第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

大切なヒト

2007-05-03 19:56:41 | 職場と正面から向き合って(終)

「大切なものが何かなのはヒトによって違いますよね」

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
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大切なもの。

ヒトには、それぞれ大切なものを持っていると思います。

ヒトであれば、恋人、家族(旦那、妻、子どもなど)、竹馬の友など。

ものであれば、想い出の品、大切なヒトから頂いたもの、忘れられないものなど。

ヒトそれぞれ、と言ったところでしょう。

大切なヒトやものを、いつしか忘れてはいませんか?

その時、大切だった。けど、いつのまにか忘れている。私やあなた。

時が忘れさせ、新たな出会いや想い出が「大切なヒトやもの」を風化させる。

あれほど、大切だったのに、なぜ。

自身も気付かず、ただ時が過ぎていくだけ。

そして、

いつしか。死するときに「大切なヒトやもの」に気づく。

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An important thing.

I think that it has an important thing to each of the people.

If it is a person, in such cases as the lover, the family (in such cases as the husband, the wife and the child) and the old playmate.

In such cases as the thing which it had from the important person to the goods of the recollections that they aren't left it if they are things, the thing.

A person has just and probably said respectively.

Only when do you forget an important person and a thing in?

At that time, it was important. It is left which I and you.

Time makes it forget it, and a new encounter and recollections make "an important person and a thing" weather.

Like that, in being important, why.

As much as one doesn't notice it, either, and time is only his too much.

Then

When. When it dies, it notices "an important person and a thing".

 


失ったものが見つかるという事

2007-05-03 16:37:44 | 職場と正面から向き合って(終)

「どこへ行こうとしているのか」

 

この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。投稿日時も、そのままにしています。過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
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失ったものが見つかった時くらい、嬉しい事はない。

 良寛和尚が自ら記す、若い頃の逸話である。

こんな言葉を、ある人から聞かされて、良寛は早速、自分で試してみる。

道ばたに銭をおとして、自分で広い上げてみるのだが、別にちっとも嬉しくない。

何度やってみても同じである。あの人の言うことは嘘であったか。

 そのうち、銭が草むらに転がりこんで、どこにも見つからない。

何度、探して無駄であった。

和尚は次第に心配になる。

 良寛さん、何をしているのか。

 通りがかった村人が、一緒になって探してくれる。

 良寛さんは、銭を足の下に踏みつけていたことが、やっとわかった。

本来、本当にある話という実感は、湧いてこない。

勘定はあっていても、銭は足らない。

本当に見失うことがあって、本来失わずという道理が、始めて自分のこととなる。

 真実とは、建前が本音になること。

 自分が生きているという事くらい新しい感激はない。

見失って始めて見つけるという事を繰り返すことによって、そのことに対する認識を深める。

本当に、見失うという事を、どうして自分のものにするかである

これから、どこへ行こうとするのかは、誰にも分からない。

それは、自分自身でさえも。

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It is never so happy as the time when what lost it was found.

 It is an anecdote ryoukan, Buddhist priest, personally write young.

It has such a word told by a certain person, and tries ryoukan by itself at once.

It isn't separately happy at all though I try to raise money to the roadside by myself as 【 it is wide 】.

It is the same even if it tries how many degrees. What that person says is warm with a lie.

 Soon, money will roll in the grass, and it will be found nowhere.

It was looked for, and it was useless how many degrees.

A Buddhist priest is being worried gradually.

 Are you doing Mr. ryoukan, what?

 The villager who happened that it passed by encounters each other, and it is looked for.

 Mr.ryoukan finally found that it was stepping on the money under the foot.

Originally, actual feeling of a certain story isn't really welling up.

Even if there are accounts, it is short of money.

The reason to lose sight of it sometimes really and originally not to lose it becomes itself 【 it begins 】.

 As for the truth, the thing that a principle becomes its real intention.

 There is not so new deep emotion as the thing that one is living.

The recognition to face that thing by repeating the thing to lose sight of it and to begin and to find it is deepened.

It is to make it its thing that it really loses sight of it why.

From now, no one knows where it tries to go.

That is even that, too.