対馬 豆酘(つつ)の歴史に残る哀話を秘めた仕事着、、、
むかし、豆酘に鶴王という、貧しくとも美しい娘がおりました。その美しさは都にまで伝わり
京へ召されることとなりました。
しかし、鶴王は年老いた母を1人残す悲しみに 都へ向かう山道 自らの命を絶ってしまうのです。
そして、村の女たちは化粧をしなくなり 着飾ることをやめ 継ぎはぎだらけの着物をきるようになったのです。
それが はぎとうじん とうい着物の由来です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/26/efff830321e73ccb95257789573c5fb8.jpg)
自身を醜く見せるため、昭和30年後半まで、野良着として着用されていたそうです。
この村の方たち、お美しいんです、、、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6f/5b/241c7a50199eb7726def2c2bc19d844b_s.jpg)
継ぎはぎだらけといっても、現代の私達には絣のパッチワークのようで すごくかわいい
そして、いろんな方に着てもらいました。
お美しい方はより美しく、誰が着ても かわいらしく その人をひきたててくれているよう
本当に美人隠しになったのでしょうか!?
只今、かんべ茶屋にて展示中! 試着、撮影してみませんか?
今後、民話館に巡回展示の予定です(*^_^*)
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