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天然の繭だそうです。
1粒から600~700mの糸が得られるそうです。
かんべの森で発見!
現在機織り工房で展示しています。
ひな人形を、全10回で木彫で仕上げます。
やわらかい木を使いますので、比較的彫りやすいと思います。
講師の先生は、松谷清佳(まつたに せいか)さん。
出雲大社近くに在住の木彫人形作家さんです。
7月6日から来年の1月11日までの3週間に1度の金曜日 全10回。
時間は、10時30分から14時まで。
参加費 1回2000円。(材料、道具購入費別途)
定員 5名
非常に珍しい教室です。
ご自分用のひな人形として、
お孫さん、今度生まれるお子さんの初節句に
手作りのひな人形を作ってみるのはどうですか?
yukatti
やわらかい木を使いますので、比較的彫りやすいと思います。
講師の先生は、松谷清佳(まつたに せいか)さん。
出雲大社近くに在住の木彫人形作家さんです。
7月6日から来年の1月11日までの3週間に1度の金曜日 全10回。
時間は、10時30分から14時まで。
参加費 1回2000円。(材料、道具購入費別途)
定員 5名
非常に珍しい教室です。
ご自分用のひな人形として、
お孫さん、今度生まれるお子さんの初節句に
手作りのひな人形を作ってみるのはどうですか?
yukatti
かんべの里の自然散策
出雲かんべの里 館長 錦織 明
(元 松江勤労者山岳会会員)
「出雲かんべの里」は、松江市大庭町「県立八雲立つ風土記の丘」の隣りにあります。「出雲国風土記」に「出雲神戸」(いずものかんべ)と記されたところあり、それに由来して名づけられた研修施設です。
この施設には、籐細工、木工、機織り、和紙手まり、陶芸などもの作りができる工芸館と、語り部の民話を聞くことのできる民話館があります。また、この他に、十八ヘクタールに及ぶ自然の森があります。この森を散策する遊歩道も整備されていて、動植物を観察しながらゆっくり歩いても一時間ほどで回ることができます。
自然の森には「自然観察園」があり、カキツバタ、ミズオトギリ、ヒツジグサなどの水生植物、ササユリ、ショウジョウバカマなどの山野草、クロモジ、ナナカマドなどの樹木を見ることができます。また、オオエゾトンボなど貴重な昆虫も生息しています。
ところで、自然観察園の一番奥にある「あやめ池」には、次のような悲話が残っています。
皆さんは、松江城が堀尾吉晴によって亀田山に築かれたことはご存じだと思います。吉晴は、城地選定に当たって、乃木村の元山(現在の雑賀町床几山)に登り、息子忠氏(ただうじ)とともに見分しました。その時、吉晴は、後に天倫寺が建てられた荒和井山に決めようと思ったのですが、忠氏が亀田山を主張したために後日話し合おうということで保留となったのです。
ところが、それからまもなく、忠氏は神魂神社を訪れ、小成池を見たいと神主に頼むのです。神主は「あそこは人の入ってはならぬところゆえ、ご遠慮願いたい。」と言うのですが、忠氏は「領主たるもの見てはならぬところはない。」と言って引き下がりません。神主は致し方ないと、途中まで案内し、池には忠氏一人で行きます。
まもなく池からもどった忠氏の顔は青ざめていましたが、なにも言わずに富田城に帰って行きました。ところが、まもなく病に倒れ、あえなく他界してしまったのです。
忠氏が見に行った小成池というのが、実は自然観察園のあやめ池だったのですが、ここは「まむし谷」の奥にあたり、以前はマムシがたくさん生息するところでした。したがって、忠氏はマムシにかまれて、そのために命を落としたと言われています。
吉晴は、城地決定に当たって忠氏の意見に従い、亀田山に城を築くことにしました。亀田山に松江城を築かせたのは、小成池(あやめ池)のマムシだったのかもしれません。
ゴールデンウィークの初日、乾隆明ご夫妻を案内して、あやめ池まで行きました。遊歩道途中の展望台からは大山や茶臼山、北山が一望でき、隆明氏は、「あれが朝日山で、その向こうのピークが経塚山です。稜線沿いにながめのいい道が続いていますよ。」と説明してくださいました。奥様は、「チゴユリがかわいいですね。」「ミツバツツジがきれいですね。」と野の花に興味を示されていました。
