おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

がんは人間を強くする。そうだといいな。

2007年10月30日 23時31分01秒 | 乳がん記録
ガーゼの交換に行った。
待合で隣りになった方の話を聞いた。

手術は3月にした。
大きさは6センチあって 他に3つあった。
もういろんな所に転移している。

≪放射線は。≫

放射線は出来ない状態だ。抗がん剤をしている。
髪がみんな抜けてしまった。
今日はそれ以来はじめてかつらなしで外に出た。


と彼女は言った。
言葉を失った。彼女は続けた。

今のままを持続させればいい。その為に病院にいているのだ。と。

そうだね。そうあってほしい。
彼女は明るかった。それが救いだ。頑張って。と思った。

私の名前が呼ばれたので診察室に入った。
ガーゼ交換だ。ガーゼのはがされる時はちょっと緊張する。
先生はグッグーって胸を押す。
ちょっと痛いけど我慢・ガマン。
先生に質問をした。

≪石灰化のガンの事。その中にがん細胞があったら・・・・。っていいかけたら≫


まだ分らないよ。大体大きいのは採った時に分るけど。
あんたのは、小さくて。調べてみないとね。



≪袋のゼリー状のものは破れて他の細胞に触れたりしても大丈夫ですか。≫


細胞は検査に出しておいたから。それも2週間後に分る。

って、そりゃそうだよな。検査の結果を待たないと何もわからないだろうし。
まあ気楽に待つか。後はどうにでもなれって感じ。

病院へ行くまでの私の戦いがすごかった。
水ぶくれをよく見るとテープの下にあった。
透明のテープなのでよく分らなかったのだ。
交換の際にピーってはがされたら大変だと思い
ちょっとづつテープをはがしていった。
うまく水ぶくれを破らないように はがしていった。
よし~。うまくいった。と思ったときに事件は起こった。
チョロ~と水が流れた。破れた。
大きな水ぶくれはペッシャンコになった。痛みもある。
皮膚ははがれてこなかったので形が残ることはないと思う。
あー。折角うまくいってたのに。


2007.10.29午前
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手術より4日目 でも、なんか怖い。

2007年10月28日 09時41分27秒 | 乳がん記録
再手術はあるのかな。いいんだ。したって。
今度ある時は、全身麻酔だから。
怖くないかも。ウウ~ン。もっと怖いんだ。
手術から涙は1度も出ない。
悲しくはない。これで私の命が助かるなら。って思う。

では、何でだろう。
この胸のモヤモヤは。心配。ストレス。
仕方ないやん。2週間待って。
そうすれば次に進めるよ。

オッパイが朝起きると、痛痒い。
傷ではなく水ぶくれの横らへん。
やっぱりテープ負けかな。

明日は手術より5日目になるので しっかり傷を見よう。
ガーゼの交換は怖い。痛いからじゃない。
傷を見る事でもない。いいんだ。どんな傷だって。
なんか説明出来ない。
でも、なんか怖い。

外に出るのがちょっとだけ怖い。
傷にあたって来られたらどうしよう。どうなってしまうんだろう。
子供が、走ってきてぶつかりそうになった。
うまく避けた。心臓がドキドキしてなかなか元に戻らなかった。
怖かった。本当に怖かったんだ。
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手術の傷 癒えず

2007年10月27日 21時28分52秒 | 乳がん記録
手術から3日が経った。 
私はまだ傷を見ていない。
先生は昨日のガーゼ交換の際に、「きれいだ。」
って言われたので私は安心している。

今日、私はガーゼの貼られた左の乳房を鏡に映してみた。
乳房のふくらみの下のほうに水ぶくれを発見。
破れては大変と綿棒で薬を塗る。
痛い。シミル。
何だろう。きっと極度に皮膚の弱い私はテープに反応したのかも
知れない。こういうのよくある。テープがここに貼ってありました。
ってはっきり分る負け方をする。少し痛い。
ガーゼを張ってテープ負けしないテープで留めた。 

ガーゼを貼られた乳房をみると赤くなっている。
触ると少し熱を持っている。心配だ。
炎症を押さえる薬はしっかり飲んでいるけど。
テープ負け以外は痛くはないけれど。
早く月曜日がくればいい。
朝1番に病院へ行こう。

左のオッパイをかばって寝るときに動かないようにと
変な体勢になったのか体のアチコチがこっている。 

今の気分はと聞かれたら ≪平常心≫と答える。

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ガンに生活を奪われたりしないよ!!

