・私はよく未知の読者から手紙をもらう。
忙しくないときは返事を書くが、
私はたいてい忙しいから、たいてい書く折はない。
また返事の書きにくいのもある。
「あなたの『猫も杓子も』や『すべってころんで』など、
たいしたことのないのを少し読みましたが、
どれも面白かったです」
これは百ぺん読んでも、
意義が通じないで嘆息して置く。
しかし私は性ほんらい楽天的にできており、
たぶんこの手紙を書いた人は、
「たいしたことのない」という言葉の概念を、
私とちがうように解釈しているか、
または、
「たいしたことないと思って読みましたが」
と書くべきところを、
そそっかしく抜かして書いた、と推察する。
世の中、そそっかしい人はたくさんいる。
私は数年前まで、
「尼崎市西大島稲葉荘二丁目八番地」に住んでいた。
阪神間、北摂地方、「何々荘」とつく地名は多い。
武庫之荘、鶴之荘、などある。
しかし未知の人からくる手紙にはよく、
「稲葉荘アパート」などと挿入してあり、
ていねいなのはまだその上に、
「二階八号室」と記入してあった。
これは住所録などに「二ノ八」とあるから、
働いた連想であろう。
更に筆まめな人は、
尼崎市の上にわざわざ「大阪府」と、
書き加えているのが多かったが、
むろんこれは兵庫県のあやまり。
そして「大阪府尼崎市」と書く人に、
東京の人が多い。
私の推理によれば、
私はいつも大阪弁を操る人間を主人公にし、
大阪を小説の舞台にすることが多いので、
きっと住所は、
大阪周辺にちがいないと思ったのであろう。
「浜辺丁子(ハマベテイコ、 タナベセイコ)先生」とか、
「浜辺丁子様」というのが大方の宛書である。
中にはボロクソにけなしてあるのが来るのは無論である。
しかしたいがいはファンレターである。
このあいだは高校生からこんな手紙が来た。
ある本をたいへんほめてくれたあとで、
「読んでいくうちに、
この人あと三十年若かったら・・・惜しいなあ、
と切なくなったりしました。
お会いできたら一緒に飲んでもらえますか?
未成年の分際で、甘いか。
けど、たまにはいいもんですよ、きっと。
丁子さん・・・って本名かなあ?」
私が思わずニタ~ッとしていると、
「今朝の静岡新聞で(その少年はその地の住人である)
全く偶然、あなたのお顔を拝見した時は、
はっきり言ってショックでしたけど、
それを尚、うわまわって余りあるような、
あなたの作品の魅力にひかれ、
大学入試を目前にしながら、
こうして筆を取ったのです」
この少年は名文家であるが、
しかし私としては、いかにも返事がいたしにくい。
書きたいが、どう書いてよいのか、
三文小説家のあたまではむつかしい。
よって、こういうファンレターも、
ため息をつきつつ置くのである。
また、本に私の写真を入れよというのもある。
そういうのは青少年に多い。
「今度本を出すときは、
トビラにスナップを入れて下さい。
そうしたなら、なおさら、
あなたを身近に感じることができると思います。
何も恥ずかしいことはないと思います」
しかし私はやはり、
この青年の期待に副うことはできない。
やっぱり恥ずかしい。
ところで、トビラにスナップを入れよと、
指示したのは松永青年であった。
私が神戸のあるバーで飲んでいたら、
「浜辺サンですか」と握手を求めてきた青年があった。
そうです、というと、
僕は二年前に手紙を出したことがあります、という。
それがスナップを入れなさい、
と言った青年であることがわかった。
青年は今は大学を出て団体役員であるといい、
名刺をくれた。
バーの薄暗いあかりのもと、
私は酔眼をみひらいてながめると、
「日本と日本をよくする会 事務局 松永謙太郎」とある。
「どうよくするのですか、日本を」と私は聞いた。
「まあ、いろいろですわ」
松永君は快活な青年であるが、
節度をこころえていた。
つまり飲む場所で、
やたら漢語のまじった言葉をふりまわさないのである。
それで私は今もってその会が何をする会か知らないが、
少なくとも松永君が私のファンであることはわかったので、
一緒に乾杯した。
(次回へ)