総理官邸前からデモ隊が出発する、と聴いていたので地下鉄丸ノ内線の「国会議事堂前」で降りて、
5番(総理官邸前)出口に降りました。
お巡りさんに道を聴きながら、集会場所を目指して歩きましたが、
けっこう遠い道のりでした。
長い勾配のゆるやかな坂をのぼると、やっと集会場所が見えて来ました。
車がいっぱいで、なかなか近づけません。
向こう側に見えるのはデモ隊の先頭部分でした。
そこからずうっと下がって、下がって、廻り込んで、廻り込んで、何処が最後尾なのか
目を回しながら歩きましたが、隊列から逸れて寂しい道を廻ったところが最後尾らしい。
私たちの後ろにも次々と人が増えて行きました。
こんな体験もちろん初めてです。
空にはヘリコプターが・・ 8機まで数えたかな?
ちゃんと報道していただかないと。
カメラを持って行ったのですが、3枚くらい写したところで電池切れ・・・
携帯カメラは写りがいまいちだし あ~あ。
「再稼働反対」のシュプレヒコール。
若い参加者が多く、赤ちゃんを連れた人も何組か見かけました。
そのときは お巡りさんがフレンドリーで余裕を見せていました。
どうせの事なら「消費税反対!」も付け加えたかったな~。とひとりごと。
この看板、パンで造ったそうです。
夜の7時過ぎには、国会議事堂前は人波でいっぱい。
一車線も確保できないくらい、人人人で満ち溢れました。
車が通る時は、警察官だけでなく、主催者側の人がマイクで「危ないから歩道に
上がるように!」と懸命に叫んでいました。
というより、ほとんど絶叫状態でした。
「けが人出たら集会許可下りなくなる可能性もあるからね~」とTちゃんと心配。
私も友人も前へ進む事も出来ず、後ろに戻る事も出来ず、サンドイッチ状態です。
しばらくして隙間が少し開いたので道路際をそろそろ進むと「地下鉄国会議事堂前駅」
そこから、人がどっと吐き出され、また新たにデモの参加者がやって来るのです。
「どんどん増えていくな~」と、出口近くの男性たちが感心。
会社帰りの人たちなのでしょう。
携帯の時計は19時35分を表示していです。
何万人かは分かりませんが、この人たちが一斉に帰るのかと思ったら、いつ電車に乗れるのかと
心配しました。
いえ、いざとなったら、何処までも歩いても平気。
どの駅の電車にでも、タクシーにでも、乗ったり、ホテルの泊まったりの 覚悟はありましたけれど、
久し振りに大きな声で叫んだので、お腹が空きました。
で、後ろ髪惹かれましたが、老兵は一足はやく、帰る事にしました。
この場に来ている筈の友人にも会いたかったけれど。
未だ空いている地下鉄に乗って新宿でレストラン。
友人が「アジサイを持っている人、多かったね。」と言ったので
「エジプトはジャスミン革命だったでしょ。だからこっちでは紫陽花革命と名付けたんですって」
夜9時45分頃家に戻ると、ツレが
「11000人だったんだってな。少なかったな。警察官がたくさん写って人が少なかったぞ」ですって!
私は頭に来てしまい
「い~え、最初はけっこう見えたけど、最後の方はデモの参加者で埋め尽くされて
お廻りさんなんか、ち~っとも見えなかったわよ!!!」でした。
そんなことチマチマやっているのは、何処の放送さんでしょうかね。
5番(総理官邸前)出口に降りました。
お巡りさんに道を聴きながら、集会場所を目指して歩きましたが、
けっこう遠い道のりでした。
長い勾配のゆるやかな坂をのぼると、やっと集会場所が見えて来ました。
車がいっぱいで、なかなか近づけません。
向こう側に見えるのはデモ隊の先頭部分でした。
そこからずうっと下がって、下がって、廻り込んで、廻り込んで、何処が最後尾なのか
目を回しながら歩きましたが、隊列から逸れて寂しい道を廻ったところが最後尾らしい。
私たちの後ろにも次々と人が増えて行きました。
こんな体験もちろん初めてです。
空にはヘリコプターが・・ 8機まで数えたかな?
