むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、ミミズの心 ①

2022年10月22日 09時29分08秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・私はよく未知の読者から手紙をもらう。

忙しくないときは返事を書くが、
私はたいてい忙しいから、たいてい書く折はない。

また返事の書きにくいのもある。

「あなたの『猫も杓子も』や『すべってころんで』など、
たいしたことのないのを少し読みましたが、
どれも面白かったです」

これは百ぺん読んでも、
意義が通じないで嘆息して置く。

しかし私は性ほんらい楽天的にできており、
たぶんこの手紙を書いた人は、
「たいしたことのない」という言葉の概念を、
私とちがうように解釈しているか、
または、

「たいしたことないと思って読みましたが」

と書くべきところを、
そそっかしく抜かして書いた、と推察する。

世の中、そそっかしい人はたくさんいる。

私は数年前まで、
「尼崎市西大島稲葉荘二丁目八番地」に住んでいた。

阪神間、北摂地方、「何々荘」とつく地名は多い。
武庫之荘、鶴之荘、などある。

しかし未知の人からくる手紙にはよく、
「稲葉荘アパート」などと挿入してあり、
ていねいなのはまだその上に、
「二階八号室」と記入してあった。

これは住所録などに「二ノ八」とあるから、
働いた連想であろう。

更に筆まめな人は、
尼崎市の上にわざわざ「大阪府」と、
書き加えているのが多かったが、
むろんこれは兵庫県のあやまり。

そして「大阪府尼崎市」と書く人に、
東京の人が多い。

私の推理によれば、
私はいつも大阪弁を操る人間を主人公にし、
大阪を小説の舞台にすることが多いので、
きっと住所は、
大阪周辺にちがいないと思ったのであろう。

「浜辺丁子(ハマベテイコ、 タナベセイコ)先生」とか、
「浜辺丁子様」というのが大方の宛書である。

中にはボロクソにけなしてあるのが来るのは無論である。
しかしたいがいはファンレターである。

このあいだは高校生からこんな手紙が来た。
ある本をたいへんほめてくれたあとで、

「読んでいくうちに、
この人あと三十年若かったら・・・惜しいなあ、
と切なくなったりしました。
お会いできたら一緒に飲んでもらえますか?
未成年の分際で、甘いか。
けど、たまにはいいもんですよ、きっと。
丁子さん・・・って本名かなあ?」

私が思わずニタ~ッとしていると、

「今朝の静岡新聞で(その少年はその地の住人である)
全く偶然、あなたのお顔を拝見した時は、
はっきり言ってショックでしたけど、
それを尚、うわまわって余りあるような、
あなたの作品の魅力にひかれ、
大学入試を目前にしながら、
こうして筆を取ったのです」

この少年は名文家であるが、
しかし私としては、いかにも返事がいたしにくい。

書きたいが、どう書いてよいのか、
三文小説家のあたまではむつかしい。

よって、こういうファンレターも、
ため息をつきつつ置くのである。

また、本に私の写真を入れよというのもある。
そういうのは青少年に多い。

「今度本を出すときは、
トビラにスナップを入れて下さい。
そうしたなら、なおさら、
あなたを身近に感じることができると思います。
何も恥ずかしいことはないと思います」

しかし私はやはり、
この青年の期待に副うことはできない。
やっぱり恥ずかしい。

ところで、トビラにスナップを入れよと、
指示したのは松永青年であった。

私が神戸のあるバーで飲んでいたら、
「浜辺サンですか」と握手を求めてきた青年があった。

そうです、というと、
僕は二年前に手紙を出したことがあります、という。

それがスナップを入れなさい、
と言った青年であることがわかった。

青年は今は大学を出て団体役員であるといい、
名刺をくれた。

バーの薄暗いあかりのもと、
私は酔眼をみひらいてながめると、

「日本と日本をよくする会 事務局 松永謙太郎」とある。

「どうよくするのですか、日本を」と私は聞いた。

「まあ、いろいろですわ」

松永君は快活な青年であるが、
節度をこころえていた。

つまり飲む場所で、
やたら漢語のまじった言葉をふりまわさないのである。

それで私は今もってその会が何をする会か知らないが、
少なくとも松永君が私のファンであることはわかったので、
一緒に乾杯した。






          


(次回へ)

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