おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 蒸し暑いよ

2012年06月30日 17時29分45秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、今日は朝から蒸し暑い。
いつも、6時ごろには散歩に連れて行っていたんだけど、この頃少し遅くなった。
7時過ぎは、もう暑いよ。ワン子が、昨日 お昼に散歩に行こうと言うので、連れていったら
とっても、しんどそうだった。ハァーハァー言って可哀想だった。
だから、今日は、早めに帰って来たよ。他のワンちゃんにも会わない。もっと早く散歩して
いるんだね。私も、明日からそうするよ。



おかあちゃん、泣くよ。でもね。少し前とは違う気がするよ。何がって考えると分からない。
でも、泣く事は無くならない。何年経っても、変わらない。それが色んな人の話を聞いて
分かったので、泣く事を無理に止めないよ。
長く長く一緒にいたもんね。忘れるなんて出来ないよ。
こんな暑い日でも、おかあちゃんはお仕事してたね。2階は本当に暑いね。
おかあちゃん、クーラーをつけてたけど、暑くてたまらなかったと思う。
おかあちゃん、いつも暑いって私に言ってたのに、昼間 家にいない私は分かろうともしなかった。
ごめんね。天井裏に、熱を吸収するシートを引けばいいんだって。
他にも方法があったかも知れないね。それを1番に大工さんに相談すべきだった。
おかあちゃん、ごめんね。今 分かる事が沢山あって。
私ね。つづれ織りをしていたおかあちゃんが好きだったのに、なんで1枚も写真を撮っておかなかったんだろう。
杼【ひ】という糸を巻き縦糸の間に入れて織り上げていく。整理してたら、出てきたんだ。仏壇に置いたよ。
おかあちゃん、懐かしいでしょう。喜んでくれたかな。いつか必ず織機の模型を作くるよ。




優しいおかあちゃんは、お仕事をしている時は、声を掛けられないほどだった。
子供でも、分かったよ。今は、お仕事だからって。
お仕事しながら、私を育ててくれた。小さな私を置いて外に働きには出られないと、選んだお仕事。
皆さんは、小さな頃から綴織をされているが、おかあちゃんは、私が生まれてから始めたので
大変だったんだよね。少し大きくなった時、誰かから聞いたよ。
ありがとう。私は、寂しくなく大きくなれた。高校生になって、私には初めての経験。
おかあちゃんがお勤めに出た。帰宅すると、おかあちゃんがいない。鍵で開けて家に入る。
冬は特に、寂しくて、寂しくて泣いていたね。帰って来たおかあちゃんが、びっくりして
「どうしたん。どうしたん。」と抱いてくれた。
「寂しかった」と言う私を、「あほやな。もう大きくなってるのに。そんな事やったら、おかあちゃん
心配で行かれへん」そう言って、涙を拭いてくれた。
おかあちゃん、今は涙を拭いてもらえない。私は、後 何年生きるのだろう。
やっぱり寂しいよ。おかあちゃんのいないこの世は。
辛いよ。悲しいよ。生きる事に、喜びがないよ。
だけどね。生きたいと願う人が生きられない。それを思うと自ら命を粗末にす事は罪だと思う。
生きるという事は、生かされているという事かな。
大切な人をなくすと、誰もが 生きていけないと思うのかな。
生きるよ。大切に生きるよ。

おかあちゃん、テレビでね。お母さんを亡くされた方が、赤い糸で結ばれている。
だから、私も、おかあちゃんとの絆がいつまでも結ばれているようにと手と足に巻いたよ。
それから、お位牌にも巻いたの。おかあちゃん、いついつまでも、一緒だね。とても嬉しいよ。



おかあちゃん、ありがとう。好き好き好き好き好き。大大大大大好き。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。

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おかあちゃん ワン子が…

2012年06月29日 10時14分57秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
ワン子が、私を救ってくれている部分があるな。って感じる。
散歩していると、よく話しかけてくれるよ。
「かわいいね。触ってもいいですか。」とか、「どうぞ。どうぞ。」
ワン子は、人気者だよ。最後は「ありがとうございます」って言うよ。
「こちらこそ」って言われる。
私は、家にいると近所の方が通られたら、挨拶するくらい。
だから、散歩の時に話す事が出来るのは嬉しいよ。

