むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

33、横笛 ①

2024年03月15日 08時27分19秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・山の帝、朱雀院は、
二の宮(柏木の妻)が、
若くして未亡人になられ、
三の宮が世を捨てられたことを、
嘆かれたが、
俗世のことは思い捨てよう、
と決心してこらえておられる。

三の宮が、
同じ道に入られたことゆえ、
何かにつけお便りなすっていた。

御寺の近くに生えた筍、
そのあたりで掘った山芋、
いかにも野趣あふれたものを、
贈られるついでに、
こまごまとしたお手紙を、
お書きになる。

「春の野山は、
たどたどしいのですが、
あなたのために掘らせました。
私の志です。

<世を別れ入りなむ
道はおくるとも
同じところを君も尋ねよ>

かわいい姫よ。
私に遅れても、
お互い仏の道に入った身、
同じ極楽浄土を求めなされよ。
修行はむつかしいものだけれど」

そんなお手紙を、
三の宮が見てらっしゃる所へ、
源氏が入ってきた。

「おお、珍しい山の幸があるね」

と、朱雀院からの、
あわれ深い手紙を拝見した。

長くもない命を、
宮に思うように対面できぬ淋しさが、
書いてあって源氏の心を打つ。

心配していらっしゃる。

この上、自分までが、
宮をおろそかに扱って、
院(源氏の異腹の兄君)のお心を、
傷つけてはいけないと思った。

宮は、
尼姿になられてからは、
源氏とお顔を合わせるのを、
避けていられる。

源氏はいまさらのように、
宮に愛の心が起きるのを、
おぼえる。

(なぜこんなお姿に、
してしまったのか)

女三の宮の若君を、
これからは『薫』と呼ぼう。

若君は乳母のそばで寝ていたが、
起きて這い出してきた。

源氏の袖を引っぱったり、
まつわりついたりする様子が、
たいそう可愛い。

白い紗の上衣に、
唐綾の紅梅の小紋の下着を、
着せられている。

色は白くすんなりして、
口もとの愛らしさ、
目もとの涼やかさ、
匂うようなまなざし。

どことなく、
亡き柏木衛門督に似ている。

母君の三の宮には、
この若君は似ていない。

この品のよさ、
奥深い匂いは、
むしろ源氏に通うところ。

薫の君は、
やっとよちよち歩きをするころ。

筍の入れものに寄って、
筍を取り散らかし、
かじったりしている。

「これこれ、
無作法な。
いけません」

源氏は抱き上げて、
女房たちに筍を片づけるように言う。

薫はにこにこして、
手でつかんだ筍を離さない。

「この子は、
なみの子と違う。
何か特別の風情を持っている。
そんなにたくさんの幼児を、
見ないからかも知れないが、
この子は奥深い何かがある。
どんな若者になるのだろう。
美しくて心ざまの深い青年に、
生い立つかもしれない。
まあ、そのころには、
私もいないだろうけれど・・・」

源氏は薫を見守りつついった。

薫は、
歯のはえはじめる頃で、
噛もうとして筍をしっかり握って、
よだれをたらしながら食べている。

「おやおや、
変った色好みだね」

源氏は筍を取り上げながら、
薫を可愛く思う。

忘れがたい屈辱の記憶は、
まつわるものの、
やはりこの幼児は可愛かった。

薫は無心に笑って、
何も知らず、
源氏の膝から這い下りて、
ごそごそしている。

この子は、
生まれるべくして、
宮と柏木の不幸な恋が、
あったのだろうか。

それにしても、
一身の栄華をきわめつくした、
ように人から見られる源氏も、
物思いは多い。

宮に裏切られた、
という記憶は許しがたく、
消しがたいのであった。






          


(次回へ)

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