むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、ミミズの心 ②

2022年10月23日 08時46分31秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・当節は「・・・する会」や、
「・・・研究所」「・・・文化の会」などと、
看板が多くてよくわからない。

私の友人は、以前、大阪キタの裏通りを歩いていて、
こわれかけた古いビルの一階に、
「上方文化研究所」という看板がかかげてあるのに気づき、
のこのこ入っていって、

「松鶴の落語集おまへんか」と聞いた。

彼はある雑誌の発行所と間違えたのだった。

そこには青年が二、三人いたが、
じっと友人を見て、まじめに、

「ウチにはありませんけど」

と断ったそうである。

しばらくたって、
友人が何心なくテレビを見ていたら、
そこが警官や刑事の捜査を受けていて、
過激派グループのアジトだとわかった。

「よう鉄パイプでなぐられへんかったこっちゃ」

と彼はいっていたが、
私はアジトの青年がいったという、
「・・・けど」という言葉に注目した。

「ありません」というより、
何がしかの接尾語がつくのは、やさしく聞こえる。

もし本当に、そう青年がいったのなら、
当節の娘たちより、やさしい心情の青年である。

私はそういうやさしさが好きだ。

そして大阪弁の語法には、
本来、そういうやさしみがある。

商売人は縁をつなぐのが生命であり、
「けど」というのは、

(ご期待に副えなくてまことに遺憾であるが、
またその内、縁があったらよろしく・・・)

という縁つなぎの拒絶である。

私は過激派グループの青年が使ったとしたら、
ちょっといいな、と思った。

さて、その松永君とは、
彼が出した手紙によって縁ができ、
ちょいちょい遊びに来るようになったが、
あるとき、講演を依頼してきた。

私は講演がきらいで、引き受けたことがない。

よくせきの事情でもあれば別、
人前でモノをいうのはさらし者になるようで苦痛である。

その上、書けば何でもないことが、
しゃべるとなると、とたんに思うに任せない。

所詮、私は内弁慶。

相応に自己顕示欲もあるのだが、
何も見ないで一時間視線を宙に据えてしゃべる苦痛には、
堪えられない。

私は、私の話を一時間も固い椅子に坐って、
聞く人間があるということを、信じられない。

私の夫は、私のいうことを半分も聞かず、
さえぎって反発し、家政婦は私の言葉を、
半分上の空で聞き流すではないか。

それでも無理して講演をするとする。

はじめの頃は上がってしまって立ち往生する。
やがてちょっと落ち着いてみると、
人の顔が視線に入ってくる。

こうなると、途中で席をたった人もみなわかる。
何人たったかわかるのも、いいかげん切ない。

いつもいつも同じ話をするのも切ない。
新しいのを用意しても、忘れてしまう。

それやこれやで講演はみな断ることにしているのだが、
松永君は残念そうに、

「そうですかねえ、
実はこれ、僕の田舎の伯父に頼まれたのです。
郷里の村では一年にいっぺん、
文化大講演会を催します。
何しろ辺陬の地ですから、
そんな催しが唯一の文化事業なんです。
ただ役場から出る予算が少ないので、
伯父達は身銭を切って接待しています。
汚い寺ですが泊って頂いて、
近くには鯉料理の店もあるので、
鯉の生け作りなど、といっていますが」

私が少し心動いたのは、
鯉の生け作りのせいではなく、
松永青年の伯父上が身銭を切ってつとめる、
という点である。

「それは、やはり、郷土の文化向上に資するなら、と。
伯父は村の貧乏寺の住職ですが、
当然のことでしょう」

松永君は、その伯父は、
県下の短歌結社「氷魚」の同人であるともいった。

そのままだったら、
あるいは私も講演にいっていなかったかもしれないが、
そのあと松永君と私は、短歌の話をしていた。

松永君は若い頃、少し歌をやった、といい、
数首披露してくれた。

<愛されしこともなかりき 
恋したる人にも遇わず
わが青春(はる)おわる>

「わが青春おわる」って、いくつなの?
というと、二十三です、と彼はいった。

むろん彼も「わが青春おわる」とは思っていないが、
口調をととのえる上から、
そうしたのであるらしい。

短歌とはわりに融通性のあるものだな、
と私は思った。

そんな話をしているとき、電話が鳴った。






          


(次回へ)

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