2007年10月27日 02時47分54秒 | 日々の事・京都に生れて
昨日、母が風邪の為に医者へ行くと言うので私も着いて行った。 
私:「先生。母の風邪が2週間以上も続いています。   
   熱もズ~と下がりません。本当に風邪なんでしょうか。」
先生:「肺にダメージがあるためになんでしょう。    
    点滴をしましょう。薬も変えましょう。」

母の点滴の間 私は待合室にいた。
母には親孝行といえる事をしていない。
だから私に出来る親孝行といえば母より健康で長生きする事しかない。
おかあちゃんより私は先には死ねない。
昨年は母がガンに 今年は私にガンの疑い。
だけど不幸だとは思わない。
些細な事で笑っている。笑顔が絶えない。
そんな生活を送っている。だけど一時笑顔が絶えたことがあった。
母がガンだと知ったときに。私は冷静ではいられなかった。
そして、どんな事で笑っていたんだろうと考えるまでになっていた。
笑顔を取り戻さないと。そう思うようになっていた。
どんな事で笑っていたのかが分らない。

そんな時期を乗り越えて また笑えるようになった。
今度は私にガンの疑いが。
今度は笑いをなくす事のないようにと決心した。
上手に付き合っていこう。なってしまったものは仕方ない。
笑顔までは奪われたくない。

母がよくなったら近場の温泉に誘ってみよう。
その為にも私が健康でなくては。
今は手術後の傷が早く治るように願っている。
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オッパイの手術をしました。

2007年10月26日 16時58分50秒 | 乳がん記録
オッパイの手術をしました。
部分麻酔の為 先生の会話や肉のこげる臭いがして怖さは頂点に達しました。
初めにオッパイにマーキングがされました。
3箇所です。段々と≪切るんだな≫って思いがしてきました。
緊張のあまりつばをゴクンと何度も飲みました。

いよいよ手術です。この病院は5階が手術室です。
案内されて手術室へ。看護士さんが待っています。
もう引き戻せない。誰か・・・・。

まず着替えをします。
手術室へ入りました。
天上から丸く配列された手術室の電灯が。≪怖いよ~。≫
その下のベッドに横になります。

手馴れた看護士さんが次々に用意して行きます。
体を固定する為に2箇所をバンドで止めました。
腕を大の字に大きく開いて台の上にバンドで固定します。
右の腕に点滴と血圧計をつけます。
体全体にシートが覆い被さりました。
いよいよ手術の始まりです。

初めに何箇所にも痛み止め(麻酔)を打っていきます。
電気メスが入りました。
肉の焼ける臭いがダイレクトの鼻をつきます。
≪怖いよ~。早く終わってほしい。≫(今、始まったとこです。)

先生の会話が聞こえてきます。
「ワー。これも取っこか。」「なんやこれ。いっぱいあるな。」
私の胸はドキドキ ドキドキ~。

先生が私の話しかけます。
「みんな取っとくわ。大きな手術になるわ。時間もかかるわ。」

私「先生、痛い。」固定した体が弓なりなります。
先生 「やっぱり。ごめんごめん。」
また麻酔が打たれます。そんな事を何度か繰り返しました。
麻酔は効いてないと本当に痛いってもんじゃないです。
麻酔が効いていると初めは緊張で目を見開いて頑張っていたけど時間が経つとス~と目をつむりリラックスさえ出来ます。
   でも、麻酔が効いていないと体が持ち上がります。
   メチャ怖いし痛い。

