
どうしていいか分からないのに好きにしやはったよろしい。などと言うのは
いかがなものか。私は一睡も出来なかった。母をないがしろにする事は許さない。
今後手を抜いた事をしたり、母を軽く扱ったりする事は許さない。仏様は私の大事な人
です。」と言った。
「決してそんな事はない。おかあさんへの思いは葬儀の時から伝わっている。
私が言った好きにすればいいというは仏壇に対して言ったことで、自分で気にいった
のを探すと言ったので好きにしやはったよろしい。と言った。決しておかあさんを軽く
扱うなどはありません。言い方が悪かったかも知れない。」と坊主は言った。
「位牌はもし仏壇が購入出来ない場合作る。その際ちゃんとして下さい。今の白い
位牌は49日を過ぎると仮のものなので、それこそ母は行くとこを失う。そう言わはった
やないですか。仏壇を買えない人はどうするのですか。ずーと供養されずにいるのですか」
坊主:「100日までには買うと言わはったので。それなら仏壇に合わせて作った方がいい。と
言った。決して軽んじてはいない。」と言った。
「私は、買えないかもしれない。来年の6月に仏壇に対する法律が出来るからそれからにしようかと
考えている。」と、言った。
「おっさんの紹介する仏壇屋に言ったら断れない。そう言われたら見にいけません。」
坊主:「そんな事言っていない。高い買い物なので気にいらなかったら断ればいい。」
そう言うので見に行く段取りを決めた。当たり前だよね。見たら絶対に買う。そんなのあり得ない。
11日10:00仏壇を見に行ってくる。

おかあちゃん、私の宝だった大事な人。
この先も私は、守るよ。
今日は坊主との戦いの日でした。
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おかあちゃん 隣に行きたい

2011年12月30日 00時50分34秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん 涙が止まらない。
今日はおかあちゃんを呼び続けた。
おかあちゃん 会いたいよ。会いたいよ。

御仏壇はまだ決まらない。
49日までには決めてあげたい。
おかあちゃん、きっときっと決める。
ゆっくり決めるのがいいのか。でも行く処がないと言う坊主の言葉に
私は昨夜寝られなかった。一晩中インターネットで仏壇につて調べたり
現物をみたりした。
おかあちゃん、これが本当におかあちゃんの為にしてあげる大きな事の最後だね。
頑張るよ。これが終わったら私はもう何もなくなるのかな。

楽しい事書こう。
私がテレビを見ていたら、おかあちゃんが私に「えいー。えいー。」って
やってた。「どうしたの」って聞いたらおかあちゃん、「四の字固めをかけている。」
って、一生懸命やってるの。痛くも何ともない四の字固め。
可笑しくって。可笑しくって。かわいくって。かわいっくって。
でも、私反撃に行った。おかあちゃん、痛い痛いって。
「ロープ。ロープ。」って。逃げるの。
私は163センチ。おかあちゃんは140センチ。
勝ち目はないよ。
楽しかったね。私達親子はこんな事ばかりしていた。
おかあちゃんは、本当によく遊んでくれた。
幸せだった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

ちょっと笑えたよ。頑張ってみる。
来年、働けたらいいな。
5年以上も働いていないけどなんか出来る。
何かしないとね。
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おかあちゃん 今日は辛かった

2011年12月29日 01時18分41秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん 思い出話を毎日1つづつ書くね。

これは、私が中学生の頃の話です。
私がテニス部に入っていじめられた時の事。

私が、中学の制服のスカートを着替えてテニス練習の後
他の人が私のスカートをはいてしまった。
私が「それは私のだ。」主張したのにみんなが彼女の方について
私をいじめに入って。泣いていた。
それを見ていた人がおかあちゃんに言った。
おかあちゃんは、走って学校に来た。
そして、「うちの○○子をいじめているのは誰や。」と言った。
おかあちゃんは中学生より小さい体だったけど必死で言ってくれた。
お陰で、いじめは起こらなかった。
あの時のおかあちゃんの迫力はすごかった。
私は守られているな。って思った。

後で聞いた話では、同じ中学生が言ってきたらしい。
おかあちゃんは学校にいくまでどうして行ったか分からない。
と言っていた。
「うちの子を…」必死だった。と言った

今もいじめの話をよく聞くが、捨て身でおかあちゃんのように我が子を
守れば解決出来るかな。

あの時、おかあちゃんが来てくれなかったら私はどうなっていただろう。
いじめの対象のされたかもしれない。
ありがとう。おかあちゃんの愛を感じるよ。

今日は、おかあちゃんを思って小さな子供のように泣いてしまった。
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おかあちゃん 会いたいな

2011年12月28日 03時25分19秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私会いたいよ。
よく夢に出てくるとか言うけど、ちぃっとも会いに来てくれないね。
もう私の事を、忘れたの。悲しいよ。

