ヒロコのブログ

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大つもごり

2015-12-31 13:59:46 | 日常の出来事
 おおつもごり・今どきこんな言葉使う人はなくなったと思う。
大晦日が通り相場だ。

 朝からおせちの準備。後はお重に詰めるだけ。
 それにおついたちのお雑煮の準備だけだ。
わが家のお雑煮は大根、人参の輪切りにしろ味噌仕立て。輪切りは円満に暮らせるようにだ。これも母からのしきたりだ。
婚家にもしきたりはあるだろうが、調理する者の特権だ。
次からは好きなもの入れた美味しいお雑煮にする。

 子供の頃、母からおついたちは刃物を使ってはいけないと教えられその通りにしてきた。
おせちも数の子は子孫繁栄・黒豆はまめに暮らせるように・昆布は長寿を願う等、子供の頃に聴いたので、もう忘れているが。

 おせちがあるとお正月間はおさんどんしなくていい。これが一番だ



いよいよ終わり

2015-12-30 17:17:52 | 日常の出来事
 30日今年も明日1日になった。

28日は掃除で終わった。
昨日29日3時半頃に甥一家が来た。大阪10時頃出て加古川のヤマトヤシキで猫のショウを観てから寄ってきた。

 子供は4年生と1年生。大きくなってもう走り回らなくなった。
甥に蛍光灯が切れているので替えてと頼むともう器具が老朽化している。買うてきて替えたると言って買ってきて取り替えてくれた。玄関、電気やにして貰ったが、部屋の方が大きいのに
1万円ほども安かった。甥は大学で専攻したんだから詳しい。

 その間子供は家で遊んでいた。お兄ちゃんの友之は学校の事よく話してくれた。部活は新聞部でアンケ-ト取って集計し新聞に載せる。面白いらしく大きくなったら新聞記者になると言っていた。希望があっていいな,、なれるといいね。

 友之が加古川のおばちゃんとこへ行くと手紙をくれたので、昨日おやつを沢山買って「クリスマスもお正月も冬休みもみんな一緒やで」と袋いっぱいに入れて2人に上げた。
 早速あけて食べだした。おやつばっかり食べたらお夕飯食べられないよと言っても無駄だ。

 妹のしおりはおやつを食べながらNHKの2を夢中で観ていた。子供番組がずっとあった。

 5時半頃姫路へ行った。

 この日お昼過ぎ藤野さんからどないしてると電話貰った。うさぎちゃんもご無沙汰してるなあ、、一度連絡せんならんと思っていた矢先だ。又近いうちにねと言って電話を切った。

 今日はたつくりや黒豆、昆布巻き等日持ちする物だけ炊く予定だったが煮しめも炊いた。
今夜のおかずはあるが、あすの煮物がないのでこの煮しめを当てようと思い炊いた。
 おせちもお正月だけでは食べきれないのでね。

植木屋が剪定に来た

2015-12-27 17:39:42 | 日常の出来事
 25日に植木屋が27日に剪定に行くと電話があった。えらい押し迫ってからだと思ったが歳が明けてからより、今の方がいいと思い来てもらうことにした。
 植木が少なくなったので早く終わった。
庭がすっきりした。
 
 
植木の切りくずを志方へ捨てに行くのに、日の暮れまでに行かなかったらイノシシが出ると言っていた。へえ、、志方にイノシシ居るの?というと、いやクマも出る。キツネも野犬も狸もうさぎもと未だなんだかいっていた。知っている獣みんないるんだ。

 ハンタ-がどうして撃たないのと聞くと、今は銃の使用が厳しくなって、、と言っていた。
以前から届け出が必要だった。それせずに使用できなかった。その規制が厳しくなっただよね。

家の中も掃除するつもりだったがかたずけだけで終わった。明日はどうでも拭き掃除をすべてしなくては。窓ガラスが大変だ。わが家は各部屋に窓ガラスが2づつある。障子ふすまもあるがこれは張替しない。これをするとなるとそれこそ大変だ。

 植木屋が帰ってから野菜の煮物をした。おせちの煮物は別として、沢山炊いたので今年さいごになるやろなあ。

 予定通りすると残りそうだ。来客の予定はない。甥一家が姫路へ行く途中寄るぐらいだ。
甥の長男、小学4年生が初めて手紙をくれた。姫路へ行く途中寄ると書いてあった。

 29日に加古川のヤマトヤシキで猫のイベントあるそうだ。子供2人がそれが観たくて、
朝、大阪を出てヤマトヤシキで見てから内へ寄るそうだ。夕方になるそうだ。猫をそんなに観るわけでもないだろう。どこか寄り道するのやろうなあ。

