岡山学芸館高校(下)

 

感謝の気持ちを音楽にのせて

 

 昨年の全日本吹奏楽コンクール全国大会高等学校の部。当時1年生だった岡山学芸館高校の「ルナ」こと大森瑠菜は、55人のA編成チーム「百合(ゆり)」の演奏を、名古屋国際会議場センチュリーホールの客席で聴いていた。

 「頑張れ……、頑張れ!」

 そう心の中で祈った。自分が演奏するより緊張していたかもしれない。最高峰のステージで仲間たちと顧問の中川重則が紡ぎ出す音楽に全身が震えるほど感動した。

 結果は2012年以来の金賞。一緒に応援に来ていた岡山学芸館高校吹奏楽部のB編成チーム「向日葵(ひまわり)」のメンバーたちと喜び合った。

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 ルナは中学時代はトランペット担当だった。倉敷市にある出身中学校の吹奏楽部は規模が小さく、強豪校ではなかった。岡山学芸館高校に進学した当初は「私なんかが学芸館の吹奏楽部に入ってもいいのかな……」と躊躇(ちゅうちょ)していた。

 ログイン前の続き思い切って入部すると、楽器の適正チェックで顧問の中川から「高音域のトランペットで苦労するより、ユーフォニアムをやってみたらどう?」と勧められた。ルナはトランペットの演奏技術が伸び悩んでいると感じていた。「うまくなれるなら……」と思い切ってユーフォニアム担当になった。すると、ルナはめきめきと上達。

 「ユーフォは自分に合ってるし、先生の言うとおり楽器を換えて正解だった!」

 ルナは水を得た魚のように部活動に没頭した。

 2年生になったルナは、コンクールシーズンが近づいてくる6月下旬、「百合」に抜擢(ばってき)された。昨年は客席から眺めるだけだったあのステージを目指すメンバーに選ばれたのだ。

 「百合になれるなんて思ってなかったけど、せっかく選ばれたんだから、みんなの力になれるように頑張ろう!」

 ルナがいっそう気持ちを込めて練習に取り組むようになった。そんな矢先、思いもよらない事態に襲われたのだった。

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 7月上旬を中心に西日本の広い範囲を大雨が襲った、いわゆる西日本豪雨だ。

 ルナの地元である倉敷市真備町(まびちょう)も激しい雨が降り、近くを流れる小田川などが危険な水位に達していた。

 7月6日夜、ルナは家族とともに一度避難をしたが、深夜になって隣接する総社市のアルミ工場が爆発した。「危ないから、一度家に戻ろう」ということになり、自宅に帰ってきた。

 ルナはなかなか寝付けなかった。1時間ほどウトウトした後、母親に揺り起こされた。川の堤防が決壊し、洪水が発生していたのだ。自宅1階に下りてみると、玄関のドアの隙間から水が流れ込んできているのが見えた。家は浸水し始め、もはやどこかへ避難することはできない状況になっていた。

 夜の闇の中では、何が起こっているのか把握することは難しかった。わかったのは、外から家の中へどんどん水が入り込み、家具や生活の品をのみ込んでいったこと。さらに、水が2階にまで及んできたことだった。

 幸い、ルナの自宅は3階まであり、家族は最上階に逃げていた。

 「水、どこまで上がってくるんだろう……」

 ルナは不安でたまらなかった。もし3階まで水が来たら、自分たちはどうなってしまうのか。今まで感じたことのない恐怖だった。

 夜が明け始め、窓から見えてきたのは信じられない光景だった。濁った水に沈んでいる地元の町――。

 ルナはこの町が大好きだった。優しい人が多く、仲のいい友達もたくさんいた。中学時代は多くの住民が吹奏楽部を応援してくれた。それなのに……。

 屋根の上に逃れている人が多くおり、消防や自衛隊がゴムボートで救出していた。ルナの家は3階建てのため、救出は一番最後になった。待っている間「水が上がってくるのでは」と恐ろしかった。

 ようやくゴムボートに乗せてもらい、家を離れた。いつもは見上げる位置にあった信号機が目線の高さにあった。

 市の施設に避難したが、そこも危ないということになり、またボートに乗せられて移動した。ボートからバスに乗りかえて避難所となっている体育館に着いたとき、ようやくルナは「助かった」と安堵(あんど)することができた。

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 岡山学芸館高校吹奏楽部では約150人の部員のうち4人が西日本豪雨の被害に遭った。4人の中ではルナだけが「百合」メンバーだった。吹奏楽コンクールの県大会を1カ月後に控えた大事な時期にルナは学校を1週間休んだ。「私は『百合』に残っていいのかな……」と悩んだ。練習ができない焦り、2年生である自分が欠席を続ける申し訳なさも募った。

 ルナは母親と一緒に顧問の中川を訪ねて相談した。場合によっては「百合」を辞退することも考えていた。だが、中川が口にしたのは思いもよらない言葉だった。

 「戻ってくるのを待っとるから。部活のことは考えんでいいからな」

 ルナは涙が出そうなほどうれしかった。

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 倉敷市真備町は水が引いた後も泥だらけになっていて、片付けは難航した。そこに酷暑が追い打ちをかけた。公園や学校の校庭にはゴミの山ができていた。ルナも卒業アルバムや教科書の一部など大切な品々が駄目になってしまった。

 ルナは無事だった祖母の家から学校に通うことになった。

 久しぶりに部活に出てみると、「百合」チームの合奏で自分の席が空けられていた。銀色のユーフォニアムを抱き締め、そこに座る。胸がいっぱいになった。

 ずっと待っていてくれた54人のメンバーと顧問。ルナはその場所にいられる幸せ、みんなと一緒に音楽ができる喜びを噛み締めながら、力強く楽器に息を吹き込んだ。

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 岡山学芸館高校吹奏楽部「百合」チームは、8月10日の吹奏楽コンクール岡山県大会、8月25日の中国大会で代表に選ばれた。「3出休み」を除いて8回連続となる全国大会出場だ。課題曲はⅡ《マーチ・ワンダフル・ヴォヤージュ》、自由曲はライアン・ジョージ作曲《ワイルド・グース》だ。

 倉敷市真備町は、まだ復興への第一歩を踏み出したばかりだ。ルナの家族は家をリフォームして住み続ける予定だが、いつ町に戻れるかはまったくわからない。町を離れる住民もいる。まだ避難所で暮らしている友達、アパート暮らしをしている友達もいる。仲良しがみんなバラバラで、なかなか顔を合わせることもできない。

 「だからこそ、全国大会で最高の演奏を!」

 ルナはそう考えている。

 家族、先生、吹奏楽部の仲間たち……。つらいときに自分を支えてくれたすべての人への感謝の気持ちを音楽にのせて、あの最高の舞台でユーフォニアムを吹こう。音楽で恩返しをしよう。

 そして、自分の大好きな町が再び活気に満ちた温かな場所になりますように――。その願いを込めて10月21日、名古屋国際会議場センチュリーホールの輝くステージに、ルナは立つ。(敬称略)