おかあちゃん、今日写真を見てた。
オーストラリアに行った時
おかあちゃんとメルボルンで路面電車に乗った時、料金をどこで払ったらいいのかきょろきょろして
運転手に「How Much」って聞いたのにニコニコして降りていいよって感じだった。
2人で料金払わずに乗ったね。後で2人で笑ったね。
2人の旅行はいつも可笑しかった。楽しかったね。
オペラハウスの前で2人「ふ~ん」って感じだったね。
町は美術館のように美しかった。象像が多かったね。
夜私がお風呂に入っていたら、非常ベルがなってあわててロビーにいったらいっぱいの人で
消防車まで来ていてびっくりしたね。結局よく分からずみんな帰って行ったね。
怖かったけど面白かったね。
2人で町を歩いたね。大きな協会があって入った。
パイプオルガンが流れていてお正月だったから、オーストラリアはクリスマスの飾り付けが
してあって信心深くない私達もおごそかな雰囲気を感じたね。
楽しかった。思い出すと微笑んでしまう。

旅行も、5年前から行かなくなった。
もう1度行きたかったね。
どこでもいいから、遠いとこでなくても車でちょっとづつ進んで
滋賀でも行きたかったね。

今度の入院の時にそうい言ったら、おかあちゃん「行けるかな。」って行ったやん。
おかあちゃんは私と一緒じゃない旅行に行ったね。
私がいなくて1人で大丈夫。1人ぼっちなの。心配だよ。
ちょっとづつ、いってらっしゃい。

ありがとう。愛してくれてありがとう。
好き好きだよ。おかあちゃん。

  
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おかあちゃん メールしたよ

2011年12月27日 05時22分00秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、携帯にメールしたよ。

おかあちゃん、。私が見えますか。
おかあちゃんの子供で良かった。
ずっとずっと、おかあちゃんが好き好きです。愛しています。
おかあちゃんは私の心の中にいます。
ずっとずっと一緒です。会えてよかったこれからもずっと一緒。
ありがとう。ありがとう。
何千万回言っても足りません。
毎日、会ってるんだね。

おかあちゃん、携帯買ったけど上手に使えなかったね。
考えれば、おかあちゃん、覚えられなくて当たり前。
かわいかったな。携帯電話を一生懸命覚えようとしてた。
思い出すと、笑みがこぼれる。
私は、本当に幸せだった。
いい思い出がいっぱい。嬉しいです。
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おかあちゃん 薬の時間

2011年12月26日 06時28分17秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、寒いよ。
年末だもんね。風邪引かないようにしないとね。

明日は三七日だよ。おばさん達は病院予約で来られないそうだ。
この前は、そんな事言ってなかってけどね。
仕方ないね。みんなお年だし。
でも、よくやってくれたよね。

おかあちゃん、夜8時なると携帯電話のアラームがなる。
目薬の時間だよ。アラームがなると「目」って出るんだ。
おかあちゃん、これはおかあちゃんと私が繋がっている事なんだ。
だから、それを見て泣いていたけど、私は消さないよ。
おかあちゃんって思えるから。

おかあちゃん、ビオラを植え替えるね。
買ってきた時おかあちゃんに「綺麗やろ。」って見せてそのままになってる。
お水はあげているから綺麗なままだよ。

おかあちゃん、楽になったんやね。よかったね。
もうしんどい思いしなくていいね。
おかあちゃん、少しづつ少しづつ前に進もめそうな気がする。

ありがとう。おかあちゃん。
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おかあちゃん おかあちゃん

2011年12月25日 19時43分36秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私が呼んでいるのが分かりますか。
私はおかあちゃんに子供のようにまつわりつきたい。

おかあちゃん、私は子供の頃、おかあちゃんはすごいって思ってた。
子供の頃、私達は銭湯に行っていた。
家から銭湯までそんなに距離はなかった。
それでも、私にはおかあちゃんとの遊び時間だった。
私はおかあちゃんより早く走って隠れる。
クックっと笑いを堪えて隠れている。
するとおかあちゃんは、そっと私を上から覗いた。
私は「ワァ。」と言って又走って隠れる場所を探す。
『おかあちゃんはすごいな。完璧に隠れたのに分かってしまう。』そう思ってた。
お仕事で疲れているのに、おかあちゃんは時間を作って思う存分遊んでくれた。
おかあちゃんはスーパーマンのようだった。
寝なくても大丈夫。「おかあちゃんは、どうもないよ。へちゃらや。強いんや。」
そう言ってた。私はばかだから本当にそうだと思ってた。
大きくなってお医者さんから「おかあさんは小さいし、体重も少ない。体力がない。だから風邪はひかないように
注意してあげて。」多分私は高校生だった。
おかあちゃんに言うと「医者はいろんな事言うから。どうもない。私は風邪1つ引いた事がない。」
そう言った。あの頃からの無理があったんだね。
おかあちゃん、ありがとう。
私たちはいいコンビだったね。
そう言うと、おかあちゃんは笑ってた。
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おかあちゃん 幸せだったよ