ちゃんと報道していただかないと。
カメラを持って行ったのですが、3枚くらい写したところで電池切れ・・・
携帯カメラは写りがいまいちだし あ~あ。
「再稼働反対」のシュプレヒコール。
若い参加者が多く、赤ちゃんを連れた人も何組か見かけました。
そのときは お巡りさんがフレンドリーで余裕を見せていました。
どうせの事なら「消費税反対!」も付け加えたかったな~。とひとりごと。
この看板、パンで造ったそうです。
夜の7時過ぎには、国会議事堂前は人波でいっぱい。
一車線も確保できないくらい、人人人で満ち溢れました。
車が通る時は、警察官だけでなく、主催者側の人がマイクで「危ないから歩道に
上がるように!」と懸命に叫んでいました。
というより、ほとんど絶叫状態でした。
「けが人出たら集会許可下りなくなる可能性もあるからね~」とTちゃんと心配。
私も友人も前へ進む事も出来ず、後ろに戻る事も出来ず、サンドイッチ状態です。
しばらくして隙間が少し開いたので道路際をそろそろ進むと「地下鉄国会議事堂前駅」
そこから、人がどっと吐き出され、また新たにデモの参加者がやって来るのです。
「どんどん増えていくな~」と、出口近くの男性たちが感心。
会社帰りの人たちなのでしょう。
携帯の時計は19時35分を表示していです。
何万人かは分かりませんが、この人たちが一斉に帰るのかと思ったら、いつ電車に乗れるのかと
心配しました。
いえ、いざとなったら、何処までも歩いても平気。
どの駅の電車にでも、タクシーにでも、乗ったり、ホテルの泊まったりの 覚悟はありましたけれど、
久し振りに大きな声で叫んだので、お腹が空きました。
で、後ろ髪惹かれましたが、老兵は一足はやく、帰る事にしました。
この場に来ている筈の友人にも会いたかったけれど。
未だ空いている地下鉄に乗って新宿でレストラン。
友人が「アジサイを持っている人、多かったね。」と言ったので
「エジプトはジャスミン革命だったでしょ。だからこっちでは紫陽花革命と名付けたんですって」
夜9時45分頃家に戻ると、ツレが
「11000人だったんだってな。少なかったな。警察官がたくさん写って人が少なかったぞ」ですって!
私は頭に来てしまい
「い~え、最初はけっこう見えたけど、最後の方はデモの参加者で埋め尽くされて
お廻りさんなんか、ち~っとも見えなかったわよ!!!」でした。
そんなことチマチマやっているのは、何処の放送さんでしょうかね。
原発再稼働なんて考えられません!
マスコミもすべて 原子力ムラの一員なんですよね・・・
真実をブログに載せてくれてありがとうございます☆
こんなこと有ると、妙に素直に張り切って
しまうのですよ。
ばーばさんとお会いしたかったけど、もう議事堂前の駅から出るなり、右に誘導されて、そのまま最後尾まで行き、流れに乗って一人で「再稼働反対!」「子供を守れ!」と叫んできました。
皆の声で携帯も聞こえないくらいだったので、ばーばさんと連絡取るのをあきらめました。
またいつか落ち着いたらお茶してくださいね。
毎日、お忙しいことと思います。
お体は十分いたわりながら、お仕事されてください。
想像出来ました。
その後は人波に押されて歩きました。
ドイツからの大勢の参加者や福島の女性たち、色々な国の方が、たくさん来て再稼働反対、と叫び、原発反対のプラカードを抱えていましたね。
私も次のチャンスには団扇を利用してプラカード作っていくつもりです。
お会いできる日を楽しみに♪