百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

新そばを食べに

2005-10-21 11:06:13 | 随想
10月20日

10月20日
 平成17年1月1日より293日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   15,378歩   10,765m
 総計 3,955,787 歩 2,769,051 m

        仮想通過地点   沖縄(9.23)

 久しぶりの快晴につられて、チワワの魅力に惹きつけられてやってきた貴ちゃんにも故郷を味わってもらいものと、ドライブに出かけることにした。エンジンを掛けて妻を待っていると、「栗の渋皮煮」ができたので食べて欲しいとHさんが自転車でかけつけた。偶然の出会い、有り難く、「栗の渋皮煮」を頂戴して「蕎麦を食いに行かないか」と声を掛けたら、すぐにのってくれた。

 計画では「斑尾」を回ってそばを食べに行く筈だったが、Hさんが同行してくれたことで、「涌井」で蕎麦を食べてから「斑尾」を回るコースに変更した。

 Hさんがおいしいと推薦したお店が定休日だったので下の行きつけの店に入った。このお店は「大盛り・安い」が評判で大繁盛、駐車場はいつも満員だが、今日は食事時を若干ずれたこともあって、幸い空席があった。

 例によって例のごとく、妻は計算しててんぷらは2人毎しか頼まないで4人に分ける。そばの大盛り、ざる一枚で2人毎ほどこれが4人分出されたからたまったものじゃない。無理して食べて胃酸のご厄介になったことがあるわたしが真っ先にギブアップ。わたしがさじをなげたのを見て全員箸を置く。何のことは無い。もう皆さっきから満腹だったようだ。

 うまいはずの新そばも腹いっぱい詰め込んだではどうにもならない。過ぎたるは及ばばざるが如しだ。まいった!でもHさんは喜んでくれた。お世辞かな?

 斑尾は紅葉にはちと早かったが、白樺が陽に輝いて青空にくっきりと純白の姿で群立して姿に目を見張った。ホテルから道を希望湖に回る。湖は既に禁魚期間に入っていたせいか、子魚が群をなして泳ぐ姿が目に付いた。お目当てのあけびは時期を過ぎたか、見ることはできなかったが、大平峰の山田さん宅の前には、飯山を見下ろしように真新しい白御影のお地蔵様が建てられていた。お爺さんを偲んで建てられたものだろうか。

 大平の集落に入ってHさんから停車の合図。そこには西敬寺で若い頃から知り合いの女性が居るから声を掛けて行きたいと下車。突然の訪問に驚きと懐かしさで一杯の先方様に呼び止められてつい上がりこむ。

 四方山話に花が咲き、家に辿り着いたのは陽も西山に沈む頃。Hさんからこんないい日はないと喜ばれ、わたしも大満足の一日となった。



靖国

2005-10-20 10:36:13 | 随想
10月19日

10月19日   
 平成17年1月1日より292日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,135歩   9,195m
 総計 3,940,409 歩 2,758,286 m

         仮想通過地点   沖縄(9.23)

月日の経つのは早いもので、はや一ヶ月が過ぎた。思い起こせば、承徳では対外友好協会が交流歓迎会を催して下さり、隆化県の存瑞小学校では全校生徒が整列して声と手拍子で「熱烈歓迎」をしてくれた。反日ムードで躊躇していた会員には想像も出来ない生涯忘れ得ぬ感動の友好訪問だった。

 特に刑春さんは、遥々石家荘市から北京空港に馳せ参じて出迎えてくれたばかりか、最愛のご主人をほったらかして最後まで随行してくれた。20年来の老朋友とはいえ、中々出来る行為ではない。同行のみなさんも心から観劇していた。

 その彼女が「小泉総理の靖国神社参拝をどう思いますか?」と言った。

 わたしはその質問に答える前に、「交通事故で、父親が死に、その息子が重傷を負った。その子を診た外科医はこの子はわたしの息子だ、と言ったという。変な話と思いませんか?」と聞いてみた。

 刑春さんをはじめ皆さんは、「そんなバカな・・・」「どこか間違ってる」と腑に落ちない様子に、わたしは「その外科医は母親だったのです」といって「刷り込み」の話をした。

