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加藤陽子 『この国のかたちを見つめ直す』 その2 平成天皇退位 三笠宮崇仁 皇室典範 神武天皇即位 元号 皇位継承 

2021-12-27 14:17:28 | Weblog

2021年も残すところ数日。一年が経つのは早いなあとの声が聞こえてくる。「時間とは何か」を友人と話した。はたして時間は均一に刻まれているのか。あっという間の時間もあれば、なかなか進まない時間もある。今を認識している自分は、その時点の自分ではなく未来の自分である。時間は質量を持った物質なのかエネルギーを持った波動なのか。時間には始まりがあり、終わりがあるのか。僕らが生きているこの宇宙に始まりの時間があり、やがて終わりの時間が来るのか。果てしなく問うことは楽しい。

 

『この国のかたちを見つめ直す』(加藤陽子著 毎日新聞出版 2021年刊) その2 平成天皇退位 三笠宮崇仁 皇室典範 神武天皇即位 元号 皇位継承 

著者は、「第4章「公共の守護者」としての天皇像 天皇制に何を求めるか」で天皇制についての見解を述べる。

「天皇と国民をつなぐ『神話』の解体のためには」(2021.1.23)では、今年の元旦に公開された天皇と皇后のビデオメッセージにおいて、天皇が「皆さん」と呼びかけ、難局を克服する主体を「私たち人類」と称し、皇后も結びの言葉で「皆様」と呼びかけたことに注目する。同じ元旦の言葉としては敗戦直後1946(昭和21)年の「新日本建設に関する詔書」(いわゆる人間宣言)において昭和天皇は「我国民」という呼称を何度も用いたことを想起すれば、語りかける対象を国民に限らない意思の表れと読み解いた。(原武史氏の解釈)。現在、この国に住む在留外国人は約288万人。我々は、国民国家の概念の見直しを迫られる社会に生きている。憲法にある「国民の総意」が変容しているという。

(僕)僕らには見逃しがちの微妙な言葉づかいから皇族たちの想いをくみ取るのがプロの技なのだろう。皇族が国民に語り掛けることのできる機会は限られており、また事前に調整が行われているため感情などが表に現れることは少ない。特に天皇、皇后についてはかなり制約がかかっているのだろう。だが彼らが何を思い、何を言いたいのか、感じとれる感度や読み取る力が重要だと思った。今年は、秋篠宮や眞子さんの肉声が伝えられ、そこにひとりの人間としての感情が発露されていた。

「今こそ皇室典範=皇室法改正論議を」(2017.1.24)。2016年8月8日平成天皇(現上皇)が退位の意向を表明した。現行憲法で天皇は国の象徴であると規定された当時、現上皇の叔父である三笠宮崇仁は1946年11月3日付けの意見書で「天皇は性格、能力、健康、趣味、嗜好、習癖、ありとあらゆるものを国民の前にさらけだし批判の対象にならねばならぬから、実際問題とすれば今まで以上に能力と健康を必要とする。」と指摘し、象徴であり続けることの困難さをすでに看破していた。

(僕)天皇であることは重く、たまたまその家庭に生まれたというだけで、たとえ嫌だと思っても簡単には辞められない存在である。子どもは親を選べないが、国民は総意をもって天皇という制度を変えられる。

「『国民の総意』に立脚し、変容を迫られる天皇の地位」(2019.12.17)で、著者は新旧の皇室典範制定にこれまで国民は関与することができなかったという。明治においては、井上毅らが草案を書いたが皇室の家法だからとして公示はされなかった。戦後の皇室典範(新)も、新憲法施行前に作ってしまおうとした内閣法制局の官僚が大急ぎで書いた。皇室財産と皇位継承などの最重要課題以外の問題、つまり大嘗祭などの儀式は「従前の例に準じて、事務を処理する」との通牒一つでそのまま継承することとされた。現状は、継承順位の変更や皇族の結婚などは皇室会議で決定される。たとえ本人が不満でも訴える先はない。現行憲法第2条には「国会の議決した」皇室典範により皇位が継承されるとある。また、著者は平成天皇(現上皇)の退位表明に対して、一代限りの特別立法で対応するとした政府の方針に対して、国会で退位規定や象徴天皇の在り方について皇室典範の改正を含めて根本からの議論を求めていた。我々は、退位表明という皇室典範の見直しの絶好のタイミングを逸したと同時に政府は根本的な議論を避けたと批判する。

