・まっ先に電話してきたのは、箕面の三男の嫁である。
「お姑さん、被害に遭いませんでした?」
「被害って、地震でもありましたっけ」
「地震じゃありません。戸板商事の件ですわ。
今日の新聞に引っかかったおトシヨリがいっぱいいると、
出てますでしょ!」
戸板商事というのは強引な悪徳商法で金を集め、
倒産状態になっている悪評高い会社である。
私のところへも女の声で電話があったが、
私へかかってくる電話はたいてい、「山本先生」「歌子はんでっか」
「お母チャン」(これは息子ら)「お姑さん」(嫁ら)、
に決まっており、「奥さま」とか「おばあちゃま」という電話はない。
「奥さま」なんていう電話はみな臭い。
お政どん、おトキどんは今も、
「ご寮人(りょん)さん」と電話して来る。
「奥さま」とかかってきた電話にロクなのがないのは、
よくわかっている。
それより電話で金もうけをもちかけるというところが、
私には大胆不敵に思われる。
金もうけというのは、
もちかけられるものではなく、
自分からもちかけるものである。
待っていて入ってくる金もうけというのは、
西鶴の時代からないのだ。
もうけよう、と思えば自分から働きかけないといけない。
それゆえ、私はそのたぐいの電話がかかると、
「いま、忙しいんですよ」とすぐ切ってしまう。
あんまり三男の嫁が息せききって訊いてくるのがおかしくて、
私のイタズラ心がむくむく頭をもたげてくる。
「実はねえ、七十八になって、
気をつけていたつもりやけれど・・・」
「ひえっ、やっぱり!
大変だわ、それでいくらぐらい戸板に持っていかれたんですか?」
「すってんてんですよ」
嫁は絶叫して電話を切ってしまった。
どうも、この嫁をからかうという楽しみをやめられないのが、
私のよろしくないところ。
私が戸板に引っかかったというウワサは。
息子、嫁らに電光のごとく知れ渡り、
彼らは私の財産を気に病んでさぐりを入れてくる。
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・ガミガミ言いの次男が電話で、
「ワシや」というのを聞いたとたん、
これは雷が落ちると思ったが、猫なで声で、
「あのなあ、お母チャン、怒らへんさかい、言いいな」
「何をですねん」
「何ぼ損したか、ちゅうとんねん。
戸板に何ぼ持っていかれたか、ちゅうて聞いとんねん」
「私ゃ、なにも・・・」
「トシヨリが金握ってたら危ないて。
そやさかいワシ、管理する、言うてんのに、
お母チャンが聞けへんのやないか!
今晩行くさかいな」
電話を切ってしまう。
三男の嫁、
「お姑さんのマンション、借りてらしたんですか」
「買うてます」
「あ~よかった。
じゃ、マンションだけでも残ったわけですね」
次男の嫁、
「お姑さん、お着物は何枚お持ちでした?」
「それが、道子さん、穴埋めに売り払うて、タンスは空っぽですよ」
嫁はぶっ倒れた様子。
この騒ぎは、長男がやってきてケリがついたが、
長男は安堵のあまりがっくりしていた。
「冗談や、いうてんのに、
須美子さんも道子さんも本気にするからや」
「冗談いうようなトシでっか。
トシヨリが冗談いうてええ、思てはりまんのか」
「へ~え、トシヨリは冗談もいうたらあきまへんのか。
私のおカネやないかいな。スろうとダマされようと勝手やがな」
「そんなわけにはいきまへん。
皆に、騒がしてすまなんだ、て、あやまっとくれやっしゃ」
「あほらし」
私はも少し「悪ふざけ」を延長しておけばよかった。
私がすってんてんになれば、皆来なくなるであろうし、
せいせいするであろうに、それやこれで一日終わってしまった。
時間の浪費であった。
私があとどれくらい生きられるかは、
モヤモヤさんに任せなければ仕方がない。
九十八の老婦人が九十二ではじめた短歌をまとめて、
「白寿の春」という歌集を出された。下関の人である。
九十二で短歌をはじめられた、というところが嬉しいではないか。
その歌集を手に入れた。
<夏に入り初めて聞けるセミの声 今年も生きて半ば過ごせる>
<パンジーの種をもらいて鉢にまく 花咲く春に逢うやもしれぬ>
<冷ゆる朝白き蝶々庭を飛ぶ いつまで生きるわれの命か>
<ハンガーに吊るせし衣服次々に 着て今生の別れを惜しむ>
<うつし世を離れて逝く日近ければ 吾にもあらず名残は尽きじ>
考えてみると私より二十も年上でいられる。
どうぞして私も二十年先もこのように無邪気でかわいらしく、
毎日を楽しめるようにありたいもの。