フランス人技師のコワニェは、別子銅の原価計算を「日本鉱物資源に関する覚書」に提示している。明治5年(1872)についてであるが、その頃の製造方法は、江戸期とほぼ同じであり、コスト計算がわかりやすいので、非常に参考になる。今回、詳しく見ていたら、1ヵ所桁違いの計算間違いを見つけたので、既に誰かが指摘していると思うが、念のためここに記しておく。間違いは、素吹の炭量を一桁少なくしてしまったことで、単純ミスである。そのため素吹炭代が非常に小さくなって、総原価が17%も低く計算されてしまった。
原典(図1,2,3)で間違っていた数字を正しい数字に換えてそれを太字で示した。
再精錬銅(丁銅)1000kg(1トン)に対する費用
採掘費 150.536円
(トン当9.36円として16.083トン)
焙焼(焼鉱) 5.257円
(16.083トンの原鉱より14.920トンの焙焼鉱石を得)内訳
採掘場より炉までの運賃 1.831円
木材(トン当1.20円として2.707トン) 3.248円
炉への鉱石装入及切出し費用(18トンにつき0.20円) 0.178円
第1熔融(素吹 鉑吹) 65.519円
(14.920トンの焙焼鉱石より2.600トンの鈹を得)内訳
炉までの運賃(1トン当0.077円) 1.149円
吹子(1日0.30円として8.939日) 2.682円
助手(同0.25円として8.939日) 2.235円
フイゴ係(同0.1175円として35.756日) 4.201円
消耗品
炭(1トン当7.8053円として6996kg) 54.606円
ブラスク(炭灰) 0.646円
第2熔融(真吹) 12.996円
(2600kgの鈹より黒銅(荒銅)1181kgを得)内訳
吹子(1日0.27円として6.937日) 1.873円
フイゴ係(1日0.21円として13.874日) 2.913円
人足(1日0.06円として6.937日) 0.416円
炭(1トン7.8053円として881kg) 6.876円
ブラスク 0.918円
精錬(間吹) 8.299円
(黒銅1181kgより赤銅1010kgを得)内訳
吹子(1日0.30円として2.043日) 0.613円
フイゴ人夫(1日0.225円として4.100日) 0.922円
炭(1トン7.8053円として709kg) 5.534円
ブラスク 1.230円
再精錬(棹吹 小吹) 7.497円
(赤銅1010kgより再精錬銅(丁銅)1000kgを得)内訳
吹子(1日0.48円として1.668日) 0.801円
助手及びフイゴ係(1日0.285円として3.336日) 0.951円
木炭(1トン7.8053円として700kg) 5.463円
るつぼ 0.257円
ブラスク 0.025円
一般経費 32.833円
雇人の俸給並に諸給費 7.626円
事務所費 1.636円
建築物道路等の修繕費 19.212円
雑費 4.359円
雑費 12.381円
処理に要する諸材料費その他雑費 4.728円
銅山より積出港までの運賃 2.550円
神戸港迄の運搬費 0.900円
積荷及び荷卸し費 0.363円
その他の運賃 1.094円
積出港における諸費 1.821円
積出港における人夫賃 0.925円
総計(再精錬銅1000kgの原価) 295.318円
1565.19フラン
1872年(明治5年)においては、銅の平均市価は、60kgにつき20ドル(即ち1トンにつき1716.66フラン)であったので、結局1トンに付き(1716.66―1565.19=)151.47フランの利益となるわけで、同年の別子銅山の再精錬銅は581.748トンであったから、純益は、88117フラン(16626円)であったわけである。」
考察
1. 炭代を間違った原因
素吹1枚(/日)で1800kgの焙焼鉱石を仕込み、炭約844kgを消費する。(即ち鉱石の46.89wt%の炭を要する)、では14.920トンの鉱石では、必要な炭は14.920×0.4689=6996kgとなる。原典では、1桁小さく間違えて、699kgとしてしまった。
2. 利益額について
以上のように、正しい数字を用いれば、1872年の純益は88117フラン(16626円)となり、1年間の純益としては約1/3の少額になる。計算間違いの数字を用いた原典では、純益は239662フラン(45219円)であったのである。1円=5.300フラン 1ドル≒1円
銅の市価 1トン当たり 323.9円
丁銅1トンの原価 295.3円 原典(間違い)では、246.2円
明治5年の別子銅による純益 16626円 原典(間違い)では、45219円
明治5年の売上高(市価で全量売れたとして)188430円
3. 現在の金額でどのくらいに相当するか
明治5年の1円は現在の1万円とみて2)
銅の市価 1トン当たり 324万円
丁銅1トンの原価 295万円
明治5年の別子銅による純益 166百万円
明治5年の別子銅の売上高 1884百万円
これからみると
①銅の市価が トン当たり324万円と現在の60万円に比べ5倍と高価であった
②年間売上高は19億円で純益が2億円程度であった。
注 引用文献
1. フランス人技師コワニェの明治6年(1873)別子銅山の視察記録「日本鉱物資源に関する覚書」石川凖吉編著 羽田書店(1944)→国会図書館デジタルコレクション コマ67~76 p114~133 →図1,2,3
2. 「昔の1円は今の何円?」 http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J050.htm
白米の小売値段でみると 明治5年の1円は現在の14000円
金価格で見ると 1円金貨(金1.5g)は 5000円×1.5=7500円
コワニェの吹子日当0.3円は、現在15000円位とすると →1円が50000円
図1. コワニェ「日本鉱物資源に関する覚書」-1
図2. コワニェ「日本鉱物資源に関する覚書」-2
図3. コワニェ「日本鉱物資源に関する覚書」-3
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