私は自分のカメラで撮ったネガフィルムは保存していた。特別な保存方法
を採用するわけでなく、引き出しに入れっぱなしにしていただけなのだが。近年
、保存していて良かったと思うのはスキャナでネガフィルムがポジ画像としてと
りこめるようになったから。ディジタル化すると見かけ上解像度もあがり、大き
いサイズにもプリント可能となった。それでSLの写真も改めて見ることができ
、画像はCDに整理保存することができた。
そんな写真を年代順に適当に載せてみます。初めは1961年九州の八幡
へ仕事で行った時の鹿児島本線ですが、この当時、すでに電化が始まり、旅客は
電車になり、貨物だけがSL牽引でした。
D52879は我が国最強の蒸機で、後に、動輪をCタイプとして旅客用
のC62となった。

9600型(通称クンロク)は大正年間の代表的貨物機だが、寿命は長く
最後まで入れ換え機としてはたらいていた。独特の汽笛音でボーッというより、
ヒーッに近い。

この9600型の改良型がこのD50で1920年代に活躍したのが、
まだ現役でした。これらは1961年に枝光駅近くで撮ったものです。

を採用するわけでなく、引き出しに入れっぱなしにしていただけなのだが。近年
、保存していて良かったと思うのはスキャナでネガフィルムがポジ画像としてと
りこめるようになったから。ディジタル化すると見かけ上解像度もあがり、大き
いサイズにもプリント可能となった。それでSLの写真も改めて見ることができ
、画像はCDに整理保存することができた。
そんな写真を年代順に適当に載せてみます。初めは1961年九州の八幡
へ仕事で行った時の鹿児島本線ですが、この当時、すでに電化が始まり、旅客は
電車になり、貨物だけがSL牽引でした。
D52879は我が国最強の蒸機で、後に、動輪をCタイプとして旅客用
のC62となった。

9600型(通称クンロク)は大正年間の代表的貨物機だが、寿命は長く
最後まで入れ換え機としてはたらいていた。独特の汽笛音でボーッというより、
ヒーッに近い。

この9600型の改良型がこのD50で1920年代に活躍したのが、
まだ現役でした。これらは1961年に枝光駅近くで撮ったものです。
