むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、けったいな  

2022年01月02日 09時33分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・「けったいな」という語ほど、
大阪人が頻発するものはないであろう。

私もよく書くものの中に使う。
この宛字がむつかしい。

私が好きなのは「怪ッ態な」という宛字。
出版社には篤学の士多く、この宛字をすぐ朱筆をとって、
「希代な」と書き改め、ルビを振って下さる。

ところが私は「希代な」では、
その感じが出なくていやなのである。

尤も、その方が正しいのであって、
広辞苑をひもとくと「希代の促音化である」と書かれ、
大言海にも「希代の転。京畿にはキをケといふ」とあるから、
希代の方が由緒正しい。

しかし「けったいな」というのは、
怪奇な、不思議な、変な、妙な、怪しい、辻つまのあわぬ、
という意味がある。

へんてこな様子、おかしなたたずまい、腑に落ちぬありさまを指す。
怪しき状態、奇っ怪な体たらく、という意味をひびかせて、
私は「怪っ態な」と書くのであるが、
無惨に削られて「希代」になり、
書き取りの答案が戻されたごとく、
直された字を見て「ハハァ・・・」と感じ入っているのである。


・ところで「けったいな」というのは、
上の意味があるが、この使い方は実に自由自在で、
標準語で、この意味を含んだ語はみつからない。

変な、きてれつな、というより、おかしな、が近いが、
これも一つでは物足らない。

亭主がお袋の味をほめる。
「何さ、それ位、私だって作れます」と女房が作る手料理、
家風も味つけも違い、亭主はひと口食べて、内心、

(何や、けったいな味やなあ)と思う。
しかし、口には出さぬ。

女房が勝利感に顔を輝かせ、

「どお?お母さんのより美味しいでしょ」などと聞くからだ。
亭主は、

「まあ、ソコソコやなあ」と言い、
実に以て大阪弁というのは老獪なること、
家康の口約束にさも似たり。

ソコソコ、というのも、けったいな言葉で、
ほめているのかけなしているのか、
双方に取れるから、どっちも傷つかなくてよい。

「けったいな家やなあ」というのは、
多分、最新流行の尖端を行く建築家がグラビア用に建てたような家。
中へ入るとトイレをつけ忘れていたりする、ハイカラな家。

「あいつ、けったいやデ」などと職場でうわさされるのは、
初老期うつ病、ノイローゼというようなもの。

また平素、しぶちん(ケチ)な人が、
珍しくお茶をおごろうかといってくれる。

うかうかついて行くと、えらい頼まれごとをされたりで、
(な~んや道理でけったいやな、思うてん)と内心つぶやく。

若い娘さんが使うときは、
会社でストッキングを破ったりする。

用意のいい子がいつも新しいのを引き出しに入れている。
それを借りて「何ぼ?」とお金を払おうとすると、
「けったいな子やな。かめへん、それバーゲンのんやもん、ええ、て」
などと言う。

「いや、そう?おおきに」といって借りた子はまた、
バーゲンのストッキングでお返ししたりする。

この場合の「けったいな子やな」は、とんでもない、
という感じをひびかせる。

「けったいな人」と言われたら、解釈がむつかしい。


・子供の頃、
私たち大阪っ子は「ケッチ」という言葉を使っていた。

言葉は同じ「けったいな」をつぼめて言ったものが、
語尾変化したのか、尤も大阪人は何でも略していうクセがある。

私の母は、岡山から大阪へ嫁に来て、
いたくうろたえたのは、大阪人が地名を略することだったそうな。

日本橋一丁目を市電の車掌が「日本一!」と叫ぶ。
岡山人は日本一というのは桃太郎を連想するから困る。

「天六!」というのは、天神橋筋六丁目で、
「上六!」というのは上本町六丁目、
「梅新」は梅田新道、
ハッスジといわれたら心斎橋のこと。

だから「ケッチ」も語尾変化により、
短く言ったように思われる。

私が「けったいな」で一番適切、と思うのは、
かの「源氏物語」の中の末摘花の君である。

あの女性ほど「けったいな」人の典型はない。
顔からしてけったいである。

女は醜くても才気があればつくろえるが、
彼女は才気もない。さりとて悪女でもなく、
ひたすら源氏を頼っている。

人並みに贈り物もするが、
人前に出すさえ恥ずかしい時代遅れのもの、
怒りも出来ず、言ってわかる人でなし、
結局「けったいな人」というのに尽きる。

しかし、「あの二人、けったいやなあ」というのは知らない。
怪しい中、と言う場合には使わないようである。






          



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