私が目をつむっている時、先生が採れた部位を見せてくれました。
こぶし位の大きさです。
先生「これみんなやで。ビックリするやろうけど大きいで。」
私「そんだけオッパイが小さくなったって事ですか。」
私の必死のギャグ。手術が終わった事にほっとしました。
先生「終わったよ。今、縫ってるから。あんたは たくさん肉があるから再生は簡単や。」って先生それって。

検査の為の手術だけれど、先生は再手術を予告しているみたいです。
ってことは。私はやっぱりガンなんですか。
この結果は2週間かかります。

私が疑問に思うのは石灰化のガンは取らなくてもいいと聞きました。
でも、あやしい部分があって手術したらみんな採ってくれました。
手術をすればみんな採ってくれるのはありがたいです。
でも、石灰化を採ればがん細胞は必ずあるのでは。
ならば、がん細胞が見つかったって事になり再手術は絶対にする事になるのでしょうか。

もう一つは先生が手術後に言われた「袋があってその中にゼリー状のものが入っていた。このようなゼリー状のガンもある。」
手術中にこの袋が破れて出たからゼリー状と分ったとすれば他の組織に付着したと思われるわけです。
がん細胞が、正常な細胞に触れた事に危険性はないのでしょうか。

今日、ガーゼ交換に行った時に聞くのを忘れたたから月曜日には聞こうと思います。

10月25日(木曜日)
乳がん細胞検診のための手術を行う。
私はこの日を絶対に忘れない。

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オッパイ 検査の為の手術

2007年10月24日 02時55分54秒 | 乳がん記録
私のオッパイ。
明日、検査の為の手術をする。
何にも考えずにいたけれど、ここに来ると何だか何とも
変な気持ち。
出来れば手術なんてしたくない。
母が心配して「ついて行こう」なんて言うから。
「大丈夫。1時間くらいで終わるから1人で行くから。」
そうは言ったけど。不安だ。  でも 

ブラジャーは前フォックがいいんだろうか。
今日、探しに行こう。
私はいつもギリギリにならないと用意が出来ない。

人は病の器かな。いままで気が付かなかったり、あまり気
にしなかった事が今は目に付く。
今日も買い物に行ったときに杖をついた男性を見た。
お年を召した方ならさほど気にならないが、40歳台位だった。
見た目にも弱々しく、家族と思われる人がついていた。
何の病気なんだろう。しんどいんかな。
外もいいけど無理をしないほうが・・・。
なんて勝手に思ってしまう。


≪画像は中国旅行へ行った時 万里の頂上≫

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雨が降ると・・・・。

2007年10月20日 18時35分46秒 | 日々の事・京都に生れて
昨日はほとんど1日中雨が降っていた。  
雨が降ると植木に水をやらなくていい。
小さな事だけどちょっと嬉しい。

プランタンと土を買って来て二十日大根の種を蒔いた。
小さな芽が出てきた。
私の畑は今万作だ。後10日もすれば収穫だ。
何にするかな。浅漬け・サラダ うーんどうする。
収穫前の悩み。

間引きをしたら芽が倒れてちょっと心配。
新しいものが出来るって、とても楽しい。

母と私のインフルエンザの注射を予約してきた。
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がん患者の気持ち・家族の気持ち

2007年10月18日 14時15分05秒 | 日々の事・京都に生れて
私はがん患者の家族である。
私はがん患者である。
母の病状については、毎日がハラハラドキドキだ。
咳をすればもしかして。とか最悪の事ばかり考えてしまう。
こんなに小さい母が苦しむのだけは何としても避けたい。
出来るなら、このまま10年も20年も生きてもらいたい。
そう考える。

