<大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみも見ず 天の橋立>
(母のいる丹後の国は
はるか山々のかなた
大江山 生野道 そしてまた天の橋立
私はまだその地を踏みもせず
母の文も見ておりませんの)
・『金葉集』雑の部。
その詞書でいきさつがわかる。
小式部内侍(こしきぶのないし)は、
56番の和泉式部の娘である。
小式部内侍の父は、
和泉式部の最初の夫、橘道貞だが、
多分もの心ついたころには両親は離婚していた。
和泉式部は歌人としても名が高かったが、
当時のスキャンダルとなった高貴な、
プリンスたちとの恋愛で、
恋多き女だった。
愛人たちと死別した和泉式部はやがて、
時の権力者、藤原道長の招請に応じて、
その娘、彰子中宮のもとに仕える。
いつか美しい少女に生い立った小式部内侍も、
もろともに女房として出仕することになった。
このあたり、
紫式部と大弐三位母娘の境遇によく似ている。
母ゆずりの美貌と歌才、
それにまぶしいような若さにあふれた小式部は、
たちまち宮廷中の男たちを魅了してしまう。
もっともいつの世にも、
そねんだり嫉いたりする人間はいるもので、
(なあに、彼女の歌は、
みな母親が代作してやってるんだよ)
という噂も流れていた。
詞書によると、
そのころ母の和泉式部は、
藤原保昌という官吏と再婚し、
夫に従ってその任地の丹後へ下っていた。
たまたま、都では歌合わせが催されることになり、
小式部内侍もその歌人の一人に選ばれていた。
小式部内侍の局(つぼね・・宮中で頂いている部屋)へ、
藤原定頼という貴族がやってきて、
「歌合わせの歌はもうお出来になりましたか。
丹後へは使者をもうおやりになりましたか。
お母上からの返事はまだ来ませんか、
さぞ心細いことでしょうね」
などとからかって去ろうとすると、
「お待ち下さいませ」
小式部は定頼をひきとめ、
とっさの機智でこの歌を詠んだ。
踏みに文をかけ、
行くに生野をかけ丹後への道中、
その近辺のゆかりの名所を口調よろしく並べ、
その並べ方の背後に、
母のいるあたりを思いやってなつかしむ心がたゆとう。
それでいながら、
「私、母に代作なんかしてもらってません!」
という強い気魄が、芯に通っている。
「いやあ、これはまいりました」
定頼は返歌もできず、
こそこそと逃げた。
定頼、これは藤原公任の息子で、
彼も歌人で、64番の作者。
この定頼、実は小式部内侍に惚れていたようで、
好きな女の子にわざと意地悪くいう、
男の子の心理で、
からかってみたのでしょう。
小式部内侍、
かなり花やかな恋もしたようである。
藤原教通(のりみち)の愛人となって、
子供を生んだ。
教通は道長の息子で当時の最高クラスの御曹司。
そののち別れて、滋井頭の中将の愛人になり、
その子供を生んだとき亡くなった。
まだ二十五、六であった。
母の和泉式部の悲しみは深かった。
『和泉式部集』には哀傷の歌が載っている。
そのうちの一首、
「小式部内侍みまかりて 孫どもの侍るを見て」
<とどめおきて 誰を哀れと思ふらむ
子はまさりけり 子はまさるらむ>
(娘は親の私や小さい子を残して先立ってしまった。
あの子は誰のことが一番気がかりであったろうか、
きっと小さい子のことだろう。
私だって、親を亡くした時より、
娘のお前に先立たれたいまの悲しみのほうが、
辛いのだもの・・・)
愛するものすべてに死におくれた、
和泉式部の痛切な慟哭である。
ともあれ「大江山」の歌、
なだらかで唇にのぼせやすく、
心弾む才気ある歌である。
ジュニア同士の歌、
大弐三位の「有馬山」とこの「大江山」
歌の魅力は相伯仲する。
(次回へ)