「デザインとカラーとセンスと。」
これからの時計に必要不可欠な要素。これは倭は伊勢の国、安濃津の林時計鋪の眼。
・・・ただ、これがエスプリの眼と重なりあったのです。
アラン・シルベスタインが初めて3本の時計を手にバーゼル・フェアで発表したのは1987年。想像出来るかと思いますが、異彩を放っていました。
現在でも残っていますが、特に当時の時計業界は伝統が支配し保守的な世界でした。そんな時計業界に新たなる一ページを開いたのが独立時計師、そして近年はデザイナーを擁した風が吹き始めています。・・・ただ、ここ10年ほどの話。
すでに20年前にアラン・シルベスタインはこう云っていました。
「伝統のスイス時計を支えてきたのは、卓越したクラフトマンシップであり、私はそれに対して最大の敬意を払っている。しかし、ひとつ物足りない部分がある。それがデザイン性だ。」
先見の明があったのでしょう。
実行に移したアラン・シルベスタインのキーワードは”バウハウス”。彼曰く「バウハウスはモノづくりの方法論そのもの」。丸・三角・四角という幾何学モチーフも、赤・青・黄色の原色も、まさに彼の解釈によるバウハウス流デザイン。
時計とカラーの融合、エスプリを効かせた存在感のあるケース、それはデザインの為のデザインでもなくましてや一時の思いつきでもなく彼の明確な「哲学」の産物だった。また、「ぜひとも機械式時計でなければならなかった。クォーツを使った単なるアクセサリー的な時計を造るなら、それこそただのデザインワークにしか過ぎない。」と云っていたのである。
解かっていたのでしょう。そして、芯がある。
現在の流れの速さの中で変化をせざるえない他ブランドの中で、20年間貫き通してきたアラン・シルベスタインは賛辞に値すると云ってもいい、というよりスゴイ!たいしたもんだ!!・・とは生意気ですが。説得力がありますよね。
”他のどのブランドにも無いモノを持っている。”
スイスの時計メーカーに属する人がアラン・シルベスタインをうらやましいと云った事があるそうです。