あやめ池(小成池)は、以前は神魂ケ池とも呼ばれ、いわゆる禁足地になっていましたが、現在はめずらしい動植物を見ることのできるちょっとした秘境となっていて、どなたでも行くことができます。しかし、マムシにはくれぐれもご用心願います。
かんべの里事務所には「自然散策マップ」がありますので、お寄り下さい。
松江ハイキングクラブだより NO363 2012年6月号より
追記:忠氏の命日(8月4日)に、紙芝居「松江城ものがたり―忠氏の悲劇―」が完成です。完成後は、かんべの里等で上演します。
出雲かんべの里 館長 錦織 明
(元 松江勤労者山岳会会員)
「出雲かんべの里」は、松江市大庭町「県立八雲立つ風土記の丘」の隣りにあります。「出雲国風土記」に「出雲神戸」(いずものかんべ)と記されたところあり、それに由来して名づけられた研修施設です。
この施設には、籐細工、木工、機織り、和紙手まり、陶芸などもの作りができる工芸館と、語り部の民話を聞くことのできる民話館があります。また、この他に、十八ヘクタールに及ぶ自然の森があります。この森を散策する遊歩道も整備されていて、動植物を観察しながらゆっくり歩いても一時間ほどで回ることができます。
自然の森には「自然観察園」があり、カキツバタ、ミズオトギリ、ヒツジグサなどの水生植物、ササユリ、ショウジョウバカマなどの山野草、クロモジ、ナナカマドなどの樹木を見ることができます。また、オオエゾトンボなど貴重な昆虫も生息しています。
ところで、自然観察園の一番奥にある「あやめ池」には、次のような悲話が残っています。
皆さんは、松江城が堀尾吉晴によって亀田山に築かれたことはご存じだと思います。吉晴は、城地選定に当たって、乃木村の元山(現在の雑賀町床几山)に登り、息子忠氏(ただうじ)とともに見分しました。その時、吉晴は、後に天倫寺が建てられた荒和井山に決めようと思ったのですが、忠氏が亀田山を主張したために後日話し合おうということで保留となったのです。
ところが、それからまもなく、忠氏は神魂神社を訪れ、小成池を見たいと神主に頼むのです。神主は「あそこは人の入ってはならぬところゆえ、ご遠慮願いたい。」と言うのですが、忠氏は「領主たるもの見てはならぬところはない。」と言って引き下がりません。神主は致し方ないと、途中まで案内し、池には忠氏一人で行きます。
まもなく池からもどった忠氏の顔は青ざめていましたが、なにも言わずに富田城に帰って行きました。ところが、まもなく病に倒れ、あえなく他界してしまったのです。
忠氏が見に行った小成池というのが、実は自然観察園のあやめ池だったのですが、ここは「まむし谷」の奥にあたり、以前はマムシがたくさん生息するところでした。したがって、忠氏はマムシにかまれて、そのために命を落としたと言われています。
吉晴は、城地決定に当たって忠氏の意見に従い、亀田山に城を築くことにしました。亀田山に松江城を築かせたのは、小成池(あやめ池)のマムシだったのかもしれません。
ゴールデンウィークの初日、乾隆明ご夫妻を案内して、あやめ池まで行きました。遊歩道途中の展望台からは大山や茶臼山、北山が一望でき、隆明氏は、「あれが朝日山で、その向こうのピークが経塚山です。稜線沿いにながめのいい道が続いていますよ。」と説明してくださいました。奥様は、「チゴユリがかわいいですね。」「ミツバツツジがきれいですね。」と野の花に興味を示されていました。
あやめ池(小成池)は、以前は神魂ケ池とも呼ばれ、いわゆる禁足地になっていましたが、現在はめずらしい動植物を見ることのできるちょっとした秘境となっていて、どなたでも行くことができます。しかし、マムシにはくれぐれもご用心願います。
かんべの里事務所には「自然散策マップ」がありますので、お寄り下さい。
松江ハイキングクラブだより NO363 2012年6月号より
追記:忠氏の命日(8月4日)に、紙芝居「松江城ものがたり―忠氏の悲劇―」が完成です。完成後は、かんべの里等で上演します。