職場の事は、もう忘れた。今日、病院から書類が送られてきた。
これで終わりかな。疲れたよ。でも、もう元気だよ。
おばさんは、私が早退して、次の日の朝礼後に「迷惑を掛けました」って、言ったのを知らなかったんだね。
でも、人を注意するなら皆の前で言うのはよくないわ。
もう1人は、「胸ぐらを掴まれた。もう暴力よ。」そう言って電話してきた。
胸ぐらをつかんだ人は違う人だけどね。そういうタイプの病院なのかな。
テレビでそういう人は、支配したいからだ。って言ってた。
プラス自己主張が強いんだね。人の前で、私はこれだけやっています。って分かってほしいんだね。
この経験が役に立つとは思わないけど、自身 反省すべきは反省しないとね。
病院の話は、これで終了。

もうすぐ、七夕だね。いつも笹に短冊を飾ったね。「おかあちゃんの病気が、良くなりますように。
長生きしてくれますように。」と書いたよ。
今年は、なんて書こうかな。「おかあちゃん、大好きです。会えてよかった。愛しています。」
って書くよ。

今年は、オリンピックだね。いつも、ワイワイ言って応援したね。
今は、こういうイベントが苦しいよ。

体重が、10キロ減ってから、戻らない。ちょうどいいかな。
おかあちゃん、食べているよ。でもね。食べる楽しみがなくなった。
「おいしいね。」「上手く出来たね。」「今度、あそこに食べに行こう」そんな楽しみがなくなった。
私だけが、食べちゃいけないんじゃないかな。って思う事もあるよ。

おかあちゃん、今日は梅雨の中日で朝から、暑いよ。
今日は、お花を買いに行くね。綺麗に飾るよ。おかあちゃんはお花が好きだった。
大切にしてきたアジサイは今年も綺麗に咲いたよ。大事にするよ。
お花は、欠かさないようにしてるよ。それしか出来ないもんね。
日々草が好きだったね。今年も、植えるね。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き好き好き好きだよ。おかあちゃんも「ひろが、好き好き」って言ってるかな。
大大大大大大好き。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
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おかあちゃん 病院を辞めたよ

2012年06月28日 12時44分18秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
今回、病院を辞めた事 後悔していないよ。
感染症廃棄物を、素手で片付けろと言うのには困った。
ビニール手袋をしようとしたら、手袋が勿体ない。と言われた。
私は、マイ手袋をもっていった。そしたら時間が勿体ない。と言うの。
手袋するのに、どんだけ時間がかかると言うんだろう。
看護師長も、後で私に「やりにくいやろ」って言うけど、なら注意しろよ。
私は、その都度「いいえ。大丈夫ですよ。」と答えた。そこにいるなら、悪い事は言わない方がいいと思ったから。
血液検査の検査キッドは、注射器でキッドの中に血液を入れてよく振り混ぜる。
看護師は、いちいち手袋をして扱う。手袋は感染症廃棄物に入れる。そしてその都度手を洗う。
なのに、その後を扱う私が手袋もしない。手も洗わない。なんて事をするのかな。
検査キッドを、扱う時も私は手袋をした。ポケットにいっぱい手袋を入れていた。
彼女達は、感染症に強いのかな。でも、たまたま今までは大丈夫だったけど。これからは気を付けた方がいいよ。
お年なんだからね。取り返しのないように願うよ。

私以上に、おかあちゃん、怒ってたよね。
前から、よく言われた。「よう手を洗うな。神経質なん。その神経を他で使ったら」ちょっと笑えるかな。
それでも、頑張ってみようと思った。
けどね。こりゃ駄目だ。と思ったのは、私が、体調を崩し早退して、病院内で診察を受けた。
次の日、おばさんは休み。その次の日が日曜日。
月曜日に、彼女はなぜか朝から私に、ガミガミ言ってきた。
それを、「はいはい。」と聞いていたが、看護師さんや、患者さんのいるところで、
「あんた。この間、帰った事で、皆が迷惑したんや。みんなにあやまりよし。人間として失格や。」
私は、『エー。皆に謝って歩くの。』って思った。
私は、次の日「昨日は、ご迷惑をかけました。」って朝礼後に言ったよ。
それからも、ガーガーピーピーと大声で話している。後で思ったのは、彼女とは、2日会っていない。
私も、忘れていた。だから、彼女は「私には、詫びがない。どういう事」って思ったのかな。
普通なら、「どう。大丈夫か。」って聞くんじゃないかな。そしたら、私も思い出して「すいません。
ご迷惑かけました。大丈夫です。」って言うじゃない。忘れていた私もいけないかな。
だからおばさんは皆に、聞いてほしかったのかな。居たたまれなくなって、私はこんなとこいたら病気になる。
そう思って、辞める事にした。一緒に入った人も、辞めるんだって。連絡があったよ。
3人が入って1人残る。これも、病院は織り込み済みなのかな。33%なら確立はいい方なのかな。
斯くして、私の病院での勤めが終わった。最後の職場にしようと思ったのに。2か月なんて。恥ずかしいよ。
でもね。頑張ろう。って気持が出来たの。私、家の改築終わったら、また仕事しようと思っているよ。
仕事だから、厳しいのは分かる。でも、仕事以外で楽しく出来る職場がいいな。甘いかな。探してみるよ。
1度も、笑う事がない職場だった。初めての経験だった。
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おかあちゃん 青春 黄夏 赤秋 白冬