(僕)平成天皇の退位、眞子さんの結婚、皇位継承問題などで、僕たちは現在の皇室制度が大きな曲がり角に来ていると感じている。この間に気づいたことの中でも「自由」が無いことが一番だ。行動、発言、交流、職業選択、居住、恋愛、結婚、投票・・国民が当たり前のように享受している自由が無いのだ。彼らは貧困にあえぐことはないだろう。食事も医療も日常品に不足することはないだろう。しかし、特別な存在としての限界、同情レベルの関わりではなく制度の行き詰まりを感じる。著者は表題に「『公共の守護者』としての天皇像」を掲げているが、公共から最も遠い所にいるのが皇族ではないか。

「国体という言葉があった時代、その時軍部は」(2011.8.21)で、著者は大津透氏の著書によって初めて720年完成の『日本書紀』が神武天皇即位を紀元前660年とした理由と経緯を知ったと書く。大津氏は、『日本書紀』あるいはその底本の編纂者が、十干十二支でいう辛酉(しんゆう)の年に革命が起こるという中国古代の言説に従って神武即位を定めたはずだと推測する。辛酉の年は60年に1回来るが、60年に3と7を乗じた1260年(この単位を蔀(ほう)と呼ぶ)が、最適の大革命の1単位と考えられていた。そのうえで、編纂者たちの記憶の範囲で当時の直近の辛酉の年は601(推古9)年であり、その601年を起点に1260年さかのぼった年(紀元前660年)を建国年に選んだ。なお、推古朝の603年に冠位十二階、604年に憲法十七条の制定があった。

(僕)神武天皇即位を紀元前660年とすると、その後の天皇たちが相当な長命でなければ、実在が確認されている天皇までつながらないということは僕も知っていた。紀元前660年、そして万世一系が虚構であることは、少し知識ある者にとっては戦前から知られた事実であったと思う。来年2022年は紀元2682年だ。

「歴史の大きな分水嶺だった元号法制化 天皇が譲位する国で」(2019.4.3)で、1947年5月に改元を規定する旧皇室典範や登極令が廃止されたことによって、1979年の元号法制定まで元号を裏付ける法的根拠はなく、宮内府(のちの庁)の発した通牒「従前の例に準じて、事務を処理する」のみで運用されていたと述べる。

(僕)西暦と昭和は25の加減で置き換えが比較的簡単だったが、平成、令和になり頭の中でゆっくりと計算しないとわからなくなった。特に、令和はなじんでいない。特に新聞などでは元号法があるにもかかわらず西暦表記だ。

「第1章」所収の「個人が尊重されるかどうか国民世論のありかに信頼」(2021.3.12)で、著者は夫婦別姓反対論者の論拠のひとつに、明治政府が大日本帝国憲法と皇室典範を起草する際に、内閣法制局長官の井上毅が、女系による皇位継承は、天皇の姓が変わること(易姓)を意味するとして反対したからであり、姓が変わっては万世一系という観念が崩れる、との呪縛が「別姓を認めればこの国のかたちが変わる」という「この国のかたち」派にあるためと述べる。

(僕) 夫婦別姓反対が天皇制の原理に根拠を持つという論理に納得できる。そして、これほどまでに天皇制が市井の原理に食い込んだ根深いものであるということをあらためて感じた。僕の天皇制に対する考え方は、それが無くても生きていけるというものだ。反天皇制、廃止、打倒などと運動体の言葉で叫ぶようなことはしない。たとえ叫んでも天皇制を無くすることはそう簡単なことではないと考えている。著者の加藤陽子氏からは、天皇制を問い直すためにはもっと歴史的事実に基づいた厳密な理論展開が必要なのだということを学んだ。

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