菅首相【第三列ならではの本音隠し】
『ズル菅のカン』は組閣人事でも見られた。
世間は菅内閣の顔ぶれに何か新鮮なものを感じている。
だからこその支持率アップである。しかし、本当に新鮮なのか。
確かに自民党政権当時に比べれば、平均年齢は若返っている。
しかし、鳩山内閣からの留任閣僚も多く、外国人地方参政権付与や
夫婦親子別姓に積極的で、死刑反対の持論からまったく死刑を執行
しようとしない法務大臣の千葉景子氏や、野党時代はミスター年金
で名を売ったが、いざ厚生労働大臣に就任してみると行政全般への
無知をさらけ出して落第の烙印を押された長妻昭氏とか、その顔ぶれ
は決して新鮮などと言えるものではない。
それをいかにも新鮮に見せたのは、菅氏のカンにほかならない。
その端的な表れが、事業仕分けのパフォーマンスで名を売った
蓮舫氏の行政刷新担当大臣への起用である。
蓮舫氏は参議院の一年生議員で、しかもクラリオンガール上がり
の若い女性である。これだけのキャリアで入閣など、従来
なら考えられないことである。
だが、この考えられないことを菅首相はやった。
これによって菅内閣は新鮮といったイメージがつくり出され
地に堕ちたイメージがつくり出され、地に堕ちた民主党の
人気回復につながったことは否定できない。
しかし、もはや第三列でいることは許されない。菅氏は第一列の
最先端に位置したのだ。それが総理の座というものである。
ところが、第三列の習性は消えないものと見える。
首相になってからの菅氏の発言に注意をして耳を傾けてみると、
『国民』とか『国家』とかの言葉が交じるようになった。
だが、以前の菅氏はこのような言葉は絶対に使わなかった。
もっぱら『市民』『社会』と言っていた。
これは単なる言葉遣いの問題ではない。その底は、国境を
消し国家を否定する、左翼思想の根源であるルソー、レーニン
の思想に通じている。そしてこれは、鳩山由紀夫氏の
『日本列島は日本人のためにあるのではない』
という発言に直結するものである。
ある意味、鳩山氏は率直であった。それだけに問題も明確で、
批判も説得力を持って真っ直ぐに通るところがあった。
ところが、菅首相はそうではない。『市民』『社会』の部分的な
言い換えでも分かるように、本音の隠蔽が身についており、巧み
でもある。まさに第三列の習性である。
それだけに国民はうっかりすると事実を見誤りやすい。
鳩山内閣と何ら変わっていないのに、菅内閣に対する現在の
高い支持率は、その表れ以外の何ものでもない。
しかし、いくら本音を隠しても、馬脚は現れる。
それが如実に見られたのは、菅氏が首相に就任して行った
所信表明演説であった。
演説のほとんどは財政問題、そして経済問題に費やされた。
だがなんと、防衛問題については一言半句も触れなかったのである。
普天間基地を巡る騒ぎで、防衛問題が大きく浮上しているにも
かかわらず、である。急務の懸案である国境問題は、まったく姿
を消してしまっていた。
第三列の男のやりそうなことである。財政問題などに国民の
目そ逸らし、肝心要の本音は隠したままでいこうという姿勢である。
そして国民の多くは、この第三列の手法に乗ってしまっている
ようでもある。
(中略)
そうならないためにも、国民が第三列のパフォーマンスなどに
惑わされず、冷静に沈着に事実を見極め、賢明な選択をすることを
願わずにはいられない。
忘れてはなるまい。国旗国歌の法制定の時、菅首相はどうしたか。
国旗国歌に反対したのである。
一国の首相が自国の国旗国歌に敬意を表さず、拒否的な態度をとる。
これは珍妙などというレベルではない。
あってはならないことだし、許されないことである。
来る参院選での国民の賢明な選択を、いまはただ祈るのみである。
(致知8月号 渡部昇一『歴史の教訓』より抜粋・書き起こしさせて
いただきました。)
※参議院議員選挙前にご寄稿された文章のようです。
※『第三列』とは、左翼運動全盛期に、リーダーやデモを煽動する
活動家は前列~二列目あたりにいたため、警察が取り締まる際にこの
一列~二列目あたりを集中的に逮捕・拘束したが、デモ隊の中に
あっても三列目以降は逮捕を免れるケースが多々あったことから、
自分では傷つかず、責任を取ろうともしない“卑怯者”のこと。
>>さすが、渡部先生、どんな新聞記者よりも正確に現在の
民主党・菅政権を見ぬいていらっしゃいます。
あと、今月号の文章の中で、英国を立て直したサッチャー首相
等を引き合いに出され、『自民党総裁に、ジャンヌ・ダルクを
立てよ』…有能であり、憂国の志を持つ女性リーダー待望論を
書かれています。激しく、“同意”です。
⇒人間学を学ぶ月刊誌『致知』HP
レキのニュース・スクラップ
