裏甘×辛 ドラマ、映画の感想

最近は映画の感想が多いです。
あとYouTubeの宣伝とか。

曖昧に生きている

2005-07-01 06:58:19 | 人気の記事
今週の番組で「曖昧さと恋愛感情」について話すと言っていたが、そこは生放送、そうは問屋が卸さなかった。
ちょうどいい機会なんで、ここで軽く補足させてもらいたい。


人間の脳は、複雑な故に曖昧だ。
僕らは曖昧さの中で生きている。
時間も、物体や人物の認識も、感情も。
全て曖昧。

ほとんどの動物は、何かしら固有の特徴で個体を識別したり認識したりする。
たとえば泣き声だったり、心音だったり。
見た目もしかり。
だから似た泣き声や人形を「本物?」と識別してしまう。
逆にいうと、怪我や病気で見た目や泣き声が変わると「仲間」と認識できない。

人間は複雑な脳を持ったおかげで大量の情報を蓄積し、それらを効率的に結びつけることで生きている。
暴力的な単純さで言いきれば、コンピューターだって情報の蓄積という分野においてはひけをとらない。
しかし「曖昧さ」を持たない分だけ、コンピューターは人に追いつけない。
0と1だけでは解けない問いがあるから。
人はいつだって変化し進化し続ける。ココロもカラダも。
明日も明後日も、まったく同じ人間なんか存在しない。

人間というのは非常に忘れっぽい。
記憶できないわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
失うわけじゃない。ただ忘れっぽいだけ。
そして忘れていけるから、曖昧だからこそ生きていける。

恋愛感情なんていうのは、忘れっぽさの真骨頂。
良いところを思い出して悪いところを忘れるときは「好き」、その逆は「嫌い」
全ての情報を記憶してあるのに、曖昧に必要な部分だけ抽出される。
この曖昧さが恋愛を特別な感情まで押し上げる。
そして曖昧さが充分に機能している恋愛ほど甘美に燃え上がり、その幸せを実感することが出来るんだ。

稀に、ココロが曖昧さを許さないときがある。
相手の好きなところも、嫌いなところも、全て記憶して全てを日々思い出す。
押し寄せる波に呑まれ、引いて行く潮に翻弄される日々。
辛く切ない恋愛。

それでも、僕らは曖昧な世界に生きている。

自分が曖昧でいられなくても、相手はやっぱり曖昧に生きている。
喜びと悲しみは連なり、スパイラルとなって巻き込み、深くココロに刻み込まれていく。

残された曖昧さは「時」だけだ。
きっと「時」が少しずつ記憶を薄れさせてくれる。
傷ついたココロを曖昧にしてくれる。
きっと相手の良いところだけを思い出すようになる。

曖昧な二人になれたなら、素直に好きと言えるかもしれない。
確立は天文学的に低いだろうけど。
何しろ僕らの認識してる世界は曖昧だ。
未来にどんなことが起こるかなんて、誰にも解らない。

毎日違う夕日を、毎日同じように美しいと感じる曖昧さのなかで、僕はそんなことを考えていた。

だから僕は、これからも曖昧に生きていく。




ちなみに、何度いわれても番組終了時間を守れないのは、脳に障害があるせいだ(笑)