ヒロコのブログ

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5本の指

2012-11-26 17:51:24 | 日記・エッセイ・コラム

 この処、子供の虐待やら、育児放棄、いじめ等の特集やら、その他の番組でNHKで毎日放映される。

 うさぎちゃんが小さい子供の頃、母から教わったことを書いてみよう。

うさぎちゃんは6人兄妹の4番目。兄2人姉と弟、妹の6人兄妹。

長兄とは10歳、次兄とは7歳、姉、弟とは3歳、妹とは7歳違い。

 母はよく自分の片手を出して子供はこの指と同じ、どの指がよくてどの指がよくない事はないみんな同じだよね。

子供はみんなかわいくて大切で、どの子が特に可愛いこともないし、特に大切な事もない。みんな同じで大切な大事な大事な子供だと言っていた。

又、赤ちゃんが生まれるともうかわいくてかわいくて、そうしてあなた達みんなをを育ててきたとも言っていた。

あなたの指も同じやろ。そう言って弟や妹の世話にかかるのにひがまないよう配慮していたんだよね。

 娘時代に文集にこの「5本の指」の事を投稿した事がある。

 これを読んだ友人がどんなお母さんか逢って見たいと言った事があった。

彼女は早くにご両親を亡くされ、結婚後実家に同居して2人の弟さんの面倒を見て、立派に独立させた方だ。

お母さんは肝臓が悪くて、やがて進行して肝臓癌になり、彼女が学校から帰ると「しんどいねん」と言って何時も寝ていたそうだ。お母さんの記憶はこの寝てたお母さんばっかりだと言う。

 うさぎちゃんは父の転勤で5歳引っ越し、小学2年生で転校した。

遊び友達もない折は姉のしり付きをしていた。姉は嫌がらず自分のグル-プに入れて遊んでくれた。

 うさぎちゃんは、若くして逝った姉の年を10年超えた。

姉がいたら姉妹3人仲良く過ごせるのに残念だ。


大谷美術館で

2012-11-22 20:53:14 | 日記・エッセイ・コラム

 鑑賞講座の日。

開館40周年記念「フランスVS日本 近代絵画」を見てきた。

近代なので知っている画家も多くよく解ってよかった。

出かけるとやはり疲れた。歩くのがまともでない。

お昼を済まして帰ってきた。

 コ-プの配達には間に合った。


喪中はがき

2012-11-20 19:05:37 | 日記・エッセイ・コラム

 今日ブロック注射から帰ってきたら、Kさんのご主人から喪中のはがきが来ていた。

彼女10月8日に亡くなられていた。

どうしているかなと気になっていたが、症状を聞いていたのでとても電話する勇気などなかった。

5月末頃だったと思う。隣の友達のAさんに尋ねると「癌や言う事やけど庭の草引きしてた」と聞いて元気にしているんだと思っていたが、やはり天国へ召されたんだ。

 Kさんがうさぎちゃんに電話してきたのは3月17日だった。胃癌の手術してから6年目だ。検査の結果頭から全身の骨に転移している。

神鋼病院ではこれ以上治療は出来ない。癌センタ-へ行ってくれと言われて検査に行ってきた。結果は19日に解ると言っていた。

 うさぎちゃんに彼女も行くから亡夫の供養にお遍路に一緒に行こうとのお誘いだった。

うさぎちゃんは歩くのもままならない状態なのでとても行けない。お断りした。

 彼女、19日に行った結果はやはり頭骸骨から全身の骨に転移している。

治療は点滴を続けて8時間する。一泊して点滴をしてきた。

これを4週間おきにするそうだ。点滴するとご飯も食べられないし、しんどい。過ぎれば普通に出来るとのことだった。

 彼女、前は毛髪は抜けなかったが、今度は抜けるのやろか?と言ったり、

私がおらんようになったら、祀らんならん。お父さんどないするやろとも言っていた。それなりに覚悟していたんだよね。

 ご両親に早く死別して、頼りになるご主人と結婚して幸せに暮らしていたのに、さぞ心残りな事と思う。

ご冥福をお祈りします。


お炬燵

2012-11-18 18:26:35 | 日記・エッセイ・コラム

 今日妹がおこたをしに来てくれた。昨冬は出さなかったので寒かった。こんな寒さなのにおこたも出さなかったら寒うて仕方ないと言って。

 うさぎちゃんは今は一人で出せない。昨年は出さなかったが、そんなに寒いとも思わなかったなあ。

妹はよく来てたので寒かったんだろうね。

おこたをしてくれて5時過ぎに帰った。


父のル-ツ

2012-11-17 22:22:26 | 日記・エッセイ・コラム

 姫路の博物館へ赤松円心、則裕展に行ってきた。「播磨守赤松氏と矢野荘の人々」の講演を聞きたくて今日いった。

 この頃、食事して次の食事が近づいてお腹がすいてくる頃になると、胸やけや、吐き気がしてくる。

昨日もお昼が近付くと胸やけがしてきた。お医者で貰った頓服も残り少ないので飲まずに我慢していた。我慢できない程悪くなり頓服を飲んだぐらいで治らない。昼食抜き、夜はリンゴ半分だけ、それなのに又胸やけがしてきた。慌てて頓服飲んで寝た。

