むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「15」 ④

2024年11月02日 07時46分27秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「女院さまにおいて、
この世に滅多にないものは、
姑にかわいがられるお嫁さん」

と私はいった
経房の君は笑い、

「それ、面白いよ、少納言
『この世に滅多にないもの』
という一章で草子に書いてくれよ
舅にほめられる婿、
というのも珍しい」

「毛がよく抜ける毛抜き」

と私はいった
経房の君は乗って、

「主人の悪口を言わない従者」

「男と女、
でなくても、
女同士でも仲よしが、
最後まで変わらずいる人」

私はいった

「いや、
それは書かないでください、
私とあなたは仲よしじゃないか
この仲よしは終生続くよ
あなたが心変わりしても、
私はこっちを向かせる」

そういうことを言い合う男友達は、
楽しかった

私は思わず笑い声をたて、
そのことで、
人々の誤解を買ってしまったことを、
あとで知った

少納言は、
道長の君に宣旨が下って、
やれ嬉しやと高笑いした

というのである

出どころがどこか、
わからない

それを教えてくれたのは、
右衛門の君であるが、
右衛門の君自身、
そう言いふらしているのかも、
しれない

少納言は、
道長の君の方人らしい
あちらのお邸といつも、
連絡を取りあって、
ツーツーだ

という噂もあり、
これは兵部の君と知り合いだ、
という話を座談にしたまでである

女房の中には、
道長の君の北の方・鷹司どのの、
女房と昵懇な人もあって、
あながち私だけではないのに、
人々の心はささくれ立っている

二条の中宮のお里での生活は、
息苦しかった

ここにいると、
去年二月の積善寺の供養を、
思い出さずにはいられない

故関白どのがご機嫌よく、
わずか一年あまりで、
こんなに世の中が移ってしまうとは
まさか思いもよらぬことであった

人々は押し黙り、
邸内から笑い声が絶えた

互いに猜疑の目を向け合って、
中宮の御前でも口少なになる

いつも御読経に精進していられる、
中宮がお笑いになるはずは、
ないことであったが

梅雨が明け、
たちまち猛暑となると、
疫病はまた勢いを盛り返した

あわれなのは、
大納言・道頼の君であった

この方は二十五という若さで、
疫病にたおれられた

伊周(これちか)の君の、
異母兄にあたり、
祖父の兼家公が可愛がられて、
ご自分の養子になさり、
引き取られていたが、
権家公亡きあとは、
伊周の君より下に置かれていた

ただ、たいそう人々に好かれる、
受けのいい方で、
関白ご一家の中では、
いちばん評判がよかった

「蜻蛉日記」を書いた、
兼家公の北の方も亡くなられた

お年はいくつばかりであったろう

今日は誰が、
昨日は誰が、
という話ばかり

故道隆公の、
四十九日もすんで、
ふた月たっている

中宮はいよいよ、
内裏へお戻りになる

鈍色のお衣ながら、
ようやくもとの艶な風情が、
お身のあたりにただようように、
思われる

「少納言」

と私を呼ばれて、

「どうしたの?
近ごろは
あなたまでしょんぼりしていては、
だめじゃないの」

「は、はい」

「少納言こそ、
こんな時にまっ先に、
元気づけてくれなければ」

昔の愛くるしさに加え、
人の世の苦労をなめられて、
より深い味をたたえられた表情が、
私にはまぶしく美しく見える

「元気を出しましょう
楽しいことをいっぱい、
心に思い描いて、
負けないでいましょうね
少納言、
支えてくれるわね、
わたくしを」

「勿体ない・・・」

私は袖に顔を押し当て、
どんな時だって泣かない私が、
中宮のひと言で涙もろくなる

中宮が内裏へ参内された、
六月十九日は、
道長の君が右大臣になられた、
日でもあった

道長の君の慶びを申し、
儀式に続く宴のどよめきが、
深夜までつづいた

主上はそのため、
夜半、やっと中宮とお会いになった

主上とのご日常のみは、
復して後宮はまた、
笑い声が聞こえるようになった

日一日とお顔に、
血の色がもどってくる

主上との間に、
新婚生活のむつまじさが、
よみがえっていられるらしかった

それが中宮のお心を弾ませ、
お目を明るくするのであろう

伊周の君が、
時折お見えになる

この頃は少しお顔に、
険が見えるが、
それがかえってこの方を、
りりしく見せている

中宮も昔と変わらず、
伊周の君をあたたかく、
いたわられておやさしい妹君

御妹の淑景舎の君も、
東宮のもとへ参内されたが、
こちらへはお手紙をお出しになり、
頼もしい姉君であった

つまり道隆公が、
お亡くなりになったあと、
一家の柱は、
いまは中宮でいらっしゃる

道隆の大臣が、
お亡くなりになろうと、
伊周の君が、
一の人から蹴落とされなさろうと、
何たってただいま、
後宮の女あるじは、
「定子中宮」
おひとりなんだもの

主上とは相思相愛の、
むつまじいおん仲

毛ほどの障りもないのだ

伊周の君たちが、
たとえ政争に敗れようと、
中宮おひとりの存在を、
おたのみ申して、
気強くしていられるのは、
当然である






          


(次回へ)

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