空と鉄路

私の趣味の紹介です。「空」は飛行機プラモデル
の写真、「鉄路」は蒸気機関車の写真です。

関西線の「加太越え」

2018-01-11 20:00:09 | 蒸気機関車
関西本線の加太駅と柘植駅の間に「加太越え」と呼ばれる蒸機にとっては
難所だが、マニアにとっては見どころとなるスポットがあった。いまでは記憶があいまいになって
きたが、思いついたことを記してみる。急勾配で大きくカーヴする土手で絶好の撮影スポット
だった。たしか、中在家信号所というのがあって、そこで降ろしてもらって、歩いたような記憶
だ。蒸気の引退間際には観衆が押し掛けマスコミにも報道されるようになった。それを知って
から蒸機の撮影をやめることにした。









1967.10. 呉線のC59、C62

2017-12-02 14:12:15 | 蒸気機関車
主要な本線から大型機が消えつつある時、呉線は軽量化してはあるが、
C59とC62の見られる特別な路線だった。これらの大型機の疾駆する姿は迫力があった。
C62の牽引列車に乗車したとき、発車の際に空転がかなりあったのを記憶している。
写真は糸崎で写したもの。













御殿場線のD52 (1967.11.)

2017-11-17 00:30:49 | 蒸気機関車
御殿場線は北海道を除いて本州で唯一D52が見られるところだったと思う。
重量貨物用の大型機で、なぜ御殿場線で旅客用につかわれていたかはわからない。また、C62の原型
となった機だ。写したのは山北駅だが、御殿場方から到着すると、客車から一旦放して、貨物の入換え
をしてから出発した。










米坂線の9600型(1967.8.)

2017-10-18 19:38:16 | 蒸気機関車
1967年の8月、米坂線の越後金丸。あたりはシーンとしてセミの声しか
きこえない。遠くで「ヒィー」と汽笛がなる。「ボーッ」というおとでなく、大正期の蒸機
の独特の音だ。突然、列車が現れる。





   坂町駅に近づく朝の通勤列車。9600だ。


   坂町駅のホーム、59663.


東北線 好摩付近 (1967. 7.)

2017-10-02 22:07:16 | 蒸気機関車
東北線の御堂-奥中山の峠は三重連が見られることで知られていた。
直接、撮影の機会はのがしたが、このあたりを通ると耳にする主機と補機の汽笛の合図
は魅惑的だった。
     好摩駅近くで待っていると上り貨物が重連でやってきた。



      しばらくすると、三重連が通過した。



      下りの特急”はつかり”は蒸機の重連を期待していたらDD51の重連だった。



      普通列車は仙台のC61 4でやってきた。





好摩の 8620 (1967. 7.)

2017-09-29 09:07:53 | 蒸気機関車
形式8620型蒸機は9600型と共に大正時代初めに(1910~)
製造された。明治時代は外国製の蒸機にたよってきたが、上記の二つの形式
で日本の蒸機の技術が確立した。歴史的な機関車といっていい。好摩駅は花輪線
の分岐駅で写真の貨物列車も花輪線からのものと思う。また、奥中山に近く、
貨物列車の三重連も見られた。












  

関西線-高山線

2017-09-15 09:35:25 | 蒸気機関車
名古屋駅からの関西線は次の八田駅を過ぎると平行する近鉄線と交差する。
このあたりからその次の蟹江駅の間は当時は畑と水田地帯であった。

関西線の旅客列車は名古屋区のC57が牽引。




貨物は稲沢区のD51だが、ナメクジ・タイプのD512がよくしられていた。



一方、高山線の旅客列車はC58(たぶん美濃太田区だとおもう)が那珂駅あたり
をはしっていた。






以上は1967年7月の撮影。

関西線のC57-名古屋駅(1967.7.)

2017-09-06 09:58:56 | 蒸気機関車
名古屋発、関西線の一番列車-223レ-のC57.関西線の旅客列車
名古屋機関区のC57の牽引。C57はC55の次の世代として1937年から製造された。
車輪は2-C-1のパシフィック配置、動輪はスポークからボックス型となって、現代みら
れる日本の蒸機らしくなった。少し細身のボイラーから鉄路の貴婦人などとよばれるが、
蒸機に似合わない形容だ。