 今朝、起きると頭痛がしている。朝食は牛乳とリンゴ半分。それでも吐き気がした。

雨は酷くないし、講演は今日しかない。よし行こうと思って行った。

 父は赤松。遠い祖先は円心ゆかりらしい。

田舎のバス通りの道路から少し入り橋を渡るとそこに赤松一族が住んでいる。

父はその中の赤松本家の生まれだ。本家には系図があるそうだがうさぎちゃんは見た事はない。

講演で何か解るかと思ったが、そうはいかなかった。

父は田舎に残らず就職したので田舎を離れた。

本家の蔵にはいろんなものがあるらしく、刀を貰っている。本家の従兄は刀を出征する際軍刀に作り変えたそうだ。

 母の実家は十数代続いた庄屋だ。母のおばあさんの実家は落人で貧しい村人に助けられ、納屋に匿われてはったいを貰って露命をつないだ。それを徳として今でも元日にははったいを食べる。2日になって初めてお雑煮を祝うそうだ。

 母方の祖母は父方のひいじいさんの弟が分家した家の娘だ。父方の祖父とは従兄妹同士だ。したがって父と母は二従兄妹だ。

 いなみ野学園で両親と同じ村から来ている同級生がいた。

両親の出身地を話すと、いろんな事が解るので話さなかったが、卒業式の後謝恩会の際たまたま彼が隣の席だった。

もう逢うこともほとんどない。両親も同じ村だと言うと赤松家はよく知っていた。母はたらだだと言うと実家をちゃんと言い当てた。

田舎はなんでも解るんだね。

 これ書いている途中で友達から電話で、何か手伝うよと言ってくれた。彼女も腰の滑り症で長年あちこちのお医者に通院していた。そんな彼女に手伝って貰う訳にはいかない。丁寧にお断るしたが草引きにでも行くと言ってきかない。ならうさぎちゃんも一緒にしよう。

 


忘れた

2012-11-16 15:16:38 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は美術展観償講座、事前学習会の日なのにすっかり忘れていた。

友達からの電話があるまで思いだしもせずに忘れていた。

木曜日はコ-プの配達の日。続いて2回も留守にすると思っていたのに何で忘れたのかと思う。

この頃よく忘れる。ああボケた。歳は取りたくないと思いながらも、自身ではボケたとも思わないし、歳相当だと思っている。

こんなことが続くようだったら、この思いもあやしくなる。

予定表はしょっちゅう見ているのに、13日から17日まで予定はないと思いこんで、その間は見てなかったんだ。

思い込みは恐ろしいね。

 今朝は今冬で一番の冷え込みだそうだが、日中は快晴で暖かい。

なのに明日は雨降り荒れ模様だとの天気予報にがっかりしている。


砥峰高原

2012-11-14 20:04:57 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、県の芸術文化協会のふるさと文化紀行「平家ゆかりの地川上とススキの草原砥高原」に参加した。

朝7時15分家を出て帰宅は午後7時20分、12時間の行程だ。

心配した雨もたいしたこともなく、帰りも傘はいらなかった。

 新野の水車の郷で保存会の方に案内説明して貰った。水力で水車を回して水を汲み上げ田んぼに入れていた。

うさぎちゃんが知っている水車はもっと小さくて人が乗って足踏のだった。これもうさぎちゃんが小学校の低学年頃の話だ。

又、水車を使って精米もしていた。これは丸一日かかって五分搗きぐらいだそうだ。それ以上搗くと米がつぶれてしまうそうだ。電気も使わずスロ-なのんびりした生活だったんだなあ。

代わりに人間さんがよく働いたよね。

 川上地区は平家の落人の集落。「須磨浦の戦いに敗れた平家の落人たどり着いたと言う伝説のある川上地区」

 壇ノ浦の戦いで安徳天皇の入水を知り、里人が天皇の霊を慰める為につくられた「壇の地蔵」を拝観。地区の方が詳しく説明して下さった。

毎年8月23日の地蔵盆に花飾りをつくりお地蔵さんに供え、「壇の地蔵と平家一族の冥福を祈る」民族行事になっているそうだ。

このお堂は福田寺にあり、お寺は立派な建物だった。お堂は昔ながらの建物の様だった。

 砥峰高原のススキは生憎の雨で「とのみね自然交流館」の展望台から眺めた。予定は西日に輝くススキを見学するはずだったが残念。雨の中、高い処から見たので黄色っぽい草の生えてるように見えた。

