むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、姥とちり  ①

2021年10月11日 09時38分10秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・まっ先に電話してきたのは、箕面の三男の嫁である。

「お姑さん、被害に遭いませんでした?」

「被害って、地震でもありましたっけ」

「地震じゃありません。戸板商事の件ですわ。
今日の新聞に引っかかったおトシヨリがいっぱいいると、
出てますでしょ!」

戸板商事というのは強引な悪徳商法で金を集め、
倒産状態になっている悪評高い会社である。

私のところへも女の声で電話があったが、
私へかかってくる電話はたいてい、「山本先生」「歌子はんでっか」
「お母チャン」(これは息子ら)「お姑さん」(嫁ら)、
に決まっており、「奥さま」とか「おばあちゃま」という電話はない。

「奥さま」なんていう電話はみな臭い。
お政どん、おトキどんは今も、
「ご寮人(りょん)さん」と電話して来る。

「奥さま」とかかってきた電話にロクなのがないのは、
よくわかっている。

それより電話で金もうけをもちかけるというところが、
私には大胆不敵に思われる。

金もうけというのは、
もちかけられるものではなく、
自分からもちかけるものである。

待っていて入ってくる金もうけというのは、
西鶴の時代からないのだ。

もうけよう、と思えば自分から働きかけないといけない。
それゆえ、私はそのたぐいの電話がかかると、
「いま、忙しいんですよ」とすぐ切ってしまう。

あんまり三男の嫁が息せききって訊いてくるのがおかしくて、
私のイタズラ心がむくむく頭をもたげてくる。

「実はねえ、七十八になって、
気をつけていたつもりやけれど・・・」

「ひえっ、やっぱり!
大変だわ、それでいくらぐらい戸板に持っていかれたんですか?」

「すってんてんですよ」

嫁は絶叫して電話を切ってしまった。

どうも、この嫁をからかうという楽しみをやめられないのが、
私のよろしくないところ。

私が戸板に引っかかったというウワサは。
息子、嫁らに電光のごとく知れ渡り、
彼らは私の財産を気に病んでさぐりを入れてくる。


~~~


・ガミガミ言いの次男が電話で、
「ワシや」というのを聞いたとたん、
これは雷が落ちると思ったが、猫なで声で、

「あのなあ、お母チャン、怒らへんさかい、言いいな」

「何をですねん」

「何ぼ損したか、ちゅうとんねん。
戸板に何ぼ持っていかれたか、ちゅうて聞いとんねん」

「私ゃ、なにも・・・」

「トシヨリが金握ってたら危ないて。
そやさかいワシ、管理する、言うてんのに、
お母チャンが聞けへんのやないか!
今晩行くさかいな」

電話を切ってしまう。

三男の嫁、

「お姑さんのマンション、借りてらしたんですか」

「買うてます」

「あ~よかった。
じゃ、マンションだけでも残ったわけですね」

次男の嫁、

「お姑さん、お着物は何枚お持ちでした?」

「それが、道子さん、穴埋めに売り払うて、タンスは空っぽですよ」

嫁はぶっ倒れた様子。

この騒ぎは、長男がやってきてケリがついたが、
長男は安堵のあまりがっくりしていた。

「冗談や、いうてんのに、
須美子さんも道子さんも本気にするからや」

「冗談いうようなトシでっか。
トシヨリが冗談いうてええ、思てはりまんのか」

「へ~え、トシヨリは冗談もいうたらあきまへんのか。
私のおカネやないかいな。スろうとダマされようと勝手やがな」

「そんなわけにはいきまへん。
皆に、騒がしてすまなんだ、て、あやまっとくれやっしゃ」

「あほらし」

私はも少し「悪ふざけ」を延長しておけばよかった。
私がすってんてんになれば、皆来なくなるであろうし、
せいせいするであろうに、それやこれで一日終わってしまった。

時間の浪費であった。

私があとどれくらい生きられるかは、
モヤモヤさんに任せなければ仕方がない。

九十八の老婦人が九十二ではじめた短歌をまとめて、
「白寿の春」という歌集を出された。下関の人である。

九十二で短歌をはじめられた、というところが嬉しいではないか。
その歌集を手に入れた。

<夏に入り初めて聞けるセミの声 今年も生きて半ば過ごせる>

<パンジーの種をもらいて鉢にまく 花咲く春に逢うやもしれぬ>

<冷ゆる朝白き蝶々庭を飛ぶ いつまで生きるわれの命か>

<ハンガーに吊るせし衣服次々に 着て今生の別れを惜しむ>

<うつし世を離れて逝く日近ければ 吾にもあらず名残は尽きじ>

考えてみると私より二十も年上でいられる。
どうぞして私も二十年先もこのように無邪気でかわいらしく、
毎日を楽しめるようにありたいもの。






          



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