 甥一家は休みにになると何時も出かけるそうだ。。妹がちょっと勉強せんならんのにと気にしている。親がすることだ。ほっておくしかないや。

銀行の超満員

2015-12-25 16:45:35 | 日常の出来事
 漢方薬の先生へ行った帰り、銀行へ通帳の記帳に寄ったが、まあ、、これまでに見たことないような超満員。ATM10台以上もあると思うのに長蛇の列。吃驚して中に入らず退散。年末ともなると銀行も混むんだね。

 バスの時間まで20分近くあるが、買い物に行く時間はない。待っているのしんどかった。

 年内にすることはまず裏庭に除草剤撒き。家の中から外まわりの掃除。おせち作り。
何もせずにと思うがやはり新年を迎える決まり事はしなくちゃあ、、と思う。
何時まで出来るか?、、、

 ラジオカレッジの井上先生より、先日の録音した放送1月9日に決まった旨お電話いただいた。自分の声ラジオで聞く、、、初めての経験だ。ちゃんと読めてたらいいがなあ、、と思う。

楽々の今年の最終日

2015-12-22 14:54:09 | 日常の出来事
 楽々くらぶは今日で12月は終わり。来年は5日から始まる。

 補聴器の検査の日。予約は9時だったので楽々に行く前に耳鼻科に行った。何時もの通り時間通りいかず待った。10時前に終わった。

 カレンダ-作りと難解な漢字の読みと書きとり。書けないが読めると思っていたが、読めない字もあった。漢字って奥が深い。普段使わない読みだったので。

 しばらく休みだが年末ともなると用が色々とできる。年末の事など何一つしてないのに、一日があっという間に終わってしまう。

知らぬ間にまた休んだ

2015-12-21 14:58:17 | 日常の出来事
 今日は21日。なんでまた4日も休んだんかな。
17日は耳鼻科に行った。ことぶき大学でご一緒だった水田さんも来ておられた。挨拶するとまるで存じませんというような顔された。表情も何時もと違う、あれ!認知症と思っているとご主人が付いてこられていて、診察室も支払いもされていた。大分酷いんだな、、

 ああ嫌だ、うさぎちゃんが認知症になったら世話してくれる人はいない。どうでもならないようにと願う。

 朝歩いていて、ご主人が奥さんの手を引いて歩いているご夫婦とよく出会う。以前は奥さんがご主人の世話をするのが当然だったが、今はご主人が奥さんの世話をするのをよく見かけるようになった。夫婦だから当然だよね。

 昨日妹と大阪の国立国際美術館へクレオパトラとエジブトの王妃たち展を観に行ってきた。2F,3Fと広い展示場に疲れてしまった。是非とも観たかったのが観られてよかった。
妹とお昼をしてどこへも寄らずに帰ってきた。だんだん遠出が出来なくなると思った。

 朝、駅で知った方と出会った。挨拶して東二見までご一緒したが、何時どこでお逢いしたか想いだせないままだった。彼女は今でもいなみ野学園は行っているか?言われた。もう卒業して10年になると答えると、早、そんなになるのかと驚いていた。
その当時を知っている方だが、うさぎちゃんはとうとう想い出せないままだ。人様のこと言われた義理でない。よくお逢いした方なら覚えがあるが、2~3度お逢いしただけなら忘れている。これからだんだんそういうことが増えてくるだろう。
 何とか忘れず、覚えていることは忘れないようにしなくては。

 今日は県民会館で「王朝文学」の講座がある日だが休んだ。昨日よほど疲れたらしく、元町まで行けなくて休んだ。28年度からは県民会館の講座は止めようと思う。

映画に行った

2015-12-16 16:16:53 | 日常の出来事
 昨日、朝起きるとちょっと喉が痛い。風邪とも思わないがやはり風邪かなと思い楽々は休んだ。事務所に連絡するのに電話したら、声が出なかったのには吃驚した。
 木谷さんに休む旨連絡したら、声にびっくりしてどないした?と言われた。喉が痛いので声が出ないと言っておいた。