2012年06月26日 15時27分38秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
NHKを見ていたの。『仲代達也・赤秋 喪失からの出発』
奥さんが亡くなって9年が経つ。それでも、喪失感の中にいる。と彼は言った。
奥さんの遺骨は、今も家にある。その奉り方が、お葬式の際に使う台だった。
台とは別に、遺影を飾ってある。
台の上には白い布を敷きお酒等をあげ、位牌を置いてある。
あの白い布を敷いた台は、49日が過ぎると使わない。位牌は仏壇と一緒に作る。
私は、位牌だけ作ってゆっくりとお仏壇を捜したいと、檀家の坊主さんに聞いたけどそう言われたよ。
いいんだね。いろんなやり方があって。大事な人を奉る方法なんて、人それぞれだよね。
私も、そう思ったけど、うまい具合に気に入った仏壇に巡り合えた。

おかあちゃん、私は、仲代達也氏が9年の間 喪失感に苛まれ、自殺を考えた。と言う。
私だけじゃないんだね。私は、今も「何しているんだろう。私はここにいてはいけない。」
自殺。何で自分の命の終わりを決めてはいけないんだろう。そう思う。

彼はね。「もう、そろそろお墓にいれようかな。」と言った後に「あると、一緒にいるような気もするし」
と言った。私は、49日に、先祖のお墓に入れようと思った。
叔母さん達が、「もう少し家に置いてあげ。何年でもいいんやで。気持が落ち着くまで置いて。」
おかあちゃん、私はお骨に話しかけた事はない。遺影が一番。この頃、やっと位牌に話しかけられるようになった。
今は、ゆっくり先祖の墓ではなく、私とおかあちゃんの2人のお墓。
この頃は、選択肢がもっとある。桜葬と言って桜の木の下に、何人もの方が葬られる。土に帰る。
そんなのも、いいじゃないか。と思う。
おかあちゃん、今度はゆっくり捜すよ。終の住みかだもんね。

彼は、老いについて語っていたよ。
青春 青に対して 赤秋(セキシュン) 真っ赤に燃える秋
そして 冬になる。死を迎える。
人間は、1人で生れ 1人で死んでいく。孤独なものだ。
線香花火のように、最後にパーと燃え、ポッと落ちる。
私は、分かるような気がしたよ。秋は、真っ赤に燃えるような山の木々。
人間も、そんな風に生きたらいいね。

1人でも、その事を話せる人を持つ事が大切。泣ける人がいる事が大切。とその後、医師が話してた。
私には、聞いてくれる人がいる。その人の前で泣く事も出来る。
私は、恵まれているね。おかあちゃん、安心してね。
赤秋ではないけれど、青と赤の間。黄色だね。そうだよ。赤になる前の準備。
少しづつ、枯れていくのかな。まだ、枯れないよ。攻めの一手だよ。
人生を色と季節で分けたら、青春 黄夏 赤秋 白冬 私は決めたよ。どうだろう。

おかあちゃん、好き好き好き好き好き。大大大大大大好きだよ。愛している。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
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おかあちゃん 日本は素敵だ

2012年06月25日 19時31分44秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、今日は、変な天候の1日だったよ。
降るのかな。黒い雲が立ち込めて生温かい風が吹いていた。
何かが起こりそうな変な感じだった。結局雨は降らなかったよ。

