ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ ダボス会議での渡辺謙のスピーチ

2012-01-30 01:59:23 | Weblog
26日の東京新聞のウエブに、渡辺謙の「ダボス会議」でのスピーチ全文が
載っていましたので、転載させていただくことにしました。
ひごろ、心の中で思っていてもなかなか言葉で表現するのは
難しいものです。
私などが焦って何か言おうとすると、結果は言い足りなかったり、
言い過ぎてけんか腰になってしまったりします。

そのジレンマの中で 渡辺謙さんのスピーチは、とても素敵だと思いました。
もう、ご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうけれど、改めて。

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「渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える」

スピーチ全文は次の通り。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。








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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (春堤)
2012-01-30 08:45:55
大好きな俳優さんです・・・
心に沁みるスピーチでした
紹介してくださって ありがとうございます☆
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お久しぶりです (うらら)
2012-01-31 13:01:27
テレビで放映されたのを見ました

あの時代をまだ少しは実感としてとらえられる私達の年代。
しかし、豊かさを知り尽くした私達
あの時代の様には戻るこては出来ないのだと思います
ボランテァに任せず、これから日本を背負う人すべてが、被災地に行って現実を見れば人生観がすこし
は変るでしょうか

現実を見せられても、原発を廃止できない現世。
責任の所在も無く、
かなわぬ事ですね…
『日本はこれで決まりなんだ…』と無性に空しい思いに陥ります

日本人の忘れる、そして許す文化はチョットおかしい・・・

モウいいかな~世相について行くしかないな~
と益々自己防衛に、2重丸が付きました
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春堤さんへ (ばーば)
2012-01-31 13:08:37

渡辺謙、私も大好きです。
トムクルーズと共演した「ラストサムライ」の、煙った霧の中から
突然武者姿で現れるシーンは特に圧巻でした。
その「ラストサムライ」を新百合ヶ丘の映画館に娘と2人で観に行き、感激し
帰りは家の近くにあったデニーズに入って、2人とも興奮しながら
感想を語り合ったことを思い出します。
「沈まぬ太陽」も良かったです。




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うららさんへ (ばーば)
2012-01-31 14:45:29
テレビでご覧になりましたか。
私もテレビでも観ましたが、「良くいってくれた」と嬉しかったです。
問題の本質がないがしろにされ、というか大したことなかったような
事後処理の仕方に、虚脱感に襲われます。
まったくカエルのツラにションベン、のような対応にガッカリ。
ときどき、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の映画など思い出します。
って(爆笑)・・・


本当に、豊かさを知りつくしてしまった世代になりました。
私たちの幼かった時は、都会にはまだ井戸が残り、水道が全戸に行き渡っていない時代だったのに。
全面的にうららさんの感想に賛成です!
そしてあの時代のようには戻れないことも確かですね。
何気なくこちらでは震災前と同じような生活をしていますが
中身はずいぶん違ってしまった気がします。

息子の一家は、8月末に親戚のいるいわき市を訪ねそこで一泊して、
その後宮城県の石巻や岩手県の宮古市の震災跡を訪れ、山形市内に一泊して帰って来たようです。
山形に入った途端に線量は低くなり、0.02に下がったと言っていました。
市内でも線量は高めの所、低い所と様々だろうと思いますが。
 
関東でも、今年の冬は凍りつくようで、文字通り骨身に沁みる寒さです。
それにつけても、昨年の被災後の避難所暮らしの方達のつらさはこの何十倍かと・・・

>無性に空しい思いに陥ります
何度も繰り返しますが、まったく同じ思いです。

話があちこち飛びました。
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春になりました・・・ (春堤)
2012-04-09 06:30:20
ときどき 嵐もやってきますが・・・
すっかり桜の季節になりました
ばーばさん お元気ですか?

今日は東京で 22℃になるそうです!
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春堤さんへ (ばーば)
2012-04-12 23:06:14
ここにも春堤さんに春を運んでいただいたようです♪

ずいぶんご無沙汰してしまいました^^。
いろいろ報告したい事あったのに、ブログに書く習慣を
なくしてしまったので無言のままになりました。
春堤さんからこのコメント頂いた時、チャンスだから
自分のブログの更新までしてしまおうと思ったのですが、
ぐずぐずしていて、やっぱり書けませんでした。
でもせっかく、キッカケというチャンスをいただいたのだから
今からチャレンジしてみるつもりです。
ありがとう♪
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