「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

37番、文屋朝康

2023年05月08日 08時12分00秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<しらつゆに 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける>


(秋の野の草むらに
いちめんの白露
風がしきりに吹きわたると
ぱらぱらとこぼれ散る
あ あ 玉が散る 水晶の玉が
糸に通していない水晶の玉が
あ あ こぼれ散る
風の吹くたび)






・清麗な歌である。

『後撰集』秋に、
「延喜の御時、歌召しければ」とある。

身に沁む秋気も感じられ、
野原いちめんの露の美しさに呆然としている作者の心に、
私たちの心も寄り添う。

日本民族は、
西洋人ほど宝石に執着しないといわれるが、
美しい自然に敏感な日本人が、
玉を賞玩しないはずはなく、
結構、アクセサリも好きで『古事記』の昔から、
宝玉に目がくらんで身の破滅を招いた男の話も出てくる。

『万葉集』には真珠がよく歌われている。

この朝康の歌の「玉」を、
真珠とする訳もあるが、
白露の感じからして、
作者は水晶に見立てたのではないだろうか。

制作年代としては宇多天皇の寛平初年のころ。
清らかな歌で、中々いい。

定家もこの歌が好きだったようである。

朝康の生涯は不明である。
父の康秀と同じく微官で終わったが、
白露の歌で長い命を得た。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 36番、清原深養父 | トップ | 38番、右近 »
最新の画像もっと見る

「百人一首」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事