むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

20、船をかつぐ女  ②

2021年08月17日 08時19分33秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・女は国守の脱いだ着物を取り上げて、
何ごともなかったような顔で家へ帰り、きれいに洗って、

「あなた、取り返してきたわ。
でも、ほとぼりがさめるまでしばらく着ないほうがいいかも」

と言って、しまいこんだのだった。

夫はよく国守が返したものだと思ったが、
館でのうわさは、いっぺんに郡じゅうの評判になり、
それを耳にした夫は国守の怒りを恐れて、

(えらいことをやってくれたものだ・・・)

と頭を抱えてしまった。
そうして、おずおずと妻に言った。

「お前、しばらく親元へ帰っていてくれないか・・・
いや、お前がいったように、ほとぼりがさめるまで、だよ」

どういうこと?と物言いたげな妻の視線に、夫は白状する。

「両親がね、国守のお咎めがあるに違いないって、
おぞけをふるっているんだよ。
災いのふりかからないうちに、親元へ戻してしまえって。
でも、国守もいつまでも国守じゃない、
任期が終わればこの国から出ていく、
そうすれば・・・」

「そうすれば、また迎えてくれるというの?」

「もちろん、そのつもりだよ・・・」

「わかったわ。出ていくわ」

妻はおとなしく実家へ帰っていった。


~~~


・故郷の草津川でも、女の評判は伝わっていて、
怪力女はどんな奴だとひやかしにくる人が絶えない。

草津川には船の往来も繁く、
女が川で洗い物をしていると、
船の上からもからかいの言葉を投げる男たちがいる。

女は取り合わず、せっせとすすぎ物に精を出していると、
男たちはなおも言い募り、

「お~い、おれと腕相撲をしてみないか、
もしおれを負かしたら、気はすすまないが、
一度ぐらいなら抱いてやってもいいぞ」

などと言い、どっと笑って皆々、はやしたてる。
女はすすぎの手を止め、

「人をからかっていると、ひどい目に会うわよ」

と言い返した。

しかし男たちの嘲弄は止まず、一層烈しくなる。
女はすすぎ物を川岸に置き、水の中へ入っていった。

そして船の艫にとりつき、抑え込んだのである。
船はみるみる傾き、艫から浸水しはじめ、
船上の男たちは狼狽して、立ち騒ぐ。

「荷が濡れるぞう!」

「沈む、沈む、何とかしてくれっ」

「あんたたちがあたしを馬鹿にするから、
腕相撲が何だっていうの、もう勘弁ならない」

女は今度は船を両手で押し始めた。

船はぐんぐん川岸へ打ちあげられ、
男たちと荷を乗せたまま岸辺をすべる。


~~~


・「まいった、まいった、あやまる!」

男たちの顔色はない。
それに比べ、女はいよいよ顔を紅潮させ、

「いいえ、今日は許さない!
陸へ引き上げて船ごと引っくり返してやる」

その時、乗っている男たちの中から、

「おれだよ、おれがいるんだよ、
無茶なことをしないでおくれ!」

と哀訴するのは、夫の大領である。

「おれ、迎えに来たんだよ、お前を・・・」

「ふん」

女は口をとがらせてののしる。

「あたしはもう、あんたのとこなんか帰らない!
二度と帰るもんか!」

「なんだって」

「国守が怖くて、あたしを追い出すような男、
親のいいなりになって妻を去らせる男なんかに、
未練ははないってこと、この弱虫!」

「怒るのは尤もだけど、
おれ、お前がいないと生きてる張り合いがないってこと、
よくわかったんだよ・・・」

「ふん、何とでも言うがいいわ」

そのあいだにも船は女の力で押し上げられていく。
人々は生きた心地もしなかった。

「お前、聞いておくれ」

夫は声をふりしぼり、

「国守のお咎めを受けるなら、お前もろとも受けよう。
親が承知しないなら、お前と二人、どこか他国へ行こうと、
おれはそう決心して、お前を迎えに来たんだ」

船の動きがのろくなった。

「お前がいなきゃ、おれダメなんだよ、
ものを食べても旨くないし、寝ても面影がちらついて・・・」

船の動きがぴたりと止まった。


~~~


・見事な麻布がまきおこしたお話はこれでおしまい。

え?その女と夫はどうしたかって?
国守のお咎めもなく、その後はむつまじく幸せに暮らしたの。

子や孫?
いますよ、これ、私のひいおばあさんの話だもの。

ひいおばあさん、その大力をその後、
人に見せることはなかったって。

おお、いい風だこと・・・
灯が入ると、縁の向こうの草むらにしとどの露が光った。


巻二十三(十八)






          


(了)

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