 わたしはコンピュータのキーボードに字を印刷する仕事に関係したことがあるが、コンピュータが壊れても印刷した字は消えないように、キーを熱して膨張させてそこにインクを強制的に押し込むんだ。我々も親や学校や国家から教育を受けて心に一定の「刷り込み」をされている。だから「外科医」というとそれは「男」と即座にきめてかかってしまうのだ。さて靖国は・・・




中国から見れば、人の国にやってきて暴れて死んだ者を「護国の英霊」として祭り、一国の総理が参拝するなんて我慢ならない、許せない、軍国主義復活の前兆だ」考えるのも無理ない話しだし、小泉総理は「国民の義務で国家の命に従って殉じた者を慰霊し、再び戦争を起こさないことを誓うために参拝することは一国の総理しての務めであって、他国の干渉で止めるべきことではない。わたしの真意を理解して欲しい」と言ってることも理解できる。わたしも日本人、小泉総理の靖国参拝を支持する一人だ。

 互いに自己主張を繰り返すのみでは、不毛の議論で何等の解決策にもならない。相手の立場に立って、冷静に判断してみては如何だろうか。それには「靖国」だ、「正しい歴史問題」だなどといわずに、もっと両国にとって稔りある問題に取り組むべきだ。

 中国には「靖国」を声高に言わなければならない事情がほかにあるのじゃないだろうか?



甘柿誕生

2005-10-19 09:22:06 | うまい話
10月18日

10月18日
 平成17年1月1日より291日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   14,963歩   10,474m
 総計 3,927,274 歩 2,749,092 m

         仮想通過地点     沖縄(9.23)

 わがやの裏に「江戸一」という甘柿と越後の旅行で買ってきた「八珍」という渋柿がある。今年は豊作で例年に比べて小さな実をつけている。

                          

              江戸一                                八珍

 ところが実生の柿の木に大きな柿がなった。去年配水管の工事で柿の木らしいものが密生していることが判って木を伐った覚えがある。そのとき、残っていたのだろう。わたしは、種から芽を出した柿には「豆柿」しかならないと聞いていたので、そのうちに「柿渋」でもとればよいと放置しておいた。その木が「江戸一」よりはるかに大きな柿の実をつけたのだから驚いた。

                

 どこから種が飛んできたのだろうか。恐らく我が家の誰かか、ホテルのお客が食べ残した柿を捨てたものから発芽したのだろう。突然変異というのだろうか。これからが楽しみだ。待ちきれなくなって取ってきた。計ってみたら200gもある。皮を剥いて食べてみた。あまい!甘いではないか。渋柿に違いないと思って剥いた皮をなめてみたが、渋味を感じない。そこで思い切ってがぶりとかじって驚いた。
あまい!それも、おいしいといわれた「江戸一」よりもうまい。

                

 新品種の誕生か? 考えてみれば、新品種を生み出すには、異品種を交配させて作り出すものなのだから、実生の柿が全部豆柿とは限らないはずだ。ひょっとすると、ヒョットするかもしれない。

夢と現実と

2005-10-18 09:51:31 | 随想
10月17日

10月17日
 平成17年1月1日より290日目
     歩いた歩数   其の距離
 本日   15,104歩     10,573m
 総計  3,912,311歩 2,738,618 m

仮想通過地点   沖縄(9.23)

 「歩いて世界一周」達成一周年を迎えて、歓迎計画を企画してくれた山崎さんと一杯飲んで気炎を挙げ、大いに盛り上がったとき、山崎さんから「長寿会の秋の研修旅行が旅館が満杯で断られた責任上、いい旅行を見つけてきたヨ」「万座温泉 2泊3日 8千円台」の超値打ちな案が出された。

 
 わたしは酔いもあったが、①万座温泉が選定されたことに大賛成 ②2泊3日ははじめての企画だが、老人クラブのことゆっくり出来ることに大賛成 ③2泊3日で8千円台しかも6食付という泊まり賃など聞いたことも無い超安値にすっかり飛びついた。二人はこれを肴にまた飲んだ。

