放言随記

凡人の独り言です。人の役には立ちません。悪しからず。

国体について、國體について。

2009年11月06日 22時06分23秒 | 提言

国体について考えてみたい。


 


文化の日(天長節)から3日経ってしまったのでタイムリーではないですが、国体について考えます。


そう、国民体育大会の国体ではなく、日本の国柄や皇室を表す「国体」です。


 


どちらの国体も文字と発音が同じです。国体といえば国民体育大会を表す事に社会的な合意が形成されつつあります。「国体」は括弧付きで表現しなければその意味を表すことが出来なくなっています。


 


二つの国体を区別する方法を考えたい。


 


日本の国柄や皇室を表す「国体」を國體と、国民体育大会の国体と表現すれば区別できます。


 


國體は伝統的字体、国体は新字体、それぞれの意味にも相応しいと思います。


 


日本では、当用漢字と伴に制定された新字体の運用開始から、新字体と伝統的字体を混在させて利用している。


 


漢字制限政策も行われた。新漢字の利用促進や言葉の言い換えが行われたが、表現の自由との軋轢から、事実上漢字制限は否定された。


 


漢字制限政策の副作用とも言えるが、伝統的字体と新字体を熟語によって使い分ける表現も登場している。


例えば、危惧と恐懼。惧と懼は新字体と伝統的字体の関係だが使い分けが行われ、現代日本語として定着している。


 


日本の国柄や皇室を表す「国体」を國體、国民体育大会の国体と表現するアイディアは如何だろうか。


 


また、このアイディアが適当であるなら國も體も常用漢字に登録して欲しいものである。現在、常用漢字の改訂が行われているので是非検討して頂きたい。



TBS・毎日放送を視ない。

2009年08月05日 23時50分44秒 | 提言

個人的にTBS・毎日放送系列のテレビ放送を視る事がありません。どういう訳か、その様になってしまいます。


 


理由が分かりました。このブログをご覧ください。


大惨敗に頭を抱えるTBS


 


TBSの経営者は、ずいぶんと傲慢ですね。



井上弘TBS社長は以下のような発言をされたそうです。


 


「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実」(1998年 TBS副社長時代)
「社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配するわけです」(2002年社長就任時)
「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」(2003年)
「NHK受信料を値上げして、その一部を民放にも分配するべき」(2005年)


入社式で新人に「君たちは選ばれた人間だ。 君たちは報道によって世の中を動かす側の人間。 対して一般国民は我々の情報によって動かされる人間だ。 日本は選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる」
 


まさかとは思いますが、本当なら、筆者の感性はかなり正常と言えるでしょう。



ロボットと人工知能から脳死を考える

2009年06月17日 14時39分00秒 | 提言

ロボットと人工知能から脳死を考えてみたい。


一見、ロボットと人工知能から脳死を考えると、脳死は人の死のように見える。人工知能が失われたらロボットは動作しなくなるからです。


しかし、ロボットと人工知能の開発現場では全く逆のことが起こっているようです。以下のitmediaに掲載された記事「人とロボットの秘密」をお読みいただきたい。


http://www.itmedia.co.jp/keywords/human_and_robot.html


「人とロボットの秘密」は、ロボットを人の模倣としていかに機械とコンピューターで人間をシミュレートするかを研究する現場を取材し、サブカルチャーを交えながら、ロボットを通して人間とは何なのかを問う著作のインターネット版です。次の文章がとても象徴的です。


 


『コンピューターのプログラムで思考をシミュレートしようとする人工知能の研究にふれ、「そこには心がそれだけで存在することができる機能だという前提があった。しかしそのモデルはうまくいかず、心を実現するためには同時に体が必要であると気がついた。』


 


心を人間の本質と捉えるならば、肉体なしに心は発生せず人間にならないと言えます。人間にとってやはり心身は一体であり、「脳死は人の死」と捉えるのは無理があるのかもしれません。


 


一方で、現代の人間の心が、肉体から離れつつあるという。「肉体の開放」という言葉が使われています。


 


つまり、脳死は人の死と認めるということは、「肉体の開放」なのかもしれません。


 


しかし、肉体を開放解放した人間ははたして人間でいられるのでしょうか?



