おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

8月19日

2008年08月21日 13時35分02秒 | 食事


朝食 夕食 おかゆ
夕食に 肉じゃが 量が少なかったのか 完食 嬉しい 
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8月17日

2008年08月21日 13時08分59秒 | 食事


夕食に 魚を足した。半分くらい食べる。
    炊き込みご飯

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母のつぶやき

2008年08月17日 22時15分46秒 | 母の事(肺がん) そして絆
京都に大文字が灯り 夏が過ぎるのを感じた。
京都テレビで 点灯の様子等が放送された。
それを観ながら 母に 「来年は 観に行こうね。」と言った。
母は 「来年は あっちに行ってるかも知れん。」
母は それまでに 悪いのだろうか。
体が つらいのだろうか。
聞いてみたが 「そんな事はない。」と 言う。

今は 何でも いいと言われることは しようと思う。
爪もみも いいらしい。
毎日 気がついた時は やっている。

食事が 心配だ。作っても食べてくれない。
昼は ソーメン 朝・夕は トマトと なすびの漬物だけでいいと言う。 
これ以上痩せたらどうしよう。
これからも 食事については もっと勉強したい。 
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8月16日

2008年08月17日 21時53分22秒 | 食事


朝と夕では コロッケを足したのみだ。
結局 コロッケは食さず。
昼は 毎日 ソーメン
こんな 食生活では 栄養は…
母は 毎日 漬物とトマトだけでいいと言う。
考えなければと思う。
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8月15日

2008年08月17日 21時43分33秒 | 食事


夕食 カレーライスは40%くらいを食す
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8月13日

2008年08月17日 19時26分19秒 | 食事
8月13日


夕食は ほとんど食べず
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8月12日

2008年08月17日 19時18分04秒 | 食事
8月12日


夕食の ます寿司は 半分
完食 嬉しい
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8月11日

2008年08月17日 18時58分07秒 | 食事
8月11日


夕食は50%くらい
あまり 栄養になるものは 食べていない気がする
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いいな。オリンピック\(^o^)/

2008年08月13日 16時26分28秒 | 日々の事・京都に生れて
毎日の連戦を 楽しませてもらっている。
若さの 素晴らしさを感じる。

アテネでメダルを取った人達も この4年間が順風万班では
なかった。本当に この場に立つ為に 大変な思いをなさった
事を知った。たった1回の チャンスの為に すごい努力を。
頭が 下がる思いがした。オリンピックに 参加された選手の皆様が
怪我なくメダルが取れなかっても 胸を張って 帰ってきてほしい。
だって 私は 勇気を それ以上のものを もらった。
          
私も 病気なんかに 負けない。
母も 全力で 支えて行きたい。
なんて 毎日 ポアァーンと生きている私に 刺激を 頂きました。
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血液検査の結果

2008年08月09日 04時50分25秒 | 母の事(肺がん) そして絆
8月7日

先生にメールで 私の術後の事を 質問していた。
先生から メールがきた。
術後のことを丁寧に 教えて下さった。

そして、母の血液検査の結果も知らせて下さった。

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それから、お母さんのCEAは20.1に低下していました。
良かったですね。お母さんが元気になってきたことの証拠ですね。

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先生の心遣いが嬉しかった。 

診察の時に先生から 「この薬が効かなくなったら 他に治療の方法はない。」 と 言われた。ショックだった。

この抗がん剤に 巡り会うまでには いろいろあった。
病気が見つかり 最初の先生には 高齢なので このままにする選択も
ありますよ。と言われた。
それを 押して治療を探した。医師も変えた。
定位放射線を選ぶ事が出来た。だが、その時には 腫瘍マーカーは 治療前よりは下がったものの高値だった。
PETを撮るも 何も写らない。しかし 目にみえないガンは 母の体を蝕んでいた。
 
私は この時 母の主治医に 化学療法はないのか尋ねた。
答は これ以上は治療はしない。と言った。
ガン拠点病院での話だ。高齢者には 治療はここまでとでも言う感じだった。
1年が過ぎ 母の体調は 悪くなってきた。
腫瘍マーカーも初めより高くなってきた。
主治医に 話に行くも 本人不在では 会ってもくれない。
手紙も出した。

途方にくれている時に 私の乳がんの先生に話した。
先生が 「すぐに連れてきなさい。抗がん剤にも 軽いのがあるから。」
と 言って下さった。
先生は その時 J病院に居られた。私もそこで手術した。
「呼吸器科の先生に話しておくから 早く連れてきなさい。」
そして 紹介して頂いた先生も とても良くしてくださった。
治療は 始まった。
抗がん剤は TS-1
2週飲んで 1週休む。
しかし、2クール目で 母の体調は最悪になった。
食欲がない。激しい嘔吐を繰り返す。病院に電話をするも 母の主治医は この日は 不在で  診察日に来るように 言われる。
母の体調でこのまま家に 置いておくことは出来ないと判断した。 
この日 私の先生は 外来だった。電話で状況を話した。
「すぐに 連れてきなさい。」と 言ってもらえた。
行くと すぐに 検査をして 点滴を始めた。
先生が 手配して下さっていた。外来が終わると 点滴している場所へ
来てくださって 「すぐに入院しなさい。私が 主治医になります。」
と言って下さった。

そして、先生がクリニックを今年の4月に開業され、「2人とも 一緒に診よう」と言って頂き 今がある。
今は 朝 1錠 夜 1錠
5日飲んで 2日休み 
母の体力では これ以上の 服用は無理と。
そして 少しづつでは あるけれど 腫瘍マーカーは下がってきている。
少しづつでいい。長く続きますようにと願っている。
先生には 感謝の気持ちでいっぱいだ。

母と一緒に 北京オリンピックの開会式を見る。幸せを感じる。
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