 前回、予約が遅れて断られた思い出から、早速旅行社に電話した。10人の予約を申し込むと、「30日しか空いてません」との事でその日に飛びついた。先方から10人の予定でしたら8人で予約して置くと良い。増やすのは良いが、減らすとキャンセル料が掛かりますヨという。親切な言葉に大いに恐縮する。

 午後、役員会を我が家で開催。女性陣から飛び上がって賛成してもらえるものと夢を描きながら提案したところ、意外な答えが返ってきた。「わたしは行けないけれど、参加できる人あるかしら・・・」と。浮かぬ顔。

 訳を聴くと、旅行に出かけるときには、家族の食事の準備はもとより、日ごろやっていることをどのようにしてスムースに乗り切れるように出来るだろう、留守中に起ると思われることをどうして行けば家族は困らないで過ごせるだろう、冷蔵庫の中身は揃っているだろうか、お酒の肴は十分あるだろうかなど、考えられることを全て満たしてからでないと家を空けることは出来ないのだという。だから一晩がやっとで2晩も家を空けることは不可能だという。

 そんな家庭ばかりではないだろうが、夫々の家庭を見渡すと、わたしや山崎さんのように自分の思うように行動できる家庭は以外に少ないことを悟った。男が参加するときは自由だが、女性が参加するときは留守番の男性を満足させる条件を整えなければ出られないという厳しい現実を知らされた。

 女性陣から2泊でなく一晩どまりにして欲しいと強く要望されたが、旅行社の条件に合わないので、予約を取り消すことにした。また1泊で行く温泉旅行を計画して欲しいとも要請されたが、わたしも山崎さんもその気力をなくしてしまった。
男の「夢」と女の「現実」の噛み合わない姿を見せつけられた一幕。

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                                 妙高  

 
 

第4回みゆき祭

2005-10-17 10:14:23 | 随想
10月16日

10月16日
 平成17年1月1日より289日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   14,111歩   9,878m
 総計 3,897,207 歩 2,728,045 m
 
        仮想通過地点  沖縄(9・23)

 「うちの分家がやっている(みゆき)のみゆき祭があるので行って見ませんか」とHさんの誘いがあった。

 数年前に、Hさんが「分家は大阪で大きな病院を経営しているが、今度飯山に老人の憩いの施設を造ることになって、工事を始めた。」と聞いた。その規模たるや私の想像を超えた大きなものでとても近寄り難い施設だったので、これ幸いと誘いに乗って同行した。

 壮大な建物に、広大な駐車場。誘導員の指示で整然と並べられた車は既に数百台。会場からは獅子舞の笛太鼓の囃子がスピーカーにのって流れてくる。景気付けの音楽かと思いきや「下木島若者連」の獅子が舞台上で暴れまわっているではないか。メーンステージ前の中央広場には入所している老人たちが車椅子で並び、椅子席には町で見かける方々の姿も見受けられた。

 イベントが木島小学校の児童たちの音楽や合唱と続き、オカリナの会、サウンドチチャのバンド演奏・秋津小学校のとんぼ太鼓、地元自慢の鬼島太鼓と続き、妻が気にするフリーマーケットに足を運ぶこと出来ない。

               

 昼食の品選びも行列でごった返し、諦めてたって居ると、やっと焼き鳥に焼き蕎麦を抱えてもって来た。それから休み所の席探し。何とまあにぎやかなこと。それにしても、思わぬ盛況に驚くばかり。

 午後はマグロの解体ショウがあり、解体したマグロは抽選で当選した者に分配されるとあって、長蛇の列。わたしは籤運が悪い方だし、並んでまで欲しくもないので只傍観する。押し合いへし合いする中にも当選を報せる振鈴が鳴り響く。

               

 やがてHさんがマグロの包みを2個ぶら下げてやってきた。3本引いて2個あたったと上機嫌。みゆき祭を満喫して帰途に着く。

 帰途、寺町花フェスタを見る。飯山市日中友好協会女性委員会の「餃子」販売は人気良くあっという間に売り切れた由。首尾上々の一日なり。