住民に見送られながら奈良少年刑務所を後にする職員ら=奈良市般若寺町
146年の歴史を持つ奈良少年刑務所(奈良市般若寺町)が31日、閉鎖された。地域の人に親しまれた重厚な赤れんが造りの建物は国の重要文化財として保存され、今後の運営は民間企業に託される。
この日夕、地元の人らでつくる「奈良少年刑務所を宝に思う会」のメンバーが門の前に立った。刑務所を後にする職員一人ひとりを、拍手で見送った。29年間勤めた教育専門官の乾井智彦さん(58)は「寂しい気持ちはあるけど、新しいスタートのような感じがします」と感慨深げだった。
奈良少年刑務所は1871(明治4)年に奈良監獄として発足した。同時期にできた千葉、長崎、鹿児島、金沢とともに「明治の五大監獄」と呼ばれた。放射状に並ぶ受刑者の収容棟やアーチ形の正門があり、「宝に思う会」も「美しく貴重な建築物」として保存を求めてきた。
老朽化のため、昨年7月に閉鎖の方針が明らかになった。全国の都道府県で奈良県のみが「刑務所ゼロ」となる。改修と、その後の運営を担う民間企業は法務省が公募。5月にも事業者が決まる見込みだ。
■「再犯のないように」刑務官 思い出を胸に
刑務官の中野幹生さん(59)は37年間、奈良少年刑務所に勤めた。20代後半から十数年、職業訓練の監督を担当した。受刑者同士のもめ事も多かった。「二度とここに来たくないと思うよう、動作一つからうるさく指導しました」
昭和50年代まで受刑者を「生徒」と呼んだという。「厳しく接する一方、職員はみんな面倒見の良さがありました」と振り返る。
奈良少年刑務所は、受刑者が手作りした木工品やおもちゃなどを販売する「矯正展」を毎秋に開き、地域に親しまれてきた。勤続38年の楠田彰雄さん(56)は40代から製品の管理・販売を担当してきた。「受刑者が一生懸命に技術を身につけて作ったもの。しっかり売ったろうと思っていました」と話す。
4月から別の施設に移る。「受刑者が再犯しないように。その気持ちは変わりません」
勤続41年の張田昌秀さん(59)は23年間、職業訓練の監督を担当した。出所した受刑者の母親から「息子はすごく変わりました」と感謝の手紙が届いたことは忘れられない。
4月から自分も同僚も各地に散っていく。「それぞれが、ここで育ててもらった感謝の気持ちを忘れないようにしないと」と話す。
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