 楽々休んで家でゆっくりしていたら、喉の痛みも楽になった。
映画の入場券貰っていたのが今日限りだ。どうしようかなと思っていたが観たかったので行った。中国映画で「妻への帰宅」だ。認知症の妻が20年ぶりに夫が帰宅したのにそれが解らず、5日に帰ると書かれた手紙はよく解り、5日になると停留所に大きい旗を作り迎えに行く映画だった。ラストは2人で駅で待っている処だった。

 考えさせられた。若しうさぎちゃんがボケたらどうなることかと空恐ろしくなる。どうぞボケないようにと祈るのみ。まずはボケにくい生活をするべきだよね。
 今の生活様式変えなくちゃあ、、

 まず早寝早起き。今は遅寝早起きで睡眠時間が少ない。
この頃はウオ-キングを休む日が多くなってきた。明日はは何処そこへ行く、その時歩くので今日は止めとこうと止める。体調に合わせて出来るだけしよう。実行あるのみ。

 栄養状態は蛋白質の取り過ぎか高すぎる。脂質も多い。食事はともかくおやつを減らさないと。果物も糖分が多いので摂り過ぎに気を付ける等、これまでにさんざん言われてきたことをおさらいだ。とにかく食べ過ぎないこだ。

 高齢者は食が細くなり、栄養失調になる人が増えているそうだ。これも心配の一つだ。
うさぎちゃんが低栄養になるのは食べられなくなったらだろうな。

柴崎さんにTELした

2015-12-14 19:37:40 | 日常の出来事
 昨日柴崎さんのこと聞いたが、書道教室があったらと思い今日電話した。
彼女、脊柱管狭窄症になってから7年になると言っていた。うさぎちゃんより2年も早くからだ。

 1年半は漢方薬で痛くも痺れもなかったそうなのに、その後痛みに痺れが出て来たんだ。
今も薬は飲んでいると言っていた。近所の友達も10年以上になるし、一朝一夕で治るものではない。それこそお墓まで持って行かんならん。

 書道教室はずっとしているが机に腰かけてしているそうだ。
でも自身が出品する作品は2,4メ-トルの画仙紙だ。それが書けるんだからまずは安心だ。
ずっと作品展には出品してるそうだ。

 うさぎちゃんも書は出来ないが、水彩は出来ると思い画用紙等を買って来たが一向に出来ない。出来ないんでなくしないんだ。もう少し体がいうこときくようになったらしようと思う。

 藤野さんが新聞の天声人語を毎日声を出して読んでいるといったので、うさぎちゃんも真似していたがいつの頃か止めてしまった。なんでこんなに無精になったのかと我ながらあきれている。脳活の為に何かしなければ、、思うだけでは仕方ない。

 歩いているときは100から3を引きながら歩いている。これは1000ぐらいは数へられる。今夜から心を入れ替えて声を出して読もう。これと決めないでなんでも読みたいものを読もう。

 出かけるのは、まあまあ少しづつ行けるようになった。今の処は一人で行ける展覧会や映画ぐらいだが、気候がよくなったら誰かれなく、お花見に行こうとかどこへ行こうとか約束している。大人数でお花見にいかんならんかもね?

又、しばらく休んだ

2015-12-13 18:07:03 | 日常の出来事
 この処休む日が多い。10日は整形に注射に行った。何人も知った方に出会った。
お互いこの年になるとあちこちいたくなるんだね。

 うさぎちゃんもこのメチコパ-ル注射しかけて足の裏の痺れが治った。8月からしているが未だ立って用事をするときや、歩くときは痛みがあるが酷くはない。
 朝起きたときは一番具合がいい。体や足を休めているからかな。
勿論それもあると思うが、背中を伸ばして真っ直ぐに寝るのがいいのかな、、と思う。
詳しいことは解らないが、背中を伸ばすことで脊柱管が引っ張られるのがやわらぎ、神経の圧迫が軽くなるのかな?と思う。

 11日の新聞にノ-ベル賞・受賞されたお二人大村智、梶田隆章氏の研究・業績等1面と21・23・38面に詳しく掲載されていた。日本人として本当に誇りに思う。

 又気になっていた軽減税率・酒類・外食を除く食品すべてに適用されるのは有難く思う。これからの生活に一番必要なことだものね。外食は時々友達と出かけるか、外出した際昼食を摂るぐらいだ。酒類は飲めないので買うことはない。
 料理酒やみりんは買うが、塩分が入っていると調味料となるので酒税は適用されない。

 今日13日は自治会のクリンキャンペ-ンの日。ごみを拾っていて鈴木さんが体の具合はどうかと尋ねて下さった。酷いことはないがまだ立って用事したり、歩いたりしたら痛いと答えると、柴崎さんもころころと車押して歩いていると言われた。鈴木さん加古川に居られたとき彼女とお隣り同士だった。
 彼女も脊柱管狭窄症で漢方薬を取り寄せて飲んでいる。1年半になるが痺れも痛みもないと言っていた。それを聞いてうさぎちゃんも別府の漢方薬の先生に行って漢方薬貰っていた。あまりよいとは思わないので漢方薬は止めている。月1回の注射だけはしている。

 その後、柴崎さんが痛みが出てブロック注射している。これで3回したと言っていた。いったい何回したらええねんやろと言っていた。それからご無沙汰している。

 柴崎さん書道の先生してはるが、出来るのかなと思う。彼女はうさぎちゃんと違って大先生だ。高校生の頃からずっとしている。すごい才能の持ち主だ。柴崎さんどうぞうさぎちゃんの様に酷くならないでと祈っている。

録音に行ってきた

2015-12-09 16:09:24 | 日常の出来事
いなみ野学園内にある「ひようごラジオカレッジ」へ録音に行ってきた。
折々の催しにもいかず10年ぶりに行った。7年ほども通学したいなみ野学園だ。
さど懐かしいだろうと思ったが、さにあらず、校舎の方にはいかず管理棟に行ったので。
管理棟は用がなければいかない処だ。

 どんなことをするのかと心配だったが、原稿を普通に読んだだけだ。あっという間に終わった。無事済んでよかった。練習するのかと思ったが一度読み合わせしただけで、ぶっつけ本番だった。

 これまでラジオカレッジはほとんど規定だけしか提出しなかったが、藤野さんから提出した?と聞かれ、へえ-そんなのあった?と言って募集の要綱が掲載されているの聞いて読んだ。
 毎年あるらしい。これまでテキストは提出に必要な処だけしか読まなかった。(既定の2週のみ読んでいた。)母と亡夫の看病に明け暮れていた日が10年ほども続いたのでそれが定番になっていた。で、今もってそれが続いている。折角教えて貰ったんだ。とにかく書いてみようと思ったが、さて書くとなると何を書こう。80年生きてきた中で心に残っていることは?

 その時たまたまテレビで戦後70年の特番していた。ああ、私にも戦中、戦後があったんだ。よしこのことを書こうと思った。一番記憶に残っているのは空襲の怖さだ。これはもっともっと悲惨は目に遭った人が多いし、今更言い立てることもない。それで終戦の日を書くことにした。小学4年生の感じたことを書こうと思い書いた。
 井上先生からお世辞にせよ素晴らしい文章だと言って貰った。

 この録音は28年1月2日と9日に放送予定だそうだ。原稿用紙2枚以内なので3分程だ。
10名程度2回に分けて放送するそうだ。土曜日のラジオカレッジの時間に放送なんだな。
どちらの日になるかは未定だと。
録音したCDは送ってくださるそうだ。
 又、投稿した中から100編程度2月特集号に掲載の予定だそうだ。

 帰りべふタクシ-を呼んだが、東加古川駅から行くので時間がかかると言うので10分程と思いOKしたら来ない。催促したら今車がないのでという。11時半のバスに間に合わなくなると思い再度電話すると行けないので、ローヤルにでも頼んでくれという。
 事務所に行って電話番号聞いてロ-ヤルに電話してべふタクにその旨電話すると、今そちらに向かっているもう着くころだと言う。
 そうしているうちにべふタクは来た。その旨伝えると事務所に電話していた。
ロ-ヤル呼んでいるのでキャンセルだと言うと、ロ-ヤルをキャンセルしてくれと言って動かない。でロ-ヤルにキャンセルした。ロ-ヤルは何も言わずに快く応じてくれた。

 11時半のバスには間に合わなくなった。次のバスは2時40分。自宅までタクシ-で帰ってきた。それはよいが旅費を請求するのにバスがあるのにタクシ-になるのが嫌だ。仕方なく東加古川からバスで帰ったことにして請求した。
 今まで近いのでべふタクを利用していたが、運ちゃんが少なくなってタクシ-が少なくなったんだ。もうこれから頼めないな。

 そういえば、亡夫がいた頃もタクシ-を呼ぶと運転手が少なくて車が走れないと言ってたことがあった。ず-と人手不足なんだ。
 これで一つ賢くなった。世間に疎いとはこのこともだよね。