・山の帝、朱雀院は、
二の宮(柏木の妻)が、
若くして未亡人になられ、
三の宮が世を捨てられたことを、
嘆かれたが、
俗世のことは思い捨てよう、
と決心してこらえておられる。
三の宮が、
同じ道に入られたことゆえ、
何かにつけお便りなすっていた。
御寺の近くに生えた筍、
そのあたりで掘った山芋、
いかにも野趣あふれたものを、
贈られるついでに、
こまごまとしたお手紙を、
お書きになる。
「春の野山は、
たどたどしいのですが、
あなたのために掘らせました。
私の志です。
<世を別れ入りなむ
道はおくるとも
同じところを君も尋ねよ>
かわいい姫よ。
私に遅れても、
お互い仏の道に入った身、
同じ極楽浄土を求めなされよ。
修行はむつかしいものだけれど」
そんなお手紙を、
三の宮が見てらっしゃる所へ、
源氏が入ってきた。
「おお、珍しい山の幸があるね」
と、朱雀院からの、
あわれ深い手紙を拝見した。
長くもない命を、
宮に思うように対面できぬ淋しさが、
書いてあって源氏の心を打つ。
心配していらっしゃる。
この上、自分までが、
宮をおろそかに扱って、
院(源氏の異腹の兄君)のお心を、
傷つけてはいけないと思った。
宮は、
尼姿になられてからは、
源氏とお顔を合わせるのを、
避けていられる。
源氏はいまさらのように、
宮に愛の心が起きるのを、
おぼえる。
(なぜこんなお姿に、
してしまったのか)
女三の宮の若君を、
これからは『薫』と呼ぼう。
若君は乳母のそばで寝ていたが、
起きて這い出してきた。
源氏の袖を引っぱったり、
まつわりついたりする様子が、
たいそう可愛い。
白い紗の上衣に、
唐綾の紅梅の小紋の下着を、
着せられている。
色は白くすんなりして、
口もとの愛らしさ、
目もとの涼やかさ、
匂うようなまなざし。
どことなく、
亡き柏木衛門督に似ている。
母君の三の宮には、
この若君は似ていない。
この品のよさ、
奥深い匂いは、
むしろ源氏に通うところ。
薫の君は、
やっとよちよち歩きをするころ。
筍の入れものに寄って、
筍を取り散らかし、
かじったりしている。
「これこれ、
無作法な。
いけません」
源氏は抱き上げて、
女房たちに筍を片づけるように言う。
薫はにこにこして、
手でつかんだ筍を離さない。
「この子は、
なみの子と違う。
何か特別の風情を持っている。
そんなにたくさんの幼児を、
見ないからかも知れないが、
この子は奥深い何かがある。
どんな若者になるのだろう。
美しくて心ざまの深い青年に、
生い立つかもしれない。
まあ、そのころには、
私もいないだろうけれど・・・」
源氏は薫を見守りつついった。
薫は、
歯のはえはじめる頃で、
噛もうとして筍をしっかり握って、
よだれをたらしながら食べている。
「おやおや、
変った色好みだね」
源氏は筍を取り上げながら、
薫を可愛く思う。
忘れがたい屈辱の記憶は、
まつわるものの、
やはりこの幼児は可愛かった。
薫は無心に笑って、
何も知らず、
源氏の膝から這い下りて、
ごそごそしている。
この子は、
生まれるべくして、
宮と柏木の不幸な恋が、
あったのだろうか。
それにしても、
一身の栄華をきわめつくした、
ように人から見られる源氏も、
物思いは多い。
宮に裏切られた、
という記憶は許しがたく、
消しがたいのであった。
(次回へ)