「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「わたしの震災記」 ⑱

2023年01月29日 13時25分37秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・芦屋のタローは震災で飼い主の老夫婦の手を離れる。
妻(74)は死亡、夫(79)は重傷で入院中。

タローは壊れた家のそばを離れようともせず、
帰ってくる飼い主を待っている。

新聞のカラー写真では白と茶色、
焦茶も混じった雑種らしい犬。

近所の人がみかねて傘や布団で仮小屋を作ってやって、
配給の食料の残りを与えているそうな。

里親の申し込みは十分チェックして、
七割ほど成立したということだ。

衰弱して点滴で生きていた犬が、
犬好きのお嬢さんにもらわれて、
すっかり元気を取り戻したという話や、
はじめは仔犬をという里親の希望だったが、
母犬も共に飼っていただけませんかと、
避難所のボランティアの人に頼まれ、
一応、連れて帰った人が、
もう二匹とも可愛くて、どちらも手放せない、
といった話など私を楽しませた。

犬の餌代にと義援金が、
被災ペット避難所に送られてくるという話も嬉しかった。

飼えないから安楽死させて下さい、
と持ち込む飼い主もいたようである。

避難所ではそれを断り、
里親をさがすからと引き取った。

また全国から猛烈に要望されたのは、
純血種の高級犬だった。
繁殖業者たちらしい。

動物ボランティアたちはそれらを厳しくチェックする。
ほんとうにペットを愛し、世話の出来る人、
犬好き、猫好きな人に無償で、
ということになっている。

ペットの里親さがしは首都圏にまで拡げられた。
話がまとまってたくさんの犬が東京へ空輸された。

私の東京の知人にも、
被災犬を引き取って下さった方がいる。

ご多聞にもれずその犬も震災ショックで、
沈んであまり鳴かない犬だった。

それでも追い追い、
引き取り家庭の家族の愛情に馴染んでいった。

ある夜、知人が遅く帰宅すると、
その靴音を聞きつけ遠くから鳴いた。

はじめて犬(あいつ)の声を聞いたなあ、
と知人は気付いたそうである。

<やっとこれでウチの犬になった、と思いましたよ>

やはりペット避難所から犬をもらってきた人の投書。
京都のA・Nさん。主婦(64)
(新聞には記名してあるがこれも頭文字で)

「あなたの愛犬、私が育てます」というもの。
(1995・2・25 大阪朝日)

「先日、神戸市東灘区から、
柴犬らしいメスのワンちゃんをいただいてきました。
『ミカンちゃん』と名づけられていました。
避妊手術も済んでいて、避難所では、
ボランティアの人たちが手厚い世話をしていました。
避難所に来たときは、
ノミ取り首輪をつけていたそうです。
年齢はわかりませんが、毛並みから二、三才とのことです。
歯がカットしてあります。
私は、きっとあなたが震災直後に、
安楽死させるかどうか、悩まれた末、
歯をカットしてもらい、
人に噛みついても大丈夫なようにして、
放されたのではないだろうかと思うのです。
東灘区から京都のわが家まで長い長い車の旅でしたが、
とても元気で食欲もあり、散歩も喜んでしています。
おとなしいワンちゃんで、
私たち家族はとても気に入っています。
一年でも十年でも、大事に大事にお預かりいたします。
どうかご心配なく、ご自分たちの幸せへ向けて、
一日も早く立ち直って下さることを祈っています。
いつかお返しできる日がくるまで・・・」

世間の犬好きはこの投書にきっと心が熱くなったと思う。
京都のA・Nさん、ありがとう。

柴犬<ミカンちゃん>の顔も目に見えるようだ。
私はこの投書も忘れられない。

それでも避難所へ収容された犬・猫はいい。
彼らを捜し求めている飼い主とめぐりあえるチャンスもある。

彷徨して迷子になる犬・猫もあわれだが、
捜し続ける飼い主もせつないことであろう。

避難所の伝言板や町角の焼け残った建物の壁に、
飼い主は手作りのチラシを貼る。

「三毛。三才。前足が黒い。連絡乞う、TEL〇〇番」
添えられた猫のイラスト。






          


(次回へ)

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