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『ズル菅のカン』は組閣人事でも見られた。
世間は菅内閣の顔ぶれに何か新鮮なものを感じている。
だからこその支持率アップである。しかし、本当に新鮮なのか。
確かに自民党政権当時に比べれば、平均年齢は若返っている。
しかし、鳩山内閣からの留任閣僚も多く、外国人地方参政権付与や
夫婦親子別姓に積極的で、死刑反対の持論からまったく死刑を執行
しようとしない法務大臣の千葉景子氏や、野党時代はミスター年金
で名を売ったが、いざ厚生労働大臣に就任してみると行政全般への
無知をさらけ出して落第の烙印を押された長妻昭氏とか、その顔ぶれ
は決して新鮮などと言えるものではない。
それをいかにも新鮮に見せたのは、菅氏のカンにほかならない。
その端的な表れが、事業仕分けのパフォーマンスで名を売った
蓮舫氏の行政刷新担当大臣への起用である。
蓮舫氏は参議院の一年生議員で、しかもクラリオンガール上がり
の若い女性である。これだけのキャリアで入閣など、従来
なら考えられないことである。
だが、この考えられないことを菅首相はやった。
これによって菅内閣は新鮮といったイメージがつくり出され
地に堕ちたイメージがつくり出され、地に堕ちた民主党の
人気回復につながったことは否定できない。
しかし、もはや第三列でいることは許されない。菅氏は第一列の
最先端に位置したのだ。それが総理の座というものである。
ところが、第三列の習性は消えないものと見える。
首相になってからの菅氏の発言に注意をして耳を傾けてみると、
『国民』とか『国家』とかの言葉が交じるようになった。
だが、以前の菅氏はこのような言葉は絶対に使わなかった。
もっぱら『市民』『社会』と言っていた。
これは単なる言葉遣いの問題ではない。その底は、国境を
消し国家を否定する、左翼思想の根源であるルソー、レーニン
の思想に通じている。そしてこれは、鳩山由紀夫氏の
『日本列島は日本人のためにあるのではない』
という発言に直結するものである。
ある意味、鳩山氏は率直であった。それだけに問題も明確で、
批判も説得力を持って真っ直ぐに通るところがあった。
ところが、菅首相はそうではない。『市民』『社会』の部分的な
言い換えでも分かるように、本音の隠蔽が身についており、巧み
でもある。まさに第三列の習性である。
それだけに国民はうっかりすると事実を見誤りやすい。
鳩山内閣と何ら変わっていないのに、菅内閣に対する現在の
高い支持率は、その表れ以外の何ものでもない。
しかし、いくら本音を隠しても、馬脚は現れる。
それが如実に見られたのは、菅氏が首相に就任して行った
所信表明演説であった。
演説のほとんどは財政問題、そして経済問題に費やされた。
だがなんと、防衛問題については一言半句も触れなかったのである。
普天間基地を巡る騒ぎで、防衛問題が大きく浮上しているにも
かかわらず、である。急務の懸案である国境問題は、まったく姿
を消してしまっていた。
第三列の男のやりそうなことである。財政問題などに国民の
目そ逸らし、肝心要の本音は隠したままでいこうという姿勢である。
そして国民の多くは、この第三列の手法に乗ってしまっている
ようでもある。
(中略)
そうならないためにも、国民が第三列のパフォーマンスなどに
惑わされず、冷静に沈着に事実を見極め、賢明な選択をすることを
願わずにはいられない。
忘れてはなるまい。国旗国歌の法制定の時、菅首相はどうしたか。
国旗国歌に反対したのである。
一国の首相が自国の国旗国歌に敬意を表さず、拒否的な態度をとる。
これは珍妙などというレベルではない。
あってはならないことだし、許されないことである。
来る参院選での国民の賢明な選択を、いまはただ祈るのみである。
(致知8月号 渡部昇一『歴史の教訓』より抜粋・書き起こしさせて
いただきました。)
※参議院議員選挙前にご寄稿された文章のようです。
※『第三列』とは、左翼運動全盛期に、リーダーやデモを煽動する
活動家は前列~二列目あたりにいたため、警察が取り締まる際にこの
一列~二列目あたりを集中的に逮捕・拘束したが、デモ隊の中に
あっても三列目以降は逮捕を免れるケースが多々あったことから、
自分では傷つかず、責任を取ろうともしない“卑怯者”のこと。
>>さすが、渡部先生、どんな新聞記者よりも正確に現在の
民主党・菅政権を見ぬいていらっしゃいます。
あと、今月号の文章の中で、英国を立て直したサッチャー首相
等を引き合いに出され、『自民党総裁に、ジャンヌ・ダルクを
立てよ』…有能であり、憂国の志を持つ女性リーダー待望論を
書かれています。激しく、“同意”です。
⇒人間学を学ぶ月刊誌『致知』HP
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