晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

子どもの頃、僕は(音楽)

2015-01-12 20:58:02 | Weblog

 札幌東急百貨店、地下イートイン「天一」で特製天丼。

 何とか週末ランをこなす。今年のスタートは体重62.7kg、体脂肪率17%。今日は、降り積もった雪の下にアイスバーン、バランスを崩しながらのランニング。俊敏性が落ちてきているので、少し危険。

 アへ首相は、いち早くフランスの言論テロに抗議声明を出したが、北星大学での元朝日記者に対する脅迫には反応なし。

 

 子どもの頃、僕は(音楽)

 僕は、幼稚園にも保育園にも行かなかった。その影響が一番あったのは、小学校に入った時に、全然歌を知らなかったことだ。誰しもが歌える曲を知らなかった。最初から音楽の時間に出遅れ、苦痛を感じた。

 ハーモニカを使い始める時、先生はドの場所に印が付いているからそこを吹きなさいと教えてくれた。僕は、ドレミファの意味がわかっていなかったので、ずっとドだけを吹き続けていた。でも周りと違うことをやっているということには気づかなかった。

 このつまずきは、その後ずっと尾を引き、楽器は弾けない、弾く気になれない、音符も全く読めないでここまできた。音楽の時間やクラス対抗の合唱コンクールなどはほとんど「口パク」で通してきた。今思うに先駆的な子どもだったと思う。

 中学生の時、音楽の授業で一人ずつ前に出て歌う試験があった。皆、照れ隠しに「イよー森進一! 青江美奈!」なんて声をかけながら、苦痛に耐えた。僕はどの高さの音から歌い始めたらいいか、いつも違う。ゆえに巧く音程が取れない。特に満腹の時は、いわゆる音痴だと思う。

 また、大人になってからも、子どもたちの合唱や吹奏楽を聞いても、一度も素晴らしいと感じたことはない。指揮をする独裁者のような教師を見ているだけで腹が立つから。

 以上、全く落ちの無い話になってしまった。

 

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