むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

16、姥雲隠れ  ③

2021年10月10日 08時43分52秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・日本海側の温泉町は雪に閉ざされていたが、
駅前は人で雑踏していた。

迎えのバスで宿へ着くと女中さんが、
「お連れさまは?」と聞く。

「一人で申し込んでいますよ!」
老婦人が一人で旅するのが珍しいのか?失礼な。

以前、私はたつ源さんと鳥取の温泉へ行く約束をしたが、
たつ源さんは亡くなり、あの時も私は一人旅であった。

私は所詮、一人旅が宿命になっているのかもしれぬ。

それにしても、年末年始を一人で温泉に来るという思いつきに、
私は我ながら満足する。

町に灯が点きだすころ、食事の前、
私は二階の部屋の手すりから下の通りを見下ろしていた。

すると一人の男がふり仰いで私を見、会釈した。
よく知ってる気がするが、誰だか思い出せない。

見ているとその人は目の下の玄関へ入った。

・・・ああ、やっと思い出した。
あの車いすを押していた男なのだ。

私はまたあの妻に、
「あほばかまぬけ」とののしられるのはいやだな、と思った。
顔を合わさぬようにしなければならない。

私はテレビの番組欄を見るため、帳場へ新聞を取りに下りたら、
その男がソファに坐って新聞を読んでいた。

半白の髪、落ち着いたやわらかな表情。

「思いがけぬところでお目にかかりますわね」と私がいうと、
「こちらへ来るバスで一緒でしたよ」という。

車いすは見なかったので、

「あら・・・奥さまは?」と聞くと、

「おとつい四十九日を済ませて、こちらへ来ました」

「それはまた・・・思いがけないこと」

「肺炎をおこしましてな」

私がお悔やみを述べかけると、彼はさえぎり、

「明日は正月ですから。
私も長い看病で覚悟はしていましたから、ふっきれているのです」

節度のある男のようで、

「ボケて十年になります。
しまいに鏡みて『あんた、どなたですか?』というてました。
はっはっは・・・いやどうも」

とひとごとのように笑うのがよい。
相手を立ち去りやすくさせるのが社交のエチケット。

部屋に戻ってテレビに向かいつつ、
一人で五勺の酒とカニを楽しんでいるのは、
思ったとおりのうれしさ。

不意に私はあの男と飲んでみたい、という気になった。
縁もゆかりもないオジンを誘うとは、迷惑するだろうか。

私は女中さんに頼んでみた。


~~~


・男はカーディガンにズボン姿に着替えて入ってきた。

「たまたま大晦日なので、こんな宿でめぐり合わせたのも縁、
よろしければご一緒に!」

これは結婚を決意したサナエや魚谷さんと同じではないか。
私たちは初めの一杯をつぎあい乾杯する。

「よく寒い夕暮れに散歩していらっしゃいましたね」

「連れ出さぬと、その辺のものをひっくり返して暴れましてなあ。
どこへ行くんかわかりません。どんどん歩くんです。
足が弱って車いすになってからはいっそう難しくなりました。
この道と違う、あそこで曲がれ、左、右、
どうしても行きたいところへ行き着かないと泣くのです」

「・・・」

「やっと家へ帰って、食事を作って食べさせてやります。
せがまれて歌を歌ってやります。そのうちに眠ります。
そっと出ようとすると、すごい力でしがみついてきます。
私が他の女の人としゃべると気になるんです。
奥さんにも失礼なこと申し上げて、お気になさらんで下さい」

「いいえ」

「家内の喜ぶ顔見たい、そう思うとどんな看病も出来ました。
ボケてても私にヤキモチを焼く、それを見るとボケの家内がかわいいて」

男の顔は静かでどこか悲しい威厳があっていい。

「私は明日、故郷へ帰ります。
家内のお骨を故郷に葬ってやろう、思いまして。
私もそこで住むことにします」

伴侶はわずらわしい、夫婦は業だと思う気持ちは変わらないが、
この暖かな平安な気持ちは何であろう。

いい男、やさしい男もいるものだ。
夫婦っていいものかもしれない。






          


(了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 16、姥雲隠れ  ② | トップ | 17、姥とちり  ① »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事