むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「24」 ⑥

2024年12月24日 09時28分54秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・生昌がやってきて、

「中宮さまに、
おとりなしを願います
このたびのお成り、
生昌一世一代の光栄に存じます
また皆さまがたをお迎えして、
これにまさる喜びは、
ございません
どうぞお心おきなく、
ご滞在頂きとう存じます
不ゆき届きながら、生昌、
けんめいにお仕えする所存で、
ございます
どうぞ何なりとお申しつけ、
下さいませ
ハイ、シーッ」

これを四角張って、
力をこめていうのであるが、
それが聞きなれぬ備中なまり、
生昌の母親は備中の郡司の娘、
都人ではないということだが、
その母親のなまりが、
彼にも伝えられているのかも、
しれない

若い女房たちは、
笑いをこらえるのに必死である

生昌はというと、
御簾の向こうの中宮、
その前に居並ぶ私たちの視線に、
年甲斐もなくどぎまぎする風で、

「シーッ、ええ、
これは粗菓でございますが、
宮さまにお召し上り頂きますように」

と硯蓋に盛った菓子をすすめ、

「ハイ、シーッ」

と平伏する

この「ハイ、シーッ」というのは、
生昌の口ぐせであるらしい

ハイというのが、
語尾に必ずつき、
それは彼の恭順謙譲を、
あらわす口吻らしい

彼が「ハイ、シーッ」とやるたび、
若い女房たちは、
真っ赤になっておかしがる

「また、わるいところへ、
いらしたもんだわ
あたくしたち、
気の毒ですけど、
わるくちをいってましたの」

「わるくちを」

小男で蟹のような顔つきの、
生昌はおどろいて背を立てる

「何か不都合なことが、
ございましたかな?」

「不都合たって、
これほどの不都合があるもんですか、
なぜあなたのところの門は、
狭いんですか、
よくもああ狭い門で、
がまんしていらっしゃいますね」

といっても、
生昌は更にまじめで、

「家の格、
身分に釣りあったものを、
作ったのでございますが、
ハイ、シーッ」

小兵衛の君は、
こらえかねて立ってしまう

「格、ねえ
だけど門だけ高く、
作った人もあるじゃありませんか」

と私はからかってやった

「漢書」に干公という人が、
門というものは、
大きく作らなきゃいけない、
大きい車が出入りできるような、
そしたら子孫が出世する、
といったが、
はたしてその子の、
干定国が大臣になった、
とその故事はいう

生昌は目をみはり、

「ありゃ~、恐れ入りました
ハイ、シーッ」

とあたまを反らせておどろく

「それは干定国の、
故事でございますが、
さすが少納言さま
そんなことはよくせきの学者、
などでないと存じませんことで
ま、私めはたまたま、
この道を専攻しましたゆえ、
やっとわかりますが、
えらいものでございますなあ」

「この道たってあなた、
ひどいものでしたわ
莚道は敷いてあるけど、
ひどい穴ぼこで、
みな大さわぎしましたのよ」

「まことに申し訳ございません
長雨で穴ぼこもできましたろう、
ハイ、シーッ
いやもう、干定国で、
度肝を抜かされまして、
意気上がりませぬ
退散させて頂きます
ハイ、シーッ」

といって、
あたふたと立っていった

そのあとで、
みなの笑うこと笑うこと・・・

中宮は姫宮と、
御張台にお入りになっていたので、
この騒ぎはご存じなく、
あとで、

「どうしたの?
生昌が逃げるように、
帰っていったけど」

と仰せられる

「いいえ、
たいしたことはございません
車が入らなかった、
と生昌に申しただけでございます」

と申しあげて、
自分の局にあてられた、
部屋へ入った

小兵衛の君や小弁の君、
といった若い女房たちと一緒に、
私は寝入ってしまう

式部のおもとや、
右衛門の君の部屋に、
よいところを譲って、
私は若い人々と端っこの、
粗末な部屋を選んだ

一緒にいるのは、
若い人々のほうが、
ずっと面白い

若い人とのほうが、
私は話が合う

昼間の疲れで、
欲も得もなく寝入ってしまった

そこは東の対で、
西廂から北へかぞえたところ、
であった

寝る前に、
北の板戸に懸け金がないな、
と見ていたのだが、
まさかこんな邸で、
どうこうあるはずはない、
と思い几帳だけ立てて、
眠っていた

そこへ生昌がやってきたのだ

家の主人だから、
勝手はわかっている

懸け金のない板戸を開けて、
上ずった声で、

「少納言さま
ちょっと、よろしいかな、
ハイ、シーッ」

というのだ

「もし、少納言どの、
そこへおうかがいしても、
よろしゅうございますかな、
ハイ、シーッ」

私は目をさまし、
びっくりして起きる

几帳の向こうに灯台を、
立てているので、
向こうの姿はあらわである

こちらの姿は、
向こうから暗くて見えないが、
向こうの姿は丸見え

障子を五寸くらい開けて、

「ハイ、シーッ」

とやっている

もうおかしくって、
これは忍び男のまねごと?

生昌は浮いた噂も、
それらしい様子も全くない

また生昌の雰囲気からみれば、
何たって色気に見放されている

およそ色気の、
好色の、恋の浮気のという、
あだめいたことには、
縁遠い存在、
それなのに、
私のところへ忍んで来るつもり?

いったい、何だってまあ・・・

自分の邸へ中宮さまが、
いらしたと少し有頂天になり、
大胆になっているのかしら、
私たちが恐れ入って、
いうことを聞くとでも、
思ったのかしら、
それとも私に、
いい負かされて悔しくて、
その意趣がえしに、
浮名でも立てよう、
ってのかしら・・・

何にしてもおかしい

生昌、
もぞもぞと几帳を片寄せる気配

「もし、少納言さま
私め、さきのお話で、
完全にかぶとを脱ぎました
いや、惚れました
聞きしにまさる才女でいらっしゃる、
私め、そういうお方が好きで、
ございましてな・・・」

私はそばに寝ている、
小兵衛の君をゆり起こして、

「あれごらんなさいよ、
へんなのがいるじゃない」

というと、
若い小兵衛は起き上がって、
笑うこと笑うこと

私は声を張り、

「何なの、
どなたなの、
女の部屋へあつかましく、
入り込んで」

「とんでもない、
ちょっとご相談したいことが、
ございまして
この家のあるじでございます
ハイ、シーッ」

「門は広くしなさい、
といいましたけど、
障子をあけなさいとは、
いいませんわよ」

「いや、その話でございますが、
そっちへ行っても、
ようございますか、
ハイ、シーッ」

もう若い女房たちは、
たまらずどっと笑う

「やや、若い方々が、
いられるとは」

生昌はあわてふためいて、
飛び出す






          


(了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「24」 ⑤ | トップ | 「25」 ① »
最新の画像もっと見る

「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳」カテゴリの最新記事