もし、ソ連が釧路と留萌を結ぶ線の北半分を占領していたら?朝鮮半島は38度線で分断され東西対立によって朝鮮戦争が起こった。東西ドイツの分断も冷戦終結まで続いた。僕の父親は釧路育ち、母親は函館で育っているので二人の出会いはなかった。僕は僕として生まれていなかっただろう。
『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文著 中公新書 2024年刊) ノオトその4 釧路と留萌を結ぶ線 ソ連の北海道占領計画
4.北海道上陸作戦
(米国)1945.8.16トルーマン大統領からスターリンへ日本軍の解体案が届けられる。案では、ソ連軍に降伏すべき地域は、「満州、北緯38度線以北の朝鮮、サハリン」のみで千島列島は記されず。
○(ソ連)1945.8.16スターリンからトルーマンへの返信。上記の地域に加え、「全クリル諸島(千島列島)、釧路と留萌を結ぶ北海道の北半分」を求める。
(ソ連)1945.8.17ソ連軍では北海道占領の準備が始まる。1945.8.18ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官がスターリンへ作戦計画を送る。8.19から9.1までに2個師団を北海道に、1個師団を千島列島に送る。留萌への上陸は8.24午前5時の予定。
○(米国)1945.8.17トルーマンからスターリンへの返信で、北海道の北半分を譲るのを拒絶。ただし、「全クリル諸島」をソ連軍に明け渡す領域に含めるのに同意。(千島列島がどこまでを指すのか、具体的に示さず。→その後の北方領土問題へ)
(ソ連)1945.8.20スターリンは北海道と千島列島南部での作戦準備を続けさせる。だが、8.22スターリンは北海道上陸の準備中断を命じる。同日、トルーマンに千島列島で米国に飛行場の提供するのを拒否と返信する。
(ソ連)1945.8.22午後2時55分、スターリンの命令を受けて、ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官は、北海道への上陸作戦は待機するよう命じる。(中止ではない。)
(ソ連)1945.8.26アントーノフ参謀総長はハリマン駐ソ米国大使へ、北海道への上陸作戦の計画はないと明言し。8.27北海道に艦艇、航空機が近寄ることを禁じる。(上陸を断念)
○なぜスターリンは北海道上陸作戦を断念したか。
・研究者の意見は分かれている。(立証できる資料が欠けているため)
①南樺太、千島列島での日本軍の奮戦が北海道の占領を防いだ。
②朝鮮北部と全千島列島をソ連が占領するのを、米国が認めたのでソ連も妥協した。
③ソ連が米国との関係悪化を恐れた。