2011年12月25日 04時03分07秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私は昨日は1日中眠かった。
座ってテレビを見ていても、柱にもたれかかって寝入った。
寝入る前すごくいい気持だった。
このまま、目が空かなくてもいいな。って思った。
1時間ほどすると、目が空いた。
おかあちゃん、こんなに寂しい、悲しい思いはもう私の人生には起こらないね。

テレビでご主人を亡くされた方が、1年は泣いて過ごしました。と、言われていた。
それを見て、少しいいんだ。と思った。
おかあちゃん、見ててね。きっと明るい私に戻るよ。
今はね。どこへ行くのも辛い。時期がね。テレビを見ても。
1人ぼっちになってしまった。
でも、絶えないとね。これから1人で生きていかないといけないんだもんね。

そばにいてくれるだけで幸せだった。ありがとう。本当にありがとう。何万回言っても足りない。
おかあちゃんの愛が、ビシビシ感じる毎日を過ごしてきた。
おかあちゃんが私を愛してくれるのを感じながら生きてきた。

おかあちゃんは、素敵だった。
私に子供の頃から「○○子、好き好き。」私は嬉しくて笑う。
すると、「○○子は」と聞く。
私も「おかあちゃん、好き好き」と言うと嬉しそうに満足そうに照れ笑いをする。
それが1日何回も。私もそれが好きだった。

おかあちゃんがあまりお話出来なくなって私は言い続けた。
「おかあちゃん、好き好き。」おかあちゃんはうんうんと頷く。
「わたしの事も好き好き。」と聞く。うんうんと頷く。
これだけで幸せだったんだ。私は世界一幸せだ。

おかあちゃん、毎日伝えられてよかった。
「おかあちゃん、好き好き。」
「おかあちゃん、私を子供にしてくれてありがとう。」
「おかあちゃん、会えてよかった。」
「おかあちゃん、愛してくれてありがとう。」
毎日、何回も言った。

おかあちゃん、私はこれからも伝えるよ。
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おかあちゃん 綺麗だね

2011年12月24日 03時03分34秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん 連日仏壇屋に行ったよ。
昨日、行ったのは、老夫婦が営んでいらしゃった。
大きな仏壇屋ではあったけど2人だった。
価格は比較的に低かった。
でもね。私は安いものを探している訳ではないんだから。
選択肢があまりない店だと思った。
例えば、御道具をワイン色の真鍮に焼き付けた五具足(花立、香炉、火立、茶湯器、仏飯器)とか
御位牌も綺麗な女性らしいのがいいな。
りんだっていろんなのがあるし。いい音色のするのがいいな。
初めての体験だけど、いろいろあるよ。
やっぱり、大きな仏壇屋には沢山あっていろいろ選べた。
テレビの宣伝料もあるから高いかな。って思ったけど結局選びやすいね。
おかあちゃんは、きっと「おかあちゃんは、あんたが選んでくれたものなら嬉しいよ。休んで。泣いてばかりいないで。
しっかりしいや。」って言ってるんだろうね。
『しっかりしや。しっかりしいや。』おかあちゃんはよく言ってた。
知ってたんやね。私が1人になったら泣いてばかりいるだろう事を。
おかあちゃん、心配ばかりさせてごめんね。
私は毎日ないてばかりいるせいか、よく見えなくなってきた。
一時的なものだろうと思うから心配しないでね。
車はやっぱり私の泣く場所になっている。大きな声でおかあちゃんって叫べるから。
おかあちゃんがいなくなる事が分からなかった。
大事な大事な人を失う。こんなに辛いものだったんだね。
私は、何でも経験しないと分からない。経験のない事は分かったみたいにしてるけど
本当は何も分かっていない。
私ってチッポケな人間です。努力して少しは大きな人間になれるかな。
毎日、前に向かって行こうと思う。
次の瞬間、涙があふれてくる。その繰り返し。

今日はクリスマスイブなんだね。
昨日は四条に行ったんだ。久しぶりに大丸に入った。
人が多くて町は活気に溢れてた。それが辛かった。
負けてはいけないよね。でも、今の私には、辛い。
すぐに出て帰ってきた。
おかあちゃん、もう少し待っててね。
私は、元気になるよ。笑顔になるよ。

おかあちゃん。お母ちゃんの写真は私を見ていつも優しく笑っている。
綺麗だね。綺麗だね。私はおかあちゃんの子供でよかった。
幸せだった。ありがとう。
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