むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

19、てんか

2022年01月16日 09時23分02秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私は子供のころ、祝儀、不祝儀を問わず包紙の裏に書かれる金額の、
「一金 拾圓也」の「也」の字を「や」と読んでいた。

漢字を崩してあるので平仮名の「や」に見える。
なぜ「です」と丁寧に書かないのだろう、と思っていた。

昭和十年前半の小学校では標準語が敬語になっていて、
「です」「ます」という言葉を使うように教育された。

その結果、大阪弁は下品なものと貶められた。
大阪弁にも敬語はあるが、その頃は死語になっている。

「だす」という語尾が敬語であったが、古めかしすぎる。

「ごわんな」「ごわへん」「ござります」などの丁寧語を、
大人たちは使っていたが、
昭和の子供はそんな旧幕時代の言葉は使えない。

敬語はすべて標準語に統一されるのは当然。
しかしいかなる標準語も日常の中へ入りこめない。

現在(昭和五十年代)はテレビ、ラジオ、映画の影響で、
標準語は大阪弁を蚕食しつつあるが、
どうしても染まり切れないのが語尾である。

そうであるとすると、語尾こそ大阪弁を形づくる特徴といえる。


・その中で最も耳にたつのは「や」であろう。
京都弁の「え」はいかにも優美なのに「や」は下品。

「そうえ」「お休みしたらどうえ」の大宮人のゆかしさに対し、
「そやそや」「何や、どないしたんや」のはしたなさ。

そのくせ向こう意気は強くない。

「や」はもともと「じゃ」からきたもの。
東京弁ではこれが「だ」になる。

「だ」と「や」はまるきり響きが違う。

演説の最中、サクラが「そうだっ!」と入れるとぐっと盛り上がる。
ここへ「そやそや」と入れると腰砕けも甚だしい。
むしろ、冷やかしのように聞こえ目的を果たせない。

「や」についでは「な」「ねん」「わ」がある。

東京弁の若い女の語尾は「わ」「わよ」「ね」がつくので、
東京弁で書かれた小説は男は男らしく読まれ、
読みならわされる。

しかし、私は東京弁で書かれた小説の老婦人の使う言葉が、
男か女か分からなくて味気ない思いをする。

中高年女性はたいてい、
「そうかい」「いやだねえ」「行くのかい」「いけないよ」
などと色気ない男っぽい語尾である。

「知らんわ」「こんなこと言いよんねん」
「だまって行こな」「言いたいねん」

尤も下品な言葉になると、男性だけが使うものに、
「じゃ」と「どぉ」があり、「お前、何じゃ」「はっ倒されるどぉ」
などと言い、はっ倒されるのは本人ではなく相手。

その他に「わい」がある。
「今、行くわい」

しかし「わいな」とやわらいだ「な」がつくと女も使い、
「あいつ女房(よめはん)居るねんで」
「知ってるわいな」と女が言い返す。

「知ってるけど、惚れたんやからしょうがないやないかいな、
ほっといてんか」

こうなると手がつけられない。

「居るねんで」の「で」は東京弁では「だよ」
「ぞえ」の転訛。「行くぞえ」が「行くで」になった。

これが「て」になると少し意味が違う。
「わかってる、て。ボクも子供やない、て」
というと、「子供やないで」よりぐっと軽くなる。

「わいな」に対して「かいな」もよく使われる。
「命かけた女て これかいな」「ほんまかいな」

感嘆、疑問、をひびかせ、「そんなことするかいな」
否定を強める場合もある。


・もっとも大阪弁らしきもの、「てんか」
何々してくれ、という意味。
命令にしては強さはかなり薄められる。

それから「や」
「早くしろよ」と急かしたのではケンカになるところを、
「早うしてや」では「はいはい、お待たせしまんなあ」と、
ケンカにならない。

「早う ええ板場はんになりや」
「早う、ええむこはん見つけてや」

それに比べると「てんか」は強い。

「黙れ!」「出て行け!」などのセリフ、
「黙っててんか」「出て行ってんか」では、緊張感が緩和される。






          

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