おかあちゃん、あの時何もせずにいたら、おかあちゃん。
今も、居てくれたのかな。おかあちゃん、私は、何ともならない事を、走馬燈のように
考えては、涙ぐむ。ごめんね。
最近は、おかあちゃんの顔が浮かぶ。いつも笑ってる。遺影のように笑っている。
傍に行きたいのに、おかあちゃんは、少し離れた所にいるよ。
優しくて、可愛くて、私に自慢のおかあちゃん。
いつか、必ず一緒になれるね。待っててね。
いっぱい、いっぱい、お話を持っていくよ。
私が、一気に話すと、「うん、うん」と聞いてくれる。

おかあちゃん、今年の梅雨は京都では、中日があっていい。
お洗濯も外に干せるし。部屋がベトベトしないし。
やりやすい梅雨だよ。

消費税が上がるんだよ。口論している国会議員は、分からないよね。
高齢で、一人暮らしで年金だけの人は大変だよ。
おまけに、後期高齢者制度が廃止される。
どうなるのか詳しい事は知らないが、負担が増えないといいね。
年寄りは、いらないなんて悲しい国にはなってほしくないね。
国全体が大阪市になってしまうよ。
橋元大阪市長は、早い決断や処理等、評価できる事は沢山ある。
でもね。文化の面で何でも、廃止はどうなんだろう。
文楽・交響楽団等を廃止。なくせば、復活は出来ないよ。
収益を生まなくても、守るべきものはある気がするね。
鳩山さんは、総理大臣を辞めたら国会議員も辞めると言ってたよね。
小沢さんは、放射能が怖いと逃げ回っていたとか。みんなどうなってるんだ。
国民不在の政治ではね。若者が夢を持てない国なんて。
きっと、日本人は賢いし。辛抱強いからこのままじゃない気がするよ。

おかあちゃんと、一緒に日本を見て行こうね。

おかあちゃん、好き好き好き好き好き。大大大大大好きだよ。愛している。
これからも、スーとスーとスーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。

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おかあちゃん 幸せです

2012年06月24日 10時48分41秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
乳がんが、全身癌だと知らなかった。
この前、なんとなく調べたよ。そしたら う~ん。
だからなんだね。私は、クリニックで、高齢の方が、「10年以上経った今、再発です。」
と言われた。私は、「再発じゃなくて、新しく出来たのでは。」と聞いた事が何回かある。
その時は、ヘ~っと思ってた。この事を言うんだね。
数人の方を知っている。高齢で始める抗がん剤は、とても辛そうだった。
髪の毛も、バサ~と抜けるんだって。一人暮らしの方は、本当に大変だと思った。

おかあちゃん、私は、今から10年は、おかあちゃんを守りたい。
だから、健康で10年過ごしたい。
私のように0期の癌でも、再発した人を知っている。
本当に、全身癌なんだね。いくら調べても、顔を出さない。
出した時には、結構進んでいたりするんだね。
10年。それが望みだよ。

おかあちゃん、そしたら、もういいよ。
若いけど、私は1人だし、エンジィングノートを書いておかないとね。
何人かのお友達に託さないと。誰もが、平均寿命までいるとは限らないものね。
今日は、何だかしんみりするね。でも笑ってるよ。

家を直す事を、きっかけに色んな事をちゃんとしておかないとね。
おかあちゃん、家を直そうと言っていたのに、見せられなくてごめんね。
「ヒロちゃん、家を直して、そこに住みなさい。おかあちゃんも帰りやすいから」
そう言っていたね。引っ越そうか。って言っている私にそう言ったね。
私、ここにズーと住むよ。おかあちゃんと一緒だよ。幸せだよ。ありがとう。

おかあちゃんは、戦争の話をしなかったね。私は、戦争の話を聞く事がなかったので京都は
戦火から、免れたから戦争は、おかあちゃんには、爪痕を残さなかったのかな。そう思っていた。
初めて、戦争がおかあちゃんに与えたものを知ったのは、沖縄に行った時だった。
おかあちゃんは、涙を流してばかりいた。私は、それを見ておかあちゃんの辛さを知ったよ。
ごめんね。私は、うわべだけしか見ていない。あんなに泣いた沖縄で昨日、全戦没者慰霊祭があった。
昨日ね。手を合わせながら、泣いていらしゃる高齢の方を見たよ。今の私にはわかるよ。
何年経っても、その日の事、亡くなった方は昨日の事のようなんだね。
政治家は、言った事を出来なくても、平気で沖縄に行けるんだね。
沖縄には、何度も行ったね。西表島まで行った沖縄に、住もうと言ったら、
おかあちゃん「そんなん出来たらいいな」そう言った。
1か月でも良かった。5年の間にしてあげれば良かった。残念だよ。
おかあちゃん、会えてよかった。おかあちゃんの子供にしてくれてありがとう。
私は、幸せだよ。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き好き好き好き。大大大大大好き。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
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おかあちゃん 上を向いて…

