むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

6、花宴 ②

2023年08月18日 08時08分07秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・「扇を取り換えよう。
春の夜の思い出だ」

と自分のを与え、
女の扇を取ってそっと忍んで出た。

源氏の部屋に仕えている女房たち、
もう起きている者もいたが、
源氏の帰りを見つけ、

「よくもまあ、
お忍び歩きに精の出ること」

と仲間同士で、
つつき合いしつつ寝たふりをしていた。

源氏は横になったが眠れなかった。

(誰だろう?
・・・美しい人だったが)

弘徽殿の女御の妹君の一人に違いなかった。

女御の妹君はたくさんいて、
その中には、
親友の頭の中将の夫人で、
中将とあまり仲のよくない四の君や、
帥の宮の夫人などもいる。

みな美人のうわさ高いが、
しかし、かのおぼろ月夜の姫は処女だった。

すると五の君か六の君だろうか。

(いっそ四の君のような、
人妻だったらな。
あわれ深い恋のかけひきが出来て、
面白かったろうに)

(もし、六の君だったとしたら、
これは大変なことになる)

源氏はため息をついた。

六の君は、
東宮と結婚の予定の姫君である。

つまり、源氏にとっては、
兄君の婚約者ということである。

源氏は弘徽殿の女御に、
こころよからず思われている存在だから、
あの御殿に気を許せる手づるはないのである。

源氏はなぜ手紙を通わすすべだけでも、
打ち合わせて来なかったかと、
悔やまれた。

あの姫君の身許を探るには、
どうすればよいか。

しかし、もし探ったとしても、
姫君の父、右大臣にまで知れたら、
どうしようか。

大げさに婿あつかいされたら、
源氏としては進退に窮する。

すでに源氏は左大臣の婿である。

左大臣と右大臣は、
かねて政敵の間柄ともいうべく、
いまここで右大臣の姫君との仲が、
公然となると、
政治的に難しい状況に追い込まれてしまう。

いや、それより何よりも、
あのおぼろ月夜の姫君が、
どんな人柄、
どんな気だての女ともわからぬままに、
いつとはなく、婿あつかいされては、
これもやりきれない。

(どうしたものだろう・・・)

源氏は物思いにふけった。

あの時、
取り交わした扇は、
桜の地色にかすんだ月が水面に映っている、
図柄だった。

よくある絵だけど、
使う人の心がらがしのばれて、
何とはなし、やさしい風情がある。

左大臣邸にもしばらくご無沙汰で、
心苦しく思ったが、
かの紫の姫君も気にかかるので、

(淋しがっているだろうなあ)

と思うと、いじらしくなって、
源氏は二條院へいってみた。

姫君は、童女期を抜け出して、
匂やかな乙女に変貌しつつあった。

愛くるしい笑顔に、
明るい気だてが、
源氏にはことに嬉しかった。

彼の年上の妻や恋人たちの、
重々しいつくろった雰囲気を見なれていたので。

(十分だ。
これなら、予想通りの、
好みの女に生い立っていきそうだ)

と深く満足した。

ただ男の教えることなので、
世間並みでないこともまじるかもしれない。

世の深窓の姫君たちとちがって、
幼いときから男に慣れて育ったので、
開放的すぎるか?
と気にもなるのであった。

いつものように琴を弾いたり、
あそびごとに日を暮らして、
宵になると源氏は外出の用意をはじめた。

「もうお出かけになるの?」

紫の君はつまらなさそうにいうが、
以前のようにしょんぼりしたり、
裾に取りついたりせず、
あきらめた風で、

「いってらっしゃいまし」

といって送り出すのである。

「やっぱり大人になったよ」

源氏は見送りについてきた、
乳母の少納言に笑いながらいった。

二條院へ来ると、
たのしい明るい話ばかりなので、
源氏は心が弾む。

しかし、二條院から左大臣邸へ向かうときは、
まるで義理に引かれるように気が思い。

妻のもとへ行くというのに、
車の中で源氏は屈託ありげに嘆息をもらしたり、
爪を噛んだりしていた。






          


(次回へ)

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