むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「わたしの震災記」 ㉑

2023年02月01日 09時05分44秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・西宮の被災者F・Kさん(女性 68歳)は、
余震にそなえて懐中電灯を求めるため、
倒壊した家や塀の瓦礫などにつまずきつつ、
阪急沿線の夙川に沿って歩いていた。

阪急線は線路が飴のようにねじれ曲がり、
悪夢のようだった。

道のかたわらで、
普段なら二百円くらいの焼きそばを、
千円で売る人がいた。

通りがかりの主婦が怒って、

<ようそんな高うに売れるねえ、このバチ当り。
はよ帰りぃ、帰りぃ>

と一喝する。

F・Kさんも怒ったがむなしく、口惜しい思いだった。

このエピソードの夙川というのに注意。
夙川は西宮の中でも風光の美しいところで、
阪神間人間の愛する名所、
そしてこの辺を徘徊出没するのは、
良識ある中産階級、というのが定説。

いくら困窮しても、
<盗泉の水は飲まぬ>プライドがあるのを、
この焼きそば屋は知らぬとみえる。
土地勘のないやつであろう。

くだんの主婦もF・Kさんも、地震があったばっかりに、
こんな心情柄劣な連中に、美しい夙川を汚されて、
と悲憤したことであろう。

この話は実はあとのほうに比重がある。

F・Kさんは夙川公園までやってきた。
すると大きなリュック姿の若い女性四・五人がかけよってきて、

<こんなにひどいとは思いませんでした。
おむすびを作ってきました。パンも、水も・・・>

若い彼女らが泣いている。
あたたかいおむすびだったという。

聞けば名古屋を暗いうちに発ってきたとのこと。
F・Kさんはこらえていた涙があふれ、
お礼の言葉が出なかった。

これはF・Kさんが大阪朝日新聞(1995・8・21)に、
半年たって投稿した文章である。

「半年前の真心今なお支えに」というタイトル。

F・Kさんはいう、

「今も彼女たちの優しさが心の支えになっている。
まともな暮らしと心安らぐ日はまだ遠いけれど、
うれしかったことだけは胸にとめ、
つらかったことは早く忘れ去りたい」

私の知人、四十五の男、
尼崎に住んでいて地震の被害はなかった。

新聞やテレビを見て、
何か、被災者の役にたちたくてたまらなかった。

ただし老親に加え、義理の仲の老人を養う身で、
そんなに経済的に余裕があるわけではなく、
震災後はじめての日曜日は二十二日だった。

朝早くから自転車に乗って、

<なんや、そら、タダで働くやつ、
ボランティアちゅうもんやって、
ちょっとでもエライ目に会うたん、
手助けしよか、思て>

家に余裕のあるのは、
<〇〇の湧水>という清水ペットボトル二本と、
奥さんが<持って行けば>と出してくれた、
買い置きの青いビニール袋十枚だった。

それを自転車に積んで出発した。

どこへ行っていいか分からぬので、
いちばん近い避難所へ飛び込み、
水とビニール袋を世話人に渡し、
あと指図されるまま、救援物資の衣類の仕分けに、
一日働いて帰ってきたという。

いちばん原初的なすてきなボランティアではないか、
と私は思った。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「わたしの震災記」 ⑳ | トップ | 「わたしの震災記」 ㉒ »
最新の画像もっと見る

「ナンギやけれど」   田辺聖子作」カテゴリの最新記事