2012年06月22日 11時33分32秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
朝食に、のりを火に炙っていたんだ。
そしたら、おかあちゃんとの会話を思い出したよ。
のりだったか、昆布だったか定かでないけど。
おかあちゃんが「ヒロ、海藻は焼いたらだめ。そう言われるよ。いい事がないんだって。」
私「おかあちゃん、焼のりがあるよ。」「お菓子の中には、昆布を揚げたのが入ってるやん」
おかあちゃん、お目目をクリクリさせて「そうやな。あるやんな。」
その後、2人で笑ったね。すごく笑ったね。
なんで、あんなに可笑しかったのか、よく笑ったね。そんな事で笑える2人だったね。
幸せだった。ごめんね。今は、笑いながら泣いている。鼻もかんでる。
おかしいね。2人の時は、あんなに笑ったのに。今は、思い出すと幸せな気持ちになるけど
涙が止まらない。



私ね。上を向いて歩こうの歌を聞いて、私だ。って思ったんだ。
なるべくね。上を向いて歩くよ。涙がこぼれないように。
一人ぼっちの夜。悲しみは 星のかげに 悲しみは 月のかげに
私は、悲しみをどこに置こうかな。悲しみも喜びも入れられるポケットを持とう。
おかあちゃん、今日も、明日も、明後日も、ズーとズーとズーと一緒にいてね。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き好き好き好き。大大大大大好き。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。


上を向いて歩こう
テーマ:邦楽(男)
上を向いて歩こう/坂本九

永六輔作詞
中村八大作曲



 上を向いて歩こう  涙がこぼれないように
 思い出す春の日 一人ぼっちの夜

 上を向いて歩こう  にじんだ星をかぞえて
 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜

 幸せは 雲の上に  幸せは 空の上に

 上を向いて歩こう  涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 思い出す秋の日 一人ぼっちの夜

 悲しみは 星のかげに  悲しみは 月のかげに

 上を向いて歩こう  涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 一人ぼっちの夜  一人ぼっちの夜



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おかあちゃん 元気です

2012年06月20日 23時38分03秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
元気だよ。強くなれそうな気がするよ。
昨日ね。お部屋がグルグルと回るんだ。
「なんだ。こりゃ。初めてだ。ウゥ~。気持ち悪い。」
しばらくジッーと目をつむった。それでも回っていた。
こんな時、おかあちゃんが居たら、心配してあれこれしてくれたね。
「早よ。横になり。」「大丈夫か」「何か、食べたいものあるか。おかあちゃん、買いにいってくるわ」
エトセトラ。エトセトラ。おかあちゃん、私は、おかあちゃんのそんな姿を思うと微笑んでしまう。
アイスクリームかな。果物かな。ケーキかな。
おかあちゃんは、何を買って来てくれるのかな。
ありがとう。おかあちゃん、愛されていたんだ。そう思うだけで私は元気になれるよ。




昨日ね。お仏壇のお花をいつも買ってるお花屋さんと違うとこで買ったんだ。
この前、買い物に行った時、いつものお花屋さんより、いい感じがしたんだ。
台風が来る。でも、お花が…。車に乗って行ったよ。
京都は、案外、雨も思ったより、大丈夫だったよ。降ったけど、小降りの時もあったよ。風が少し出たかな。
そんな中、行ってきたよ。ワン子は、一緒に行きたかったのか、怒ってたよ。
おかあちゃん、しっかり生きてるよ。
車の中で、いつも大声で「おかあちゃん」って叫んでいたけど、昨日は、そっと「おかあちゃん」って
呼んだよ。涙は、止まらなかったけどね。バックミラーを見て、いつも後ろに寝ていたおかあちゃんを
確かめた。おかあちゃんが笑っている気がしたよ。ありがとう。おかあちゃんは、私のそばにいてくれるんだね。
おかあちゃん、私は元気だよ。

