おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

第一回定位放射線治療です。

2007年09月30日 09時55分57秒 | 母の事(肺がん) そして絆
2006年10月29日 第一回定位放射線治療の日です。
前日に母の胸にマジックで四角の中に十字の印が書かれていました。
治療のための印なので消さないように。と言われました。
午後から始まります。ドキドキです。
母は割と平気に見えましたが、きっと緊張していたはずです。
私は放射線室の前まで車椅子で送りました。
放射線室の前まで行くと助手の方が迎えに来てくれました。
ここからは、私は入れません。
母にバイバイと助手の方によろしくお願いしますと言いました。

放射線室に消えた母 扉が閉まった後もしばらく眺めていました。
頑張って。先生どうか母を助けてください。
そんな気持ちでした。

時間はそんなにかからなかったと思います。
放射線室の扉が開いて母は戻ってきました。

母に聞いたのですが、怖くなく痛くなく終いには「終わりましたよ。」
の声で気がついたのだそうです。
のん気に寝ていたみたいと言います。
外で待つ私は心配していたのに(^O^)
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飛行船は何の前兆???

2007年09月29日 23時58分04秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母は入院の翌日から定位放射線治療を受けるための準備に入りました。
治療中に体が動かないようにするベットのような
ものを作る為に放射線室へ行きました。
そのベットは4日間の治療を受ける母のためのものです。

25日に入院して29日から治療は始まります。
その間はあまり母はする事がありません。
なので私は母と一緒にK大学病院の中を散策しました。

庭に出て「あの辺かな。お母ちゃんの病室は。」
なんて会話をしていました。
カメラを持って記念写真なんか撮って。
病院の玄関で写真を撮ろうとしているとお見舞いの方でしょうか。
写真を撮ってくれました。
それから、庭を回っていた時 空に飛行船が浮かんでいました。
母がそれをすごく喜びました。
「飛行船ってあまり見ないし。なんで今なんだろう。不思議だな。」
って。いい事がある前兆のような口ぶりです。

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定位放射線とはK大学病院で貰ったご案内より
病変の数mm以内の高い精度で病変に放射線を
集中させる、高精度ピンポイント照射法の
ことです。・・・・・・
ターゲット決定後に、色々な三次元再構成画像
を用いることによって、照射方向や門数、放射
線のエネルギーなど様々な要素を決定し、
治療計画が立案されます。
放射方法には多方向から三次元的に固定照射
する法と軌道回転原体照射が用いられてい
ます。
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いままでの放射線はターゲットを狙うのですが、
ターゲットだけに当たるのではなく周りの正常な
部分にまで当るのです。
定位放射線はmm単位のため正常な組織を破壊
する事はありません。
今までの放射線は一次元だったのに対し三次元
から放射します。
パンフレットには6方向から照射とあります。
12Gy×4回が母の治療です。
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一夜明けて

2007年09月28日 11時52分37秒 | 乳がん記録
26日と27日はよく寝た。検査で疲れていたのだろう。自分では変わらないと思っていたが、ストレスが体にかかっていたようだ。

ガンと言われて、よく調べた。インターネットや本など見た。が、今回の検査後は気が抜けてボワーンとしていた。
しかし、自分の時も母の時もガンになってあわてて調べた。
ネットを見て思った事は ガンの初期症状が詳しく書かれていた。
もっと早く読んでいたら気がついたのに。と思った。

今回、ガンではないだろう。しかし年に2度は検査したほうがいい。と先生に言われた。
これからも、もっと真剣に治療の仕方。初期症状に気づく訓練をしておこうと思う。

もう1つかかっている病院にはMRIを借りてきたので10月に入ったら行く予定だ。
これからも、続けて2つの病院で見てもらう事にした。
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乳房のMRI

2007年09月27日 02時47分02秒 | 乳がん記録
26日 左乳房のMRIを撮った。
朝9時の予約。
駐車場に車を止めて、MRIの受付にはギリギリ間にあった。
まず着替えをした。注射器をつけてMRIの部屋に入る。
うつぶせになり、乳房をあいた空間に入るようにする。
これがいつも笑える。うつぶせになってオッパイを垂らすという感じ。
ドームに入るとゴトゴトと言うかブーンブーンと言うか全体に響いている。
『やばい。』と思った。体が左にずれていきそうだ。
初めてボールみたいなのを持たされているのを押した。
検査前に「何かあったら これを押してください。」と言われていた。
いままでの検査で使用した事は皆無。
すぐに、「何かありましたか。」と来てくれた。
「落ちそうです。」と言った。
ドームから出してくれて「お尻のほうが傾いています。右に寄って下さい。」って。
何だかんだで撮り終えた。
結果を診察室に回すまでに1時間位かかると言う。
診察室の受付に行く。時間がかかります。と又言われた。
ここで待っていたら、イライラするかも。
一旦家に戻って朝食を食べることにした。

