・女は国守の脱いだ着物を取り上げて、
何ごともなかったような顔で家へ帰り、きれいに洗って、
「あなた、取り返してきたわ。
でも、ほとぼりがさめるまでしばらく着ないほうがいいかも」
と言って、しまいこんだのだった。
夫はよく国守が返したものだと思ったが、
館でのうわさは、いっぺんに郡じゅうの評判になり、
それを耳にした夫は国守の怒りを恐れて、
(えらいことをやってくれたものだ・・・)
と頭を抱えてしまった。
そうして、おずおずと妻に言った。
「お前、しばらく親元へ帰っていてくれないか・・・
いや、お前がいったように、ほとぼりがさめるまで、だよ」
どういうこと?と物言いたげな妻の視線に、夫は白状する。
「両親がね、国守のお咎めがあるに違いないって、
おぞけをふるっているんだよ。
災いのふりかからないうちに、親元へ戻してしまえって。
でも、国守もいつまでも国守じゃない、
任期が終わればこの国から出ていく、
そうすれば・・・」
「そうすれば、また迎えてくれるというの?」
「もちろん、そのつもりだよ・・・」
「わかったわ。出ていくわ」
妻はおとなしく実家へ帰っていった。
~~~
・故郷の草津川でも、女の評判は伝わっていて、
怪力女はどんな奴だとひやかしにくる人が絶えない。
草津川には船の往来も繁く、
女が川で洗い物をしていると、
船の上からもからかいの言葉を投げる男たちがいる。
女は取り合わず、せっせとすすぎ物に精を出していると、
男たちはなおも言い募り、
「お~い、おれと腕相撲をしてみないか、
もしおれを負かしたら、気はすすまないが、
一度ぐらいなら抱いてやってもいいぞ」
などと言い、どっと笑って皆々、はやしたてる。
女はすすぎの手を止め、
「人をからかっていると、ひどい目に会うわよ」
と言い返した。
しかし男たちの嘲弄は止まず、一層烈しくなる。
女はすすぎ物を川岸に置き、水の中へ入っていった。
そして船の艫にとりつき、抑え込んだのである。
船はみるみる傾き、艫から浸水しはじめ、
船上の男たちは狼狽して、立ち騒ぐ。
「荷が濡れるぞう!」
「沈む、沈む、何とかしてくれっ」
「あんたたちがあたしを馬鹿にするから、
腕相撲が何だっていうの、もう勘弁ならない」
女は今度は船を両手で押し始めた。
船はぐんぐん川岸へ打ちあげられ、
男たちと荷を乗せたまま岸辺をすべる。
~~~
・「まいった、まいった、あやまる!」
男たちの顔色はない。
それに比べ、女はいよいよ顔を紅潮させ、
「いいえ、今日は許さない!
陸へ引き上げて船ごと引っくり返してやる」
その時、乗っている男たちの中から、
「おれだよ、おれがいるんだよ、
無茶なことをしないでおくれ!」
と哀訴するのは、夫の大領である。
「おれ、迎えに来たんだよ、お前を・・・」
「ふん」
女は口をとがらせてののしる。
「あたしはもう、あんたのとこなんか帰らない!
二度と帰るもんか!」
「なんだって」
「国守が怖くて、あたしを追い出すような男、
親のいいなりになって妻を去らせる男なんかに、
未練ははないってこと、この弱虫!」
「怒るのは尤もだけど、
おれ、お前がいないと生きてる張り合いがないってこと、
よくわかったんだよ・・・」
「ふん、何とでも言うがいいわ」
そのあいだにも船は女の力で押し上げられていく。
人々は生きた心地もしなかった。
「お前、聞いておくれ」
夫は声をふりしぼり、
「国守のお咎めを受けるなら、お前もろとも受けよう。
親が承知しないなら、お前と二人、どこか他国へ行こうと、
おれはそう決心して、お前を迎えに来たんだ」
船の動きがのろくなった。
「お前がいなきゃ、おれダメなんだよ、
ものを食べても旨くないし、寝ても面影がちらついて・・・」
船の動きがぴたりと止まった。
~~~
・見事な麻布がまきおこしたお話はこれでおしまい。
え?その女と夫はどうしたかって?
国守のお咎めもなく、その後はむつまじく幸せに暮らしたの。
子や孫?
いますよ、これ、私のひいおばあさんの話だもの。
ひいおばあさん、その大力をその後、
人に見せることはなかったって。
おお、いい風だこと・・・
灯が入ると、縁の向こうの草むらにしとどの露が光った。
巻二十三(十八)
(了)