最近、思わぬことから私の故郷の名前が頻繁に報道されるようになった。
今朝もニュースで流れていた。
知床半島沖で沈没した観光船が網走の港に運ばれ、今日陸揚げされる。
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(NHKテレビより)
私が網走にいた頃は、網走の港は北海道で最も活気のある港だと聞いたことがあるが、今はどうなのか分からない。
一時はカニ族と称する観光客も多く網走にやって来ていた。彼らは横長のリュックを背負っていたので駅の改札や列車の通路をカニのように横歩きして進まなければならなかったので、そう呼ばれた。
彼等はお金をあまり持たない学生が多かったので駅前で寝袋で一晩を過ごしていた。それを見た母は外で寝るのは可哀そうだから連れて来て寝かせてやりたいとよく言っていた。
昭和40年に映画「網走番外地」がヒットすると、刑務所が観光名所になり網走刑務所を見るために、多くの人たちがやって来きて門の前で記念写真を撮っていた。刑務所の改築に伴い、その頃の刑務所は移築され博物館網走監獄と称して観光名所になっている。
夏は原生花園などの自然を観光していたが、最近は冬の流氷が観光資源になっており「流氷観光砕氷船おーろら」が就航している。
毎年流氷がやって来ると一気に凍れたものだが、それを見に来る人がいるとは思ってもみなかった。
観光客が多かった頃は一日置きに新潟空港から網走の隣の女満別空港まで航空機が就航していたので帰省するには便利が良かったが、観光客の減少で現在は飛んでいない。
網走に最後に帰ったのはコロナ禍が始まる少し前で、母の納骨のためだったので三年以上帰っていない。
北海道の感染者数は少しは減少してきているようであるが、まだ帰省できる状況ではないように思われる。
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