病院へは11時前に戻ったが、それから1時間待った。
呼ばれて、診察室に入って行く。

先生が「フ~ン。調べてみたけど疑わしいとこはなかった。
ガンではなかったんやね。これからも半年に1度位は調べたほうがいいね。」
2月~今日まで。8ヶ月間。心配して東京の病院まで行ったけど。
マ~。今回はセーフ。キョトーンとした私によかったね。って。

よかった。(^◇^)なんて気分にもならない。
しかし、よかったことには、違いないし。
変な気持ち。でも本当によかった ヨ。
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中秋の名月

2007年09月26日 02時39分37秒 | 日々の事・京都に生れて


昨日は中秋の名月。京都は天気もよく最高の名月日和だ。
少し遅い夕飯の後 母と外へ出て空を仰いだ。
一点の曇りもない空に真ん丸のお月様が出ていた。
美しい。本当にきれいだった。

その後、月見団子を食べた。
これが、最大のイベントかな。

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何もかもが輝いた1日だった。

2007年09月24日 09時57分28秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の熱はいっこうに下がらなかった。
K大学病院には2度目の外来である。
朝8時からの受け付けに私は6時から行った。

9時から診察が始まる。
細胞診の結果は判定がつかなかった。
A病院の先生は小さくて病理検査にでなかったが
肺がんであることには間違いない。だった。

診察の順番がまわって来た。
先生にはA病院の結果と先生からの手紙を渡した。

K大学病院の先生は読んでくださって
「分りました。病理では出なかったが、定位放射線の治療をしましょう。」
と言ってくださった。

『やった。』私は心の中でこぶしを握った。

先生は母に治療の為に寝て真っ直ぐに手が上げられるか等を検査して頂いた。
いよいよ治療ができる。
私は母に「よかったね。」と何度も声をかけた。
先生に礼を言い、どうかよろしくとお願いした。

入院日を決めるのだが、私は明日にでも気持ちだった。
先生は予定を調べてくださった。
「10月25日から入院して10月30日から11月2日が治療に
しましょう。」
私は病気の疑いが6月に 結果が出たのは8月 その他の検査等で
9月末になってしまいました。4ヶ月が経過しています。その上に
1ヶ月待って手遅れになったりしませんか。と聞きました。
「大丈夫。」と言って下さった。
この日を逃してなるまいとの気持ちで入院日を決めました。

帰りにK病院の食堂でエビフライ定食を食べました。
エビの衣がサクサクしていてとてもおいしかった。

この世に生を受けて1番嬉しく何もかもが輝いた1日だった。
(2006年9月下旬)


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細胞診

2007年09月23日 10時18分50秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母は細胞診のため入院した。
翌日が検査だった。2泊3日の入院だ。
肺の細胞診が苦しいものだと聞かされていた。
母に大丈夫か聞いた。母は積極的だった。
「これさえ、すればK大学病院で必ず治療をはじめてくれる
って先生が言って下さった。」
笑顔さえ出ていた。私は不安だった。
A病院の先生は母に絶えられるだろうか。と話されたからだ。
でもこれが終わらないと定位放射線治療を受けられない。

入院の日も検査をした。明日の細胞診の為だ。
(平成18年9月19日)

翌朝(平成18年9月20日)いよいよ細胞診の検査に向かった。
待っている時間は私には長く感じた。本当はそんなに経っ
ていないような気がした。
当時を思い出そうとしても、時間など思い出せない。
私の緊張はピークに達していた。

無事に病室へ帰ってきた母を見て 私は涙が噴出した。
(この表現が最適だと思う)
よく検査に耐えてくれた。ごめんね。つらい思いをさせて。
そんな気持ちだった。
母は検査の疲労であろうか、じっとしていた。
小さな体が愛おしいかった。

その日から母の体温は上昇した。
私は2ヶ月間 母の体温をノートにつけていた。
36.3度から36.6度位の標準の体温だった。
その日を境に37.0度を上回るようになった。
退院は翌日だった。先生は37.5度までは大丈夫と言われた。
心配だったが、翌日退院した。
(2006年9月)
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遠くに光がさしてきた。

