・「おッ、ムカデ!」
と松永君が叫び、
火箸に苦もなくはさんで、
縁の外に走りまわっている鶏にやったりしている。
田舎育ちの感じが出て、それもいい。
ムカデも鶏も、家族の一員のような感じなのだ。
たのしい宴であるが、
こういうときの唯一の苦役は、
色紙をもってこられることである。
さすがにお寺のことで、
りっぱな大ぶりの蒔絵のすずり箱が出てくる。
いい墨の匂いが立って、
松永君がゆっくり磨っている。
私はこういうときだけ、
田舎へ来るのが苦痛である。
田舎の人々は、たいそう字がうまい。
私は赤恥をかくのみである。
マジックやサインペンを持ってこられたりすると、
気が楽であるが、では何を書くか、
ということで、ハタと迷う。
八田歌人はすぐ筆をとって、一気に書き上げた。
枯れてたいそういい味の字である。
私はみんなが八田氏の手もとにみとれている間に、
コソコソと急いで書いた。
「そんなことないとおなかの底でいい」
私の唯一の創作川柳である。
住職は二枚の色紙を満足そうにならべ、見くらべた。
八田氏のは達筆で自作の短歌、
「この道は我のゆく道どこまでも
長くつづけりひとすじの道」
その横にコチョコチョと貧相な私の字、
「そんなことないとおなかの底でいい」
私は何かヘンな気がした。
断じて他意はないが、二枚並べて見ると、
何か私が、八田氏の崇高な決意を揶揄嘲弄し、
オチョクッテいるようにもとれる。
これがもし「至誠天に通ず」とか「根性は成功の母」などと、
安手政治家のような色紙の横に並べたら、
前記の揮ごう者は憤然と抗議するかもしれぬ。
「もう、講演の時間ではないでしょうか」
と松永君は促した。
正直いうと、いたたまれなかったからである。
会場まで、みんなでぶらぶら歩く。
お寺から小学校まで、椿やれんぎょうの咲く道を通る。
堆肥の臭いが大気中にただよっているのも私は好きだ。
土曜日の午後なので、
学童たちが道ばたで遊んでいたが、
一行を見ると、お辞儀をするのであった。
私はこういう子供たちなら育てたいと思う。
大人を見て、立ち止まってお辞儀をするような子供は、
育てるのに手がかからなくていい。
小学校の講堂は、わんわんという騒ぎだった。
校門にはりっぱな筆跡の「文化大講演会」
という長大な貼り紙があり、
大講演という所に赤で三重丸がついていた。
我々は校長室で、
禿げ頭で童顔の校長先生に引き合わされ、
講堂へ案内された。
そうして私はおどろいたのである。
私は今日の「大講演会」に、
「日本文学の本質」という題で話をするつもりであった。
しかし見たところ、
集った聴衆は老人ホームを総動員したかと思われる、
爺さん婆さんの一行ばかり。
どうしようと一瞬こまった。
以前にも招かれていったら老人ばかりで、
いそいで話の中身を変えたことがあったが・・・
「壇上へ立って下さい。
そしたら幕を引きますさけ」
と車で迎えに来てくれた青年が私にいった。
私は何のことかと思い、「は?」といったら、
「先生、先に壇へ立っとってもろて、
幕ははじめ閉めときます。
そうして、あとで開けますさけ」
というのだ。
松永君が横でうなずいている。
私は彼らの配慮に感心した。
松永君たちは、私の足が悪いので気をつかって、
袖から出て来なくてもいいように壇上に立たせて、
幕を開けようというのである。
私はいつのときも、
袖から歩いていくようにしている。
私の話を聞きに来る人は、
すでにそのときから聞いているのであって、
幕があくとそこに私がいた、
というのは一種のまやかしである。
しかし私は彼らの心づかいに感謝して、
そこにいることにした。
校章のついた幕がしずかに左右に開かれた。
(次回へ)