がん患者の私は まだ、はっきりしないのもあるかもしれ
ないが、なってしまったものは仕方がない。
希望のあるものは何でもしてみよう。
きっと何かいい方法がある。と楽観している。
いつもいつも考えているわけでもなく明るく生活している。

私は以前子宮筋腫になった。
急な大量の出血に驚いた。婦人科へ行くと1ヶ月に1度腹
に直接注射をする治療を進められた。
それは生理を止め筋腫の発達を止めると言うものだった。
私は副作用に悩まされた。
先生に「この注射は私には合わない。」と言ったがその症状
こそが効いているのだ。と言われた。6ヶ月しかその治療は
出来ないものだった。保険のきかないもので高額だった。
しかし、生理が始まるとまた大きくなって私には効果なかった。
この時、子宮筋腫は誰でも持っていて4人に1人が発症すると言われた。では後の3人はならない。何で私が・・・・。

今回は乳がんでこの頃はとても多いと。20人に1人。
後の19人に、なんで私も入らなかったのか。

どうにもならないのにフ~っとこんな事を考えてしまう。
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私から母を奪わないで・・・。≪2≫

2007年10月17日 12時29分59秒 | 母の事(肺がん) そして絆
K大学病院へ母と9時50分の予約の為、8時過ぎに家を出た。
A病院で撮ったCTと担当医からの手紙・そして昨夜書いた
私から先生への手紙を持って車に乗った。どうかいい結果でありますように。そして私の心配が違っていてほしい。

K大学病院には9時20分頃に着いた。
診察券を入れると診察を案内する機器が出てくる。
いきなりビービーと鳴り出した。診察室の外待合で待つように。
2階の放射線科に急ぐ。
また、鳴り出した。中待合で待つように。
急いで中待合へ。母にここで待つように言うとCTを受付に
渡しに行った。受付で担当医からの手紙と私からの手紙も渡してくださるように頼んだ。

少しの時間も待っているのが辛かった。
隣りに座っていらしゃる男性に話掛けたりした。
しばらくすると、ビービーと鳴って診察室に入るようにと出た。

緊張しながら入っていくと いつもの優しい先生の笑顔があった。
母と一緒に呼ばれたので少し安心感があったのと先生の笑顔が私には嬉しかった。そして心配ない事。
画像は輪切りにしていくから 同じように写らない事もある事。
前に写した違う画像によく似た形の画像がある事など丁寧に説明してくださった。母の寝ているときに胸をさする事も心配ない事。
1年が経って安定している事。等々を話してくださった。
本当に嬉しかった。
母は先生に会った事でいつも安心するみたいだ。
昨日からK大学病院へ行く用意は完璧に出来ていた。
本当に先生に会うのが楽しみなんだね。お母ちゃん。よかったね。
私は今日のきれいな空の下で 
≪母は私から奪われなかった≫
と大声で叫びたい気持ちだった。



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私から母を奪わないで・・・。

2007年10月15日 23時48分03秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私は母のCTを見て、どうしても納得いかなかった。
7月に比べて10月の病巣は大きくなっている。
私は乳がんを見てもらっている先生に見てもらうため
病院へ向かった。予約のない私は最後を覚悟していた。
11時40分に受付をして診察は午後3時をまわっていた。
先生に母のCTを見てもらった。
先生の答えは私と同じく大きくなっている。だった。
もう1度治療は行いないことを知った。
他に治療の方法はないのか聞いてみた。
抗がん剤も今はしんどくないのがある。
やってみてはどうだろうか。と言われた。
私は今の主治医に相談していい返事がもらえない時は
頼みます。と言って帰ってきた。

帰りの車の中で涙が止まらなかった。
治ったと信じている母を思うと切なかった。
母が毎日 胸をさするのもきっとしんどかったんだろうな。

明日、K大学病院へ行く。
その時に今後の事を母に分らないように聞けたらいいな。
と思っている。

本日より私は泣かない。
母が起きている間は決して涙は出さない。
だけど、夜一人になったら勘弁してほしい。
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