放言随記

凡人の独り言です。人の役には立ちません。悪しからず。

カメラマンの地位低下

2010年06月06日 17時40分38秒 | どうしたものか

カメラ技術の進化によって起こった事は、報道カメラマンの地位低下ではないかと思います。


 


写真が銀塩フィルムのみであったころ、報道カメラマンが撮影できる写真の数は限られ、出版社のデスクにその写真が届くまでには時間がかかりました。良い写真を撮影する報道カメラマンは珍重されたはずです。


 


しかしカメラ技術の進化はここに変化をもたらします。


デジタルカメラとデジタルストレージは報道カメラマンが撮影できる写真の数を増大させます。インターネット技術はその写真をすぐに出版社のデスクに届けます。


 


報道カメラマンの仕事は報道写真の量産と素早くデスクに届ける事になりつつあるのではないでしょうか。出版社のデスクは膨大な写真から良いものを選び出します。


 


このエントリーに関連付けたニュースでも、何気なく取られた写真が良い写真として選ばれています。


 


報道カメラマンの仕事はカメラ技術の進化によって大変になってしまったのかもしれません。でも良い写真を撮るのがカメラマンの仕事であることは変わらないでしょう。



宇宙に直線無し。

2010年06月06日 16時43分39秒 | そういえば

波形手すりが売れているとか。


 


そういえば、「宇宙に直線無し」という言い方があります。直線は理論的には存在するが、宇宙に存在する物質は全て非直線で出来ているとうことを表しています。


20年くらい前に、「世界は曲線で出来ている」とデザイナーのルイジ・コラーニが多くの工業製品の曲線を基調としたデザイン案を提唱しました。


また、海岸線の曲線や植物の葉のギザギザ模様が一定の関数で比較的簡単に表す事が出来る様になりました。自然にある多様なものの形や生物の形態がある法則で表すことも可能である事も可能になってきたわけです。


 


NC工作機の登場や製造技術の向上によって、波形手すりの製造も簡単になった事でしょう。


直線的なものより、波形が役に立つとは、これも自然な事なのかもしれません。


 



野生動物の幸せとは?動物って本当にいいのでしょうか?

2010年06月06日 16時20分00秒 | 疑問

野生動物の幸せとはなんでしょうか?


 


野生動物の一生を考えてみましょう。野生動物の生活の殆どは、餌を探す、餌を確保、餌を食べるです。そのために争いも起こります。発情期になれば子孫を残すため、雄と雌はそれぞれ相手をを巡って争います。野生動物の一生とは、餌の確保と子孫繁栄の為に汲々としています。餌の確保と子孫繁栄に成功した種または個体が生き残ります。


 


単体の野生動物の幸せは餌の確保と子孫繁栄の成功にあると言えます。有史以前の人間もそうだったでしょう。野生動物の親子睦まじい姿は、餌の確保と子孫繁栄競争のある一面です。競争に負けたものや生存に的さない子供は見捨てられます。


 


一方、現代の人間社会を考えます。この人間社会はペットや家畜を含みます。


基本的に人間社会(特に先進国)では餌の確保と子孫繁栄に疑問はありません。一定の職にありつけば、餌の確保と子孫繁栄を行う事が出来ます。またペットや家畜は、子孫の繁栄に制限はありますが、その恩恵にあずかります。血統のいいペットや家畜は人間が勝手に子孫繁栄してくれます。また、動物園の動物も同様です。人間もある意味「家畜」となりました。医学の力で子孫繁栄も出来、生存に適さない子供も生き残る事が出来ます。


 


現代の人間社会は野生動物の幸せを達成しました。もう野生動物に戻る事はできません。動物園の動物が子孫繁栄に意欲が無かったり育児放棄するのはおそらく野生の競争原理を失った代償だと考えられます。


 


人間社会の社会不安も野生の競争原理を失った代償なのかもしれません。ただ動物の姿から癒しを求めるだけでは現実逃避のように感じられます。


動物から学ぶものがあるとすれば、せめて教養としてでも野生の競争原理を学び、人間社会が失った厳しさに思いをはせ、社会の健全化に役立てる事ではないのかと思います。