2007年09月22日 13時27分39秒 | 母の事(肺がん) そして絆
6月に近所の医者に血液検査の結果 ガンの疑いがあると告げられてから2ヶ月。
やっと、母のガンは肺のみと分った。
長かった。でも、これからだ。

母の治療は放射線のみと決まった。
放射線でも短時間で手術と同じ効果があるとされる定位
放射線治療(ピンポイント放射線)を希望した。

しかし、この治療を受けるためにはまだまだ関門があった。
大学病院に紹介状を書くもなかなか引き受けてくれない。というのだ。

とにかく、大学病院へ行く事にした。

当日、私はレントゲン写真等と一緒に手紙を先生に渡した。
内容は、母は高齢なので手術が受けられないこと。放射線
は期間が長く母の気持ちが滅入ってしまいそうな事。等々。
最後に母は私の宝であり この病気で失う事は出来ないと思っている。
そして、病気の事は この治療を受ける事ができると分った
時に打ち明けたい旨等を書いた。

順番がきて病室には、ついて来てくれた叔母と一緒に入った。
先生は分った。と言って下さった。
ありがたかった。叔母の援護射撃も功をそうした。

但し、条件があった。
母はいろんな検査はしたものの細胞診だけはしていなかった。
「これをしてから もう1度来るように。」と先生が言われた。
私は、細胞診で出ないかも知れない事を告げた。
「細胞診で出なくとも、これはガンに違いないと言われています。
それでも、やってくださいますか。」と問うた。
先生は力強く「細胞診で出なくともやります。」
深々と頭を下げ礼を言った。この時の心境は言い表す事が
出来ないくらいに嬉しかった。
叔母は私と母が病室を出た後も先生に頼んで
くれていた。ありがたかった。
真っ暗のトンネルから遠くに光がさしてきた気がした。
母は助かる。確信にも似たものが込み上げてきた。涙も出てくるのを感じた。
この日の感動は一生忘れる事はない。例え私が加齢のために何も考えられなくなったとしても忘れてはならないと思う。
(2006年8月下旬)
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胃カメラ

2007年09月22日 01時02分35秒 | 母の事(肺がん) そして絆
昨日、母は近所の医院で胃カメラをした。
ちょっと前から調子が悪かったので先日医院へ行った時に予約しておいた。

看護士さんから「終わりましたよ。」と声をかけてもらう。
診察室に入っていくと、ちょっと具合の悪そうな母がいた。
先生が「入りにくかったのでしんどかったな。」と母に。
母は機嫌が悪そうに「しんどい。」と。

結果は、胃が荒れているのと小さな潰瘍が数個あった。
「悪いものはないですよ。薬で治ります。95%・・・。99%大丈夫です。」
嬉しい。胃はパスした。
お母ちゃん、よかったね。メチャ!嬉しいよ。
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あきらめなくてよかった。

2007年09月21日 15時45分16秒 | 母の事(肺がん) そして絆
              *****天王寺動物園 キリン*****

母の検査は続いた。
肺以外に病がないか調べた。
脳・骨等 PETもした。
母には負担だったと思う。よく頑張ってくれた。
肺以外には異常はなかった。

治療方法を決めなくては。どんな方法があるのか。
母の身長は138センチ 体重35.5キロ 年齢80歳
体力はない。体に負担のない治療方法。
手術は体力がもたないと。先生が言われるには手術は成功する。
だけどその後、寝たっきりになってしまうかもしれない。
それでは、本人が可哀相ではないか。私も同感だ。
苦しめることはしたくない。
私なりにホームページで調べ図書館にも行って肺に関する沢山の本を借りてきた。
その中の治療法方等聞いてみた。
抗がん剤・放射線等。先生は抗がん剤はやめた方がいい。
苦しみが大きい。体力が持たない。
放射線がいいだろうと。私のイメージでは放射線は髪の毛が抜けたり、吐き気がしたり脱力感で体力の消耗があるのではと。
今の放射線はそんな事はなく、高齢者の方も外来でいらしゃるとの事。
何回くらいするのか聞いてみた。60回。月曜日~金曜日で3ヶ月。
気が遠くなる。しかし放射線でも種類があり4日~5日でいいものがある。
何としてもその放射線をしてほしいとお願いする。
京都の大学病院にある。先生に紹介状を書いてくださるようお願いする。

あの日諦めなくてよかった。「お母さんはお年ですから何もしないという方法もありますよ。」と言った先生を変えてよかった。
あの日 あの日諦めていたら・・・・・。よかった。
帰宅後、一人泣いた。
(2006年8月)
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