おかあちゃん、ありがとう。大大大大大好きだよ。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
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おかあちゃん 毎日いろんな事が…

2012年06月19日 12時13分13秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
ニュースを見るとびっくりするよ。
車が、沢山の人を1度に跳ねる。京都でも、祇園であったよ。
亀岡でも、子供たちを跳ねたよ。いつも、死人が出る。
こんな不条理で死ぬなんて。
人を殺せば死刑になると思って殺した。とか。
死にたけば、自分だけ死ねばいい。人を犠牲にするなんて。
その人の帰りを待っている人がいるのに。どうして立ち直るんだろう。
今日は、女子高校生が同級生をナイフで刺したって。
なんで、ナイフを持ってるんだろう。護身用って。何で。

おかあちゃん、今日は雨だよ。台風が来てるんだよ。
いつも、「怖いね。」「雨がきつくなってきたね。」「雷だ。」話したね。懐かしいね。
おかあちゃん、私は、初めて一人で台風を迎えるよ。
今日は、耐震診断に来てもらう日だったんだけど、天気のいい日にして下さい。
って、連絡したよ。ワン子を、外に出さないと。だからお願いしたよ。

おかあちゃん、おじさんが危篤なんだ。おかあちゃんの17歳年下の弟。
おかあちゃんは、本当に可愛がっていたね。
子供の私だって、焼きもちやいた。
叔父さんは透析も長かった。御家族もよく頑張られた。
脳溢血だって。延命治療はしないと聞いたけど。
栄養の点滴も、透析も続けているんだって。
おかあちゃん、だんだん居なくなっていくんだね。
おかあちゃんの兄弟姉妹も、おかちゃんと叔母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。
そして1番下の叔父さんも近いうちにいくでしょう。
そちらは、賑やかになっていますか。おかあちゃん、笑っていますか。
おかあちゃんの笑顔は世界一かわいいよ。まだね。おかあちゃんと旅行に行った時の
ビデオを見る事が出来ない。おかあちゃんと呼べば「はーい」と答えて、ピースやお顔を
ゆがめて見せた。まだ見る事が出来ない。いつかまとめて見るよ。
もう泣かない。そう思っても次から次から涙が出る。

おかあちゃん、ありがとう。大大大大大好きだよ。愛しているよ。
これからもズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
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おかあちゃん 愛している 

2012年06月17日 07時08分05秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
やっとパソコン開く事が出来たよ。
疲れていてパソコン開く事が出来なかったんだ。
おかあちゃん、お仕事を辞めるって言えない訳。
それはね。ワン子と一緒だけの生活では、今までみたいに、おかあちゃんを思って泣いてばかりいるだろう。
だからね。希薄な人間関係。きつい労働。でもね。疲れて疲れて寝てしまう。
おかあちゃんを思わない日はない。けど泣く時間が少ない。
人との繋がりもある。日中、ワン子とだけの会話では耐えられない。
だから、すぐに辞めると言えなかった。仕事中でも、おかあちゃんに話しかける。
一緒だよ。ありがとう。おかあちゃんと一緒だから我慢出来る事がいっぱいあるよ。
でもね。体調を崩してまでも、勤めるのはどうかとも思う。
だからね。いろんな要望を言ったんだ。朝1時間遅く出勤したい。8月は休みたい。
それでもと言われたら、続けて見ようと思うよ。
でもね。それは受けられないと言われれば、辞めようと思ってるよ。
その事も、伝えてある。お友達は、「辞めなよ。なんでそんなにしてまで仕事をするの。」って言う。
理解できないかも知れないけれど、このままの生活は耐えがたい。
働かないで生活出来たらいいじゃないって言う人がいる。
私は、それだけでは耐えられない。
心電図の技師さんが、週に1日だけ。昼まで。来ているんだって。
その人は、恰幅のいい男の人かと思ったら、女の人だった。
その人は、おかあさんを介護していると言った。そして、この1日がなかったら、気が変になると言った。
私には、その人の気持が理解できる気がした。私の場合と似ている。

おかあちゃん、愛しているよ。私は、おかあちゃんを一生忘れる事はない。
おかあちゃん、いつまでも一緒だよ。おかあちゃんの子供で良かった。
会いたいな。会っているのかな。きっとそうだね。

おかあちゃん、ありがとう。大大大大大好きだよ。愛しているよ。
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