交流館の館長が説明して下さった。

ススキの丘の出来た由来。場所は3つの山系にまたがっている事等。

近には平清盛のロケ、ノルウレ-の森のロケ等があった。

 うさぎちゃんはこれまで二度行っている。波打って群生しているススキも見ているので、これなんじゃと思った。初めての方は本当にススキが見れなくて残念だよね。

 交流館で時間を潰したので、お茶飲んだり農産物を買ったりした。

うさぎちゃんはゆず3個入り100円、大きい柿2個入り200円、花豆の甘納豆1袋530円で買った。

ほうれん草やチンゲンサイ、少芋やさつま芋、ジャガイモ、南瓜もあった。へえ、こんなの何方が買うんだろうと見ていたら若い方がチンゲイサイ買っていた。

山のつるで編んだかごに観賞用のかぼちゃにマッカ瓜等が入っていた。かごによってお値段はまちまちだった。ご夫婦の方が買っていた。

 うさぎちゃんの買った柿は渋かった。まだ渋が抜けてないとので切ったのは日に干して、丸のままはリンゴの中に入れといた。

 帰り加西のSAで吊るし柿一連買った。今年は渋柿はならなかったので買った。10個付いていて1260円だった。鳥取産と書いてあったので買った。


ご命日

2012-11-09 21:54:55 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は亡夫のご命日。本膳でお祀りした。一周忌が済んでからながい様な気がするが一カ月だ。

 この頃になって、何でそんなに早ようあの世行きしたんだと思う。生きていればそれなりにいい事もあっただろうに。

なにを言っても仕方のない事、いわないことだね。

仏さんのお花は買ったが、花台のお花は裏庭の菊で間に合った。小さい菊だが花瓶いっぱいに入れるときれいだし豪華な感じがする。

 うさぎちゃんは漢方薬の先生へ行った。帰りにヨ-カド-で傘修理してきた。一本290円で直して貰った。

もう一本は折れてなかった。亡夫の入院中病院へ行くのにさしていて風にあおられ、じょうごになった。もとに戻らなかったので折れたと思った。

今日、持って行って開けたらちゃんとあくし、折れた処もない。修理屋のおやじさんも折れてないと言った。

あの時は何で折れたと思ったのかなあ、、

 靴も持って行った。フロア-が濡れていた時滑った。裏が一枚なので踵と足先に半皮貼って貰う予定だったが、

おやじさん、最悪の場合濡れてはがれる事があるかも?その他いろいろリスクがある。料金は3150円だそうだ。靴代金の3ぶんの1近くもかかる。止めて持って帰ってきた。雨の日ははかない事にしてお天気靴とでも呼ぼうかな。


ブロック注射で

2012-11-06 18:38:36 | 日記・エッセイ・コラム

 お腹が空かないのに時間が来たら食事していたら、食べすぎたのか胃が悪くなった。

気分が悪いがブロック注射に行った。12時半の予約なのに、どうした訳か杖ついたよたよたの婆さんがいた。

彼女先にした。うさぎちゃんは1時半になった。お医者を出たのが2時回っていた。

 子供の頃お腹の具合が悪かったら、母がりんごジュ-スつくってくれた。これが食事であり薬だった。

又下痢の際はりんごを擦ってくれて、「これはお腹の悪いものをさらえてだす」と言って食べさせてくれた。

そして自家製の梅エキスを舐めていた。

子供のちょっとした不調は母がこうして治してくれた。

 うさぎちゃんも思いだして、お昼にはリンゴを擦って食べた。

 うさぎちゃんは3~4歳ごろ腸炎を患い入院した。

胃洗浄の後、先生がリンゴジュ-スでも飲まそうと思い見に来られたら冷たくなっていたそうだ。慌てて湯たんぽを両脇において温め、手当が早かったので助かったそうだ。

それから長い間入院していた。母が来るののを病室の窓から見ていたの今でも覚えている。

このでき事は今から70数年前、よく助かって今日まで生きながらえてきたものだ。

これからも、皆に助けられた命大切に生きなくては。世の中になんのお返しも出来ないでこの世を去りそうだ。

だったらせめてみんなに迷惑かけないようにこの世から去りたいと切に思っている。