再掲:世襲制限には反対です。

2009年05月21日 12時31分00秒 | 提言

このエントリに関連づけられた「【正論】櫻田淳 「説得性」のある世襲議員とは」に賛同します。世襲制限推進のコメント、記事、等が多い中、初めて読んだまともなコラムです。まさに【正論】です。


 


本来、政治家は何を為すかであって、出自を問うのは出身差別のようなものです。実際に世襲議員の出来が悪ければ、淘汰されます。世襲議員が多い原因は、日本に政治家を育てる土壌が無いからだと思います。それに気が付いたのが松下幸之助さんであり、土壌を改善するために松下政経塾が設立されたのです。実際に松下政経塾出身の政治家は多いです。土壌を深耕し、種を植えれば人材がたわわに実る事でしょう。よい政治家が出てくれば、自然と世襲議員は減っていくと思います。


 


世襲議員でなくても能力の低い議員はいます。政治家に適性試験を課すのも考えでしょう。各政党には公募システムがあります。試験に合格すれば、公認候補になることができます。実際には、議員の秘書を暫く務め、退職後公募試験を受け、合格した後出馬して当選すれば、晴れて国会議員となります。このような経歴の議委員なら国政を預けてもいいのではないでしょうか。


 


世襲制限に反対である理由はこれだけではありません。


それは不公平だからです。


 


「世襲」という言葉にとらわれてはなりません。


 


世襲が有利である理由を個別に制限しないと、政治家の師弟のみが一方的に制限を受けます。世襲が有利である理由は以下の3点です。
地盤≒組織票
看板≒知名度
カバン≒資金管理団体
しかし、世襲議員以外にも、組織票、知名度、資金管理団体を使って選挙を有利に戦う議員もいます。


組織票:
創価学会≒公明党や労働組合≒民主党、共産党、等は組織票によって選挙を行います。公明党は言うまでもありませんが、日教組出身の輿石東氏などこの一例です。


知名度:
タレント議員は、知名度で選挙を有利に戦います。民主党、大橋巨泉氏(辞職)はトップ当選しています。自民党、舛添要一氏はトップ当選しています。


資金管理団体:
一般人でも、政党の公募試験に合格して、公認されれば資金管理団体が与えられます。自民党佐藤ゆかり代議士は、初出馬でしたが選挙区政党支部(資金管理団体)の長です。

組織票、知名度、資金管理団体を等しく制限するならば公平性が担保出来ます。


しかしそれは選挙を否定する様なものです。これらを制限できないならば、世襲制限をするべきではありません。
 


小泉元首相の後継指名による次男、進次郎氏の次期衆院選出馬について、自民党は公認しない方針とるようですが、間違っています。麻生首相のおっしゃるように選挙区で公募したらいいのです。


 



新型インフルエンザ国内感染はチャンスである

2009年05月20日 23時24分49秒 | 提言

新型インフルエンザが国内感染拡大している。厚労省は鳥インフルエンザなど強毒性ウィルスを想定とした対策を行っています。


これに対し季節性インフルエンザと同様の対応をするべきであるとテレビなどで批判している解説者やコメンテーターがいます。理由は、弱毒性である、日本以外の国の対応などで、一見もっともな意見の様だが、はたしてそうか。


 


新型インフルエンザは弱毒性とはいえ未知のウィルスであり、季節性インフルエンザのようにワクチンがあるわけではないので、免疫を持っている人が少なく、相対的に感染力が強い。


 


この現象を冷静に見ると「治癒も可能な弱毒性の感染力が強いウィルスが日本国内にある」と定義できる。


筆者はこれを大きなチャンスとみる。


 


厚労省の対策はあくまでプランであって、試した事がない。厚労省は、対策を国内で比較的安全に試せるのである。


厚労省は考えられる対策を自信を持って、存分に実行すべきである。これは将来考えられる、強毒性ウィルス・パンデミックに対する予行演習なのである。問題があったら、対策を修正して、本番に備えるだけである。