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・随身が花を折って出て来ると、
遣戸口から、愛らしい少女が出てきて、
随身を手招きし、
「これにのせて上げて下さい。
蔓が持ちにくいんですもの」
と香をたきしめた白い扇を出した。
そこへ惟光が来たので、
随身は惟光の手から源氏にさしあげた。
「こんなむさくるしい道ばたで、
長いことお待たせ申し上げました」
惟光は恐縮していた。
乳母の尼のもとへは、
惟光の兄弟や、
その連れ合いも集まっていた。
みな源氏の見舞いに恐縮し、
感激した。
尼は病気が重いのであったが、
源氏を見ると、
嬉しさに泣きながら起き上がった。
「もうお目にかかれぬと思っておりましたのに、
お姿を拝みまして、
これでいつ阿弥陀仏のご来迎を頂きましても、
心残りはございません」
「何をいうのだ。
まだこれからも長生きして、
私の行く末も見ていて下さい。
小さい時から私は母君、祖母君と、
あわただしく死に別れた。
可愛がってくれた一番身近なひとは、
ばあやのほかにいない。
この年になってもまだ、
頼っているよ。
長生きしてほしいのだ。
いつまでも・・・」
源氏は笑おうとしたが、
涙ぐんでしまった。
乳母はもちろん、
その子供たちも源氏のやさしい心に感動して、
涙をさそわれるのであった。
尼の病室を出て、
源氏はさきっきの白扇をながめた。
使った人の香りがゆかしく匂って、
思いがけぬしゃれた筆跡で、
歌が書いてある。
<心あてに それかとぞ見る 白露の
光そへたる 夕顔の花>
(夕顔のように美しいかた、
もしや光源氏の君では、
いらっしゃいませんか)
という心であろう。
こういうのが、
いつぞやの雨の夜の、
「中流の掘り出しもの」
というのではあるまいか、
案外、こんな家に、
はっとするほど美しい女が、
かくれているかもしれない。
源氏は興をおぼえた。
「この西隣の家は、
どんな人が住んでいるのだ」
彼は惟光に聞いた。
惟光は内心、
(またはじまった。
女をみるとすぐ、好奇心むらむら、
というお癖はなおらないな)
と思いながら、
「この五、六日、
家にひきこもって、
病人の看護に明け暮れましたので、
隣のことは存じません」
と、無愛想にこたえた。
「気に入らぬ様子だな。
この扇はなぞがある。
そういわずにくわしいことを知りたい」
仕方なく惟光は、
隣の家の管理人に聞いて、
源氏に報告した。
「わかりました。
隣は、楊名の介の家ですが、
主人が地方へ行っていて、
妻の姉妹の宮仕えする女房たちが、
よく来ているそうです。
それ以外のことは知らないそうです」
源氏は、さてこそ、
宮仕えの若い女たちらしいいたずらだと思った。
懐紙にいつもの筆跡を変え、
<寄りてこそ それかとも見め たそがれに
ほのぼの見つる 花の夕顔>
(近寄ってみたのではなく、
たそがれにちらと垣間見たのでは、
私が誰かわかりませんよ)
それをさっきの随身に持たせて隣へやった。
女たちは昂奮して、
このお返事はどうしようと、
ざわめいている。
随身は内心、
この女たちとはお身分が違う、
とおかしくなってさっさと帰った。
忍びのこととて、
従者の松明もなく、
ほのかな光の中を源氏の車は帰っていった。
惟光が、五、六日して報告した。
「どんな方がいられるか、
家の下人にもわからないそうですが、
ともかく女主人として、
お仕えしているそうです。
何か、わけのあるかたらしゅうございます」
「素性が分らないものかなあ」
主従でひそひそ話しているところへ、
「伊予の介が上洛して参りました。
お目通りを、と申してございます」
と女房がいってきた。
伊予の介は、
かの空蝉の夫で、
地方長官として任国にいたのである。
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(次回へ)