最近のことですが、ビッケが子宮癌にかかっていることが判明しました。
すでにリンパ節にも転移がありステージⅢだそうです。
明日から入院治療に入ります。
このことをブログを書くのをどうしようか、だいぶ悩みましたが誰かの参考になればと思って記録代わりに書いていこうと思います。
本音を言えば、すいません 私が誰かに聞いてほしいのです。
壊れそうです。
あり得ないです。
誰よりも大事な愛する家内が苦しんでいる姿は耐え難いものがあります。
自分が変わってやりたいと真剣に思います。
それができない自分、役に立たない自分が呪わしくさえあります。
この出来事は私に何を学べと言っているのでしょう。
どういった意味があるのでしょう。
そんなところも吐露していきたいと考えています。
出会って12年、結婚して8年、子供ができて5年。
何事もなく、このまま普通に一緒に年をとり、ずっと健康(ある程度の病気はあるにせよ)で、一緒に生きていけると思っていました。
二人で娘の成長を見ながら、普通に年をとっていけると思っていました。
家内とは8歳離れていますし、私は若いころから無理を重ねてきましたので、確実に先に往き看取って「もらう」予定でいました。
残念ながら現在の状況では、どうもそうスマートにはいかなそうです。
最初は昨年11月くらいからでしょうか、腰が痛いという感じでした。
2月くらいからひどくなり始め、整形外科で受診、MRIやCTも撮りましたが特段異常所見もなく、ヘルニアの扱いでした。痛み止めと炎症防止の処方でずっと来ていました。
夏前、経血の不正出血などありさすがに当人もおかしいと思い、(ネットで色々調べてはいた様子)市の子宮がん検診を受け陽性が出ました。
そのときすでに子宮頸癌中度異形成、子宮体癌陽性でした。
それまで整形外科でかかって検査もしていた病院(そこそこ大きな総合病院)に速攻で見切りをつけ、近所の大学病院に駆け込みました。
現在は初診の婦人科の医師から、女性腫瘍専門の助教授に担当が変わって安心感が出てきました。
その代わり専門故の言い回しは重みがあって、心配しないように配慮してくれているのですが、言葉の終わりに隠されている「言葉のうしろのカッコの中」が読み取れてしまうのです。
かなりヤバイ状況だ、急ぐぞと。実際入院が2週間早くなりました。有難いことです。
私は会社に事情を説明し、できるだけそばにいる事にさせてもらいました。
これについては大変ありがたい事に会長、社長、専務とも大変理解をしてくれて、社長から「できるだけそばにいてあげるように、バックアップはする」と言っていただきました。
また実務面では専務から、持っている業務の大半を部下に移譲し、就業時間を短縮し、そばにいる時間を作るように指示をもらいました。勤務時間自体もパートさん並みに短縮していただきました。有難いことです。
おかげで度重なる検査や通院などもついてやることができています。
双方の実家にも相談をし協力を取り付けました。
これで娘は幼稚園を変わらずすむことになりました。
大学病院に切り替えた8月末より、これまでに血液検査は言うに及ばず、MRI,CT、レントゲン、生体検査、PETなど数種類の検査を行ってきました。本日入院前にしなければならない検査が全部終了したところです。検査終了より入院が優先される、医者はまだはっきり言いませんが、この事象をとってもヤバい度が推察できます。
この検査結果をもとに、明日以降今後の治療方針が決まっていきます。
事前に分かっていた状態で、すでにリンパ節に転移しているため、切除手術はできない状態は聞かされていました。
切除できない状態、それだけで十分ショックでした。
大学病院を受診した時点でかなり進行しており、転移もしていたのです。
腰の痛みは転移によるものだったようです。
ですから半年以上放置してしまっていたことになります。
PET検査の結果を見ないとはっきり言えませんが、仙骨にも転移している可能性も大いにあるようです。
なんでもっと早く気付いてやれなかったのか、最悪の状況を想定して、もっと早く検査なりさせなかったか悔やんでも悔やみきれません。
リスクヘッジが甘かったとしか言いようがありません。
パートナーとして、なさけない限りです。
明日最初の入院です。主目的は痛みの緩和ケアです。
もう通常薬では効かず、医療麻薬を処方されています。かなり重篤ということです。
まずは放射線と、抗がん剤の併用ということになるとみています。
今までの医師の話を要約すると、効果があれば、子宮摘出に移れるということのようですので、まずはそこからでしょう。
当人もそこは予想しているようで、髪の毛がなくなるんだから帽子買わなくちゃとか言っています。涙出ました。
担当医は、検査の結果が全部出そろわないと、はっきりとは言えないという感じでした。
医学的な裏付けをもって確実なことが言えるということなのでしょう。
でもおよその状態は言葉を選んでいることから、じゅうぶん伝わってきます。
すでに、かなり深刻な状態であると理解しています。
娘もなんとなく気が付いているようでした。
今日ピアノ教室の帰りに言葉を選び、わかるように説明しました。
聞いた後「うん、お父さんとがんばる」とだけ言ってくれました。
泣けましたが、不安にさせないため、我慢しました。
嘘です少々しきれませんでした。
年長さんで幼稚園最後の年ですから、これから運動会、参観日、鼓笛隊のお祭りパレード、お遊戯会などイベント盛りだくさんです。多少きつくてもできるだけ生で見させてやりたいと思っています。
明日からの入院でやっと治療スタートです。
これから戦いが始まります。
勝たねばなりません。
5年生存率なんかくそくらえです。
すでにリンパ節にも転移がありステージⅢだそうです。
明日から入院治療に入ります。
このことをブログを書くのをどうしようか、だいぶ悩みましたが誰かの参考になればと思って記録代わりに書いていこうと思います。
本音を言えば、すいません 私が誰かに聞いてほしいのです。
壊れそうです。
あり得ないです。
誰よりも大事な愛する家内が苦しんでいる姿は耐え難いものがあります。
自分が変わってやりたいと真剣に思います。
それができない自分、役に立たない自分が呪わしくさえあります。
この出来事は私に何を学べと言っているのでしょう。
どういった意味があるのでしょう。
そんなところも吐露していきたいと考えています。
出会って12年、結婚して8年、子供ができて5年。
何事もなく、このまま普通に一緒に年をとり、ずっと健康(ある程度の病気はあるにせよ)で、一緒に生きていけると思っていました。
二人で娘の成長を見ながら、普通に年をとっていけると思っていました。
家内とは8歳離れていますし、私は若いころから無理を重ねてきましたので、確実に先に往き看取って「もらう」予定でいました。
残念ながら現在の状況では、どうもそうスマートにはいかなそうです。
最初は昨年11月くらいからでしょうか、腰が痛いという感じでした。
2月くらいからひどくなり始め、整形外科で受診、MRIやCTも撮りましたが特段異常所見もなく、ヘルニアの扱いでした。痛み止めと炎症防止の処方でずっと来ていました。
夏前、経血の不正出血などありさすがに当人もおかしいと思い、(ネットで色々調べてはいた様子)市の子宮がん検診を受け陽性が出ました。
そのときすでに子宮頸癌中度異形成、子宮体癌陽性でした。
それまで整形外科でかかって検査もしていた病院(そこそこ大きな総合病院)に速攻で見切りをつけ、近所の大学病院に駆け込みました。
現在は初診の婦人科の医師から、女性腫瘍専門の助教授に担当が変わって安心感が出てきました。
その代わり専門故の言い回しは重みがあって、心配しないように配慮してくれているのですが、言葉の終わりに隠されている「言葉のうしろのカッコの中」が読み取れてしまうのです。
かなりヤバイ状況だ、急ぐぞと。実際入院が2週間早くなりました。有難いことです。
私は会社に事情を説明し、できるだけそばにいる事にさせてもらいました。
これについては大変ありがたい事に会長、社長、専務とも大変理解をしてくれて、社長から「できるだけそばにいてあげるように、バックアップはする」と言っていただきました。
また実務面では専務から、持っている業務の大半を部下に移譲し、就業時間を短縮し、そばにいる時間を作るように指示をもらいました。勤務時間自体もパートさん並みに短縮していただきました。有難いことです。
おかげで度重なる検査や通院などもついてやることができています。
双方の実家にも相談をし協力を取り付けました。
これで娘は幼稚園を変わらずすむことになりました。
大学病院に切り替えた8月末より、これまでに血液検査は言うに及ばず、MRI,CT、レントゲン、生体検査、PETなど数種類の検査を行ってきました。本日入院前にしなければならない検査が全部終了したところです。検査終了より入院が優先される、医者はまだはっきり言いませんが、この事象をとってもヤバい度が推察できます。
この検査結果をもとに、明日以降今後の治療方針が決まっていきます。
事前に分かっていた状態で、すでにリンパ節に転移しているため、切除手術はできない状態は聞かされていました。
切除できない状態、それだけで十分ショックでした。
大学病院を受診した時点でかなり進行しており、転移もしていたのです。
腰の痛みは転移によるものだったようです。
ですから半年以上放置してしまっていたことになります。
PET検査の結果を見ないとはっきり言えませんが、仙骨にも転移している可能性も大いにあるようです。
なんでもっと早く気付いてやれなかったのか、最悪の状況を想定して、もっと早く検査なりさせなかったか悔やんでも悔やみきれません。
リスクヘッジが甘かったとしか言いようがありません。
パートナーとして、なさけない限りです。
明日最初の入院です。主目的は痛みの緩和ケアです。
もう通常薬では効かず、医療麻薬を処方されています。かなり重篤ということです。
まずは放射線と、抗がん剤の併用ということになるとみています。
今までの医師の話を要約すると、効果があれば、子宮摘出に移れるということのようですので、まずはそこからでしょう。
当人もそこは予想しているようで、髪の毛がなくなるんだから帽子買わなくちゃとか言っています。涙出ました。
担当医は、検査の結果が全部出そろわないと、はっきりとは言えないという感じでした。
医学的な裏付けをもって確実なことが言えるということなのでしょう。
でもおよその状態は言葉を選んでいることから、じゅうぶん伝わってきます。
すでに、かなり深刻な状態であると理解しています。
娘もなんとなく気が付いているようでした。
今日ピアノ教室の帰りに言葉を選び、わかるように説明しました。
聞いた後「うん、お父さんとがんばる」とだけ言ってくれました。
泣けましたが、不安にさせないため、我慢しました。
嘘です少々しきれませんでした。
年長さんで幼稚園最後の年ですから、これから運動会、参観日、鼓笛隊のお祭りパレード、お遊戯会などイベント盛りだくさんです。多少きつくてもできるだけ生で見させてやりたいと思っています。
明日からの入院でやっと治療スタートです。
これから戦いが始まります。
勝たねばなりません。
5年生存率なんかくそくらえです。
信じましょう。私は祈ります。
ただただ回復を祈ります。
辛いときは吐き出して、時には泣いても構わないと思います。