足利義満は、南北朝の混乱に乗じて皇室の弱体化を図り、明に朝貢し自ら日本国王と称した人物です。まるで小沢一郎のようではありませんか。
義満は皇位簒奪の意図があったのではないかとする研究者も存在し、足利義満の突然死は暗殺であるとする研究者も存在します。
昔から、皇位を脅かすものは、暗殺されてきたという歴史からの類推でしょう。
また足利幕府はとても不安定なものでした。
一方、徳川家康は晩年権力基盤の盤石化の一環として、皇室を伊勢神宮の宮司に封じ込めようとしましたが、反対により踏みとどまりました。家康が比較的長生きし天寿を全うし、日光東照宮の権現として祀られました。その後徳川幕府が安定したものであったことは言うまでもありません。
奢れる・・・久しからずや、ですよね。
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