今週の番組で「曖昧さと恋愛感情」について話すと言っていたが、そこは生放送、そうは問屋が卸さなかった。
ちょうどいい機会なんで、ここで軽く補足させてもらいたい。
人間の脳は、複雑な故に曖昧だ。
僕らは曖昧さの中で生きている。
時間も、物体や人物の認識も、感情も。
全て曖昧。
ほとんどの動物は、何かしら固有の特徴で個体を識別したり認識したりする。
たとえば泣き声だったり、心音だったり。
見た目もしかり。
だから似た泣き声や人形を「本物?」と識別してしまう。
逆にいうと、怪我や病気で見た目や泣き声が変わると「仲間」と認識できない。
人間は複雑な脳を持ったおかげで大量の情報を蓄積し、それらを効率的に結びつけることで生きている。
暴力的な単純さで言いきれば、コンピューターだって情報の蓄積という分野においてはひけをとらない。
しかし「曖昧さ」を持たない分だけ、コンピューターは人に追いつけない。
0と1だけでは解けない問いがあるから。
人はいつだって変化し進化し続ける。ココロもカラダも。
明日も明後日も、まったく同じ人間なんか存在しない。
人間というのは非常に忘れっぽい。
記憶できないわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
失うわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
そして忘れていけるから、曖昧だからこそ生きていける。
恋愛感情なんていうのは、忘れっぽさの真骨頂。
良いところを思い出して悪いところを忘れるときは「好き」、その逆は「嫌い」
全ての情報を記憶してあるのに、曖昧に必要な部分だけ抽出される。
この曖昧さが恋愛を特別な感情まで押し上げる。
そして曖昧さが充分に機能している恋愛ほど甘美に燃え上がり、その幸せを実感することが出来るんだ。
稀に、ココロが曖昧さを許さないときがある。
相手の好きなところも、嫌いなところも、全て記憶して全てを日々思い出す。
押し寄せる波に呑まれ、引いて行く潮に翻弄される日々。
辛く切ない恋愛。
それでも、僕らは曖昧な世界に生きている。
自分が曖昧でいられなくても、相手はやっぱり曖昧に生きている。
喜びと悲しみは連なり、スパイラルとなって巻き込み、深くココロに刻み込まれていく。
残された曖昧さは「時」だけだ。
きっと「時」が少しずつ記憶を薄れさせてくれる。
傷ついたココロを曖昧にしてくれる。
きっと相手の良いところだけを思い出すようになる。
曖昧な二人になれたなら、素直に好きと言えるかもしれない。
確立は天文学的に低いだろうけど。
何しろ僕らの認識してる世界は曖昧だ。
未来にどんなことが起こるかなんて、誰にも解らない。
毎日違う夕日を、毎日同じように美しいと感じる曖昧さのなかで、僕はそんなことを考えていた。
だから僕は、これからも曖昧に生きていく。
ちなみに、何度いわれても番組終了時間を守れないのは、脳に障害があるせいだ(笑)
ちょうどいい機会なんで、ここで軽く補足させてもらいたい。
人間の脳は、複雑な故に曖昧だ。
僕らは曖昧さの中で生きている。
時間も、物体や人物の認識も、感情も。
全て曖昧。
ほとんどの動物は、何かしら固有の特徴で個体を識別したり認識したりする。
たとえば泣き声だったり、心音だったり。
見た目もしかり。
だから似た泣き声や人形を「本物?」と識別してしまう。
逆にいうと、怪我や病気で見た目や泣き声が変わると「仲間」と認識できない。
人間は複雑な脳を持ったおかげで大量の情報を蓄積し、それらを効率的に結びつけることで生きている。
暴力的な単純さで言いきれば、コンピューターだって情報の蓄積という分野においてはひけをとらない。
しかし「曖昧さ」を持たない分だけ、コンピューターは人に追いつけない。
0と1だけでは解けない問いがあるから。
人はいつだって変化し進化し続ける。ココロもカラダも。
明日も明後日も、まったく同じ人間なんか存在しない。
人間というのは非常に忘れっぽい。
記憶できないわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
失うわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
そして忘れていけるから、曖昧だからこそ生きていける。
恋愛感情なんていうのは、忘れっぽさの真骨頂。
良いところを思い出して悪いところを忘れるときは「好き」、その逆は「嫌い」
全ての情報を記憶してあるのに、曖昧に必要な部分だけ抽出される。
この曖昧さが恋愛を特別な感情まで押し上げる。
そして曖昧さが充分に機能している恋愛ほど甘美に燃え上がり、その幸せを実感することが出来るんだ。
稀に、ココロが曖昧さを許さないときがある。
相手の好きなところも、嫌いなところも、全て記憶して全てを日々思い出す。
押し寄せる波に呑まれ、引いて行く潮に翻弄される日々。
辛く切ない恋愛。
それでも、僕らは曖昧な世界に生きている。
自分が曖昧でいられなくても、相手はやっぱり曖昧に生きている。
喜びと悲しみは連なり、スパイラルとなって巻き込み、深くココロに刻み込まれていく。
残された曖昧さは「時」だけだ。
きっと「時」が少しずつ記憶を薄れさせてくれる。
傷ついたココロを曖昧にしてくれる。
きっと相手の良いところだけを思い出すようになる。
曖昧な二人になれたなら、素直に好きと言えるかもしれない。
確立は天文学的に低いだろうけど。
何しろ僕らの認識してる世界は曖昧だ。
未来にどんなことが起こるかなんて、誰にも解らない。
毎日違う夕日を、毎日同じように美しいと感じる曖昧さのなかで、僕はそんなことを考えていた。
だから僕は、これからも曖昧に生きていく。
ちなみに、何度いわれても番組終了時間を守れないのは、脳に障害があるせいだ(笑)