・電話の主は、
わが家が別宅として持っている、
山手の家のお隣の黄さんである。
別宅の裏木戸があいて、バタンバタンしています、
と知らせてくれたのだった。
ここは普段行かないのでよく泥棒が入り、
その度に黄さんから、
窓があいてますの、ガラスが壊れてますの、
と電話を頂いた。
夫はこの家をうるさがり、売れ売れというのだが、
私は古びたこの異人館が好きで手離す決心がつかない。
結婚のはじめは忙しく別居していて、
双方からここへ来て落ち合っていた。
目の下に中突堤が見え、
ポートタワーがあり、
座敷に寝ていても海が見えた。
とても美しい環境である。
やたら大きい家で、
二階と一階の鎧戸をみんな開け放しているうちに、
もう帰る時間になるというような家だった。
それでも、ここで生活したこともあるので、
絨毯やカーテンもととのえ、
家財道具、洗濯機、テレビ、応接セットと、
日常生活に不自由なくそろえてある。
私がもう夫の家で暮らすようになってからは、
無駄な二重生活なのだが、
いつでも海の見える異人館へ行けるという、
ロマンチックなたのしみを、
私は捨てる気にならないのだ。
しかし、泥棒だけは全く、うんざりする。
山のてっぺんで不用心なので、
コソ泥がよく侵入する。
その度、怒る夫を拝み倒して、行ってもらう。
「だから売れというのに」と毎度、叱られる。
夫はロマンチックとか夢とかを、
あまり高く評価しない男である。
私が、夜、灯のいっぱいついた船が、
霧笛とともに中突堤の桟橋を離れていく、
それを見る喜びのために家を手放さないのを、
怒っている。
うしろの背山にくるうぐいす、ひよどり、
山側の日当たりのいいところに咲く、桃、えにしだ、
谷から生えているハンノキ、
そういうものが大好きなために、
このお化けの出そうな異人館を売らない、
そんな私の気持ちがさっぱりわからぬ男である。
どうせ夫にいうと、
それみたことか、と言われるので、
「松永君、一緒に行って」と頼んだ。
泥棒に入られたらしいときは、
誰か屈強の男を同伴しないと、
まだひそんでいるかもしれない。
松永君は、いいですよ、と腰をあげてくれた。
「日本をよくする会」は、
当面のところ、時間はある団体らしい。
別宅は町なかだが、
かなり坂道や階段をのぼらなければならない。
物資を注文通り運んでくれるのは、
酒屋と米屋だけで、石油缶は配達してくれない。
神戸の特徴で、山手にかけて家が建て込んでいるが、
あんまり山のてっぺんに家があると、
モノを運び込むときが不便である。
「えらい坂ですなあ、
これはしかし、一杯飲んで夜帰るときは辛いですな」
と松永君も若いくせに音をあげていた。
道は稲妻型に曲がりくねって山頂へ。
その両脇の角々に家がある。
みな古い大きな家である。
てっぺんにたどりついてふり返ると、
神戸の町が目下にかすみ、絶景である。
秋から冬にかけてが、
空気が澄んで見晴らしがいい。
玄関のドアは、
内側から泥棒がカンヌキをしているとみえ、
合鍵だけでは開かない。
どこか忍び込むところはないかと見ると、
台所のガラス戸、この前入れたばかりなのが、
また破られていた。
これが侵入口らしい。
松永君はそこから器用に身をすべりこませた。
そうして「アリャー」という声が聞こえたが、
窓から顔を出して何だか嬉しそうに、
「メチャメチャ」と第一報を送った。
メチャメチャというのは、
内部が狼藉されていることであろう。
私は泥棒に腹が立つやら、
ドキドキするやらで、
「早く玄関開けてよ!」と怒鳴った。
奥の間は、片づけてあったはずなのに、
電気ごたつが引っ張り出されて、
夜具が引き散らされていた。
台所は足の踏み場もなく食器や鍋釜、
食べ物、酒瓶が散乱し、
鍋にはまだご飯が残っていた。
これで見ると犯人は、
何日か滞在したのかもしれない。
「どこからどこまで泥棒ですかね」
と松永君はいい、
それは私が、いかにきちんと、
ふだん掃除しているか分からないせいで、
「みんな泥棒です!これは」
情けないやら腹が立つやらで私は、
なくなったものを見つけようと必死である。
「テレビを持ちだしてる」
貴重品をおいてないから、
盗られたものは知れていて、
さぞ泥棒は持ちだすものに困ったのだろう。
本棚の本が少ないと思ったら、
めぼしい本を抜き出しているのだ。
大江健三郎さんの本に、
瀬戸内晴美さんの本、
大きなぶ厚い本がなくなっていて、
私の本は残してあった。
「文学的見識のある泥棒ですな」
と松永君は笑い、